息子の中学のサッカー部は、各学年だいたい10人くらいで
部員全員で30人ほどの規模である

昨年度は、3学年合わせて29人が選手登録をしていて、
2チームでリーグ戦に参加していた

3年生主体の Aチームは、地区の 1部リーグへ
1年生主体の Bチームは、地区の 3部リーグへ

それぞれエントリーしてシーズンを過ごした

2年生は、能力や体格を考慮して、
どちらかのチームに振り分けられる感じだ

1チーム 14人~15人くらいで、11人制のリーグに参入

ワタシは、これをとても健全な部活動の運営だと感じている


選手の交代や怪我、欠場を考慮すると、
11人ぴったりというわけにもいかないし、

逆に人数が多くなると、
試合に出させてもらえない選手が出てきてしまう

なので、14人~15人というのは、理想的な人数のようにも思える


部活の顧問 1人、副顧問 1人、外部コーチ 1人の体制で
1シーズンを回していただいて、本当に感謝しかない


当然ではあるが、14人~15人でリーグ戦に臨む場合でも、
どうしてもスタメンと控えに分かれてしまう

これはもう、補欠云々の話以前に、サッカーのリーグ戦に参加するうえで
控え選手が出てきてしまうのは、しょうがない部分なのかなと思う

そして、途中交代をすることで、全員が必ずプレー時間を得たとしても、
スタメンで出た選手の何人かがフル出場することになるわけで、
全員が同じプレー時間を確保するというのも、やはり難しい


3年生で Aチームのスタメンになれなかったり、
2年生で Bチームのスタメンになれなかたり
ということもあったようだが、

リーグ戦の最後の方は、3年生は全員
Aチームのスタメンに起用されていた

素晴らしいチーム運営だ



昨年度の Bチームは 1年生主体のチームだった

中学からサッカーを始めた 1年生部員が 2人

まだ身長が 140cm 台の子が 3人いて、
そのうちの 1人は、中学から始めた初心者である

そんなチームが戦う相手は、下位の 3部リーグとは言え、
中学サッカーの最終学年を迎えた 3年生たちが活躍する
U-15 のリーグ戦である


結果は、

14戦全敗

得点はたったの 1 !


当たり前と言えば当たり前なんだけど、ジュニアユースの年代で
「補欠」にあたる選手を作らない運営をした場合
これが現実なんだよなぁという結果である


話変わるが、少年サッカーブログを見ていると
ときどき、「補欠制度反対」というような
文言を見かけることがある。

ワタシからすると、毎回頭の中に

??

が浮かぶ

補欠って「制度」だったのか…


ワタシは、ジュニアユース年代の育成にあたる期間であっても、
競争を念頭に置いた環境で子どもに挑戦をさせることについては、
否定的な立場ではない

むしろ、競争はあって当然だし、それが現実の社会であるということは
中学生以降は、スポーツだけでなく、至るところで感じられるようになると思うからだ

だから、「公式戦」の出場においては、レギュラー、補欠の競争が

あってしかるべきだと思っている


補欠の子にも試合形式での出場機会が得られるように、
練習試合をたくさん組んでもらえればよいのだが、
チームを運営する側の立場で考えると、
やはり、実現するのが難しい部分が多いように思う


例え、クラブチームであってもである

人間は、そんなにボランティア精神あふれる人ばかりではない

十分な報酬が得られないコーチが、二軍、三軍
補欠にあたる選手たちを引き連れて、毎週のように練習試合を組んであげる

そんな低賃金で奴隷のように動いてくれる人材を揃えるのは、
なかなか難しいんじゃないかと思う


海外のクラブチームの育成の現場においては、
次のシーズンで試合に出ることが難しくなるであろう選手や
その親御さんに対して、シーズン前に移籍の打診をするのが一般的だと聞いた

なるほど、試合に出られない子には、そうやって
きちんと別のチームでの出場機会を与える選択をさせてあげているわけだ


日本で同じようなことができないものか

それを考えてみると、日本の「補欠制度」と呼ばれるものには、
「親のエゴ」が大きく影響していると思えてならない

・同じお金をはらっているのだから
・自分の子だけ出場時間が少ない。平等であるべき
・試合に出場することが成長には必要不可欠
・よい指導者に教えてもらいたい
・高いレベルでプレーさせたい
・試合で勝たせたい

全てを満たしつつ、補欠の選手を生まない
そんな理想郷は、はたして実現可能なのだろうか


それこそ、今の何倍もの大金をクラブチームに払って、
素晴らしい専属コーチ、良い練習環境、

そして、十分な試合出場時間が得られる
そういうのは、できるかもれない

ただ、そういう環境を作ったとしても、
そんな、お金がものを言う格差社会が良いものとは思えない
(ワタシは、海外では実際にはその傾向があるように思っているのだが)


一方で、
公式戦だろうが何だろうが、
一生懸命な人も、遊びで参加する人も、土いじりな人も、
同じように出場機会が得られるような環境だけになったら

「試合に出場することが成長には必要不可欠」

の根柢の部分が覆りそうな気がしている


みんなが高いレベルを目指して、切磋琢磨しあい、
レギュラーとして選ばれる、
そしてチームを代表して公式戦に臨む

そういうぶつかり合いこそが、試合に出場することが成長につながる
ということなんじゃなかろうか



「選手」という言葉を調べてみるとこうある

選手(せんしゅ、Player)とは、競技会・試合などに選ばれて出場する人のこと。
(Wikipedia より)


選手には、「選ばれて出場する」という意味が含まれていて、
JFA に選手登録をした時点で、やはり、競争に晒されていると
理解するのが正しいのかなとワタシは思う


選手登録などせずに、純粋にサッカーを楽しむ環境があっても
いいのかなとワタシは思っていて

実際にそういうスクールもあったりする

海外では、ストリートサッカーがそれにあたるのだろう
だが、残念ながら日本にはそういうものが根づいていない



「補欠制度反対」を掲げ、毒づいている人たちを見ると、
とても切ない気持ちになる

きっと、サッカーを楽しむだけの環境では満足いかないのだろう


試合で我が子の活躍を見たい
勝たせたい
得点させてあげたい

親としてそう願うのは当然だとは思うが、

最初から
クラブチームで、
選手登録ありきで、

周りの子の成長と自分の子の成長を見比べてしまい
その後の選択肢を自らどんどんと狭めていってしまっている

そんな風に思えてしまう



ウチのチームに来れば大レギュラーになれるのに

そう思うのであった