長い一日(地震の日)
津波の映像や被災地の映像が繰り返し出てるけど
恐ろしいと言う以外、ここに沢山の人がいたなんて本当に信じられない
でも、映ってるこの漁港に、この街に
実際自分の知ってる人がいる方々はこの映像を見れるだろうか
飲み込まれる車を見れるのだろうか
事実を報道してるだけなんだろうけど、そう思うと何だかもう見てられない・・・・
地震が起きたとき、私は職場にいました
東京湾にほど近い埋立地、ビルの20F
恐ろしく揺れた、どこに居てもみんな怖かったのだろうけど
コンクリートの瓦礫に飲み込まれると思った、本気で死ぬと思った
流石にみんな机の下に入っていたけど、一番揺れたときは、悲鳴が出た
声を掛け合えるチームメンバーが昨日に限って休みだったり、外出だったり
揺れがやんでも、怖くて怖くてずっと手が震えてて、
パニックでしばらくは家族に連絡とることさえできなかった
耐震のビルは凄く揺れたけど、隣の免震のビルがそれ以上に揺れてて
みんな窓から見ていた
すぐに黒煙があがってるのが見えて「火事だ」って声が聞こえた
お台場の方の火事が見えた
どうやって逃げ出そうか考えたけど、怖すぎて何も出来なかった
怖くて体が震えてて、その時にNZの被災者の方々が
壊れたビルに閉じ込められた方々が
どんなに怖い思いをして最後を過ごしたかと思ったら
胸が痛んで、また手が震えた
Softbank携帯は使い物にならなかったし、スマートフォンは電池の減りがはやいので一旦OFFにした
会社のメールと電話で、やっと実家や兄弟の安否が確認できたけど
おさるの確認が取れたのはかなり遅くなってからだった
この揺れから予想して、関東もかなり倒壊しているところがあるんだろうと思って心配していたけど
そうではなかった。
定時後になり、職場の人の多くが、歩いて帰ると少しずつ出て行ってしまった
私はとても歩ける距離ではなかった
酒盛りを始めるひともいたけど、飲めないし、そんな気分じゃない
本を持っていたのでよんだけど集中できない
方向音痴のおさるが歩いて帰ると連絡があった
私は途中までいける電車が復旧したと聞いて、20Fが怖くて、地上に行きたくて
その線の駅まで歩くことに。外に出たら同じように歩いている人が沢山いた。
初めて歩く道だけど、少し安心した。
地下鉄に乗るのは危険だけど、やっぱりみんな帰りたいと思ってしまうんだろう。
途中の駅前なんとか電車でたどり着いたけど、
その先の電車が動かないことがわかった
携帯の電源温存のために、公衆電話でおさるや家族に連絡を取った。
公衆電話は無料だった。助かった。公衆電話が少なくなってる世の中、本当にあってよかった。
おさると連絡をとって、バイクで迎えに来てもらうことに。
おさるは歩いて家について、寒さと疲れもあるなか、結構な距離だったけど来てくれた。
やっと合流できたのが夜中の2時。
寒かった、それでも帰宅できたか。3時に帰宅できた私はついていた方だろう。
あの時点で地下鉄に乗ったのは二次災害を考えると間違っていた行動だと、今は思う。
地下鉄の職員の方々の気遣いや、復旧の為にはたらく警察官や鉄道職員、
本当に頭の下がる思い。
今日になって、11時近くになっても
いつもは歩行者がいない道路を帰宅の為に歩く多くの人々や、
動き出した電車に大混雑で乗る人々を目にした
みんな早く家に帰れますように・・・
こうして怪我ひとつなく、家族も無事で
ブログなんて書いてる私は
冥福を祈る資格もないかもしれないけど
本当に本当に多くの人々の無事が確認できることを祈ります
そして被害にあった人々とその家族に心からお悔やみ申し上げます
きっと、緊急ニュースもそのうち終わって。
関東には日常が戻るのだろうけど、
被災した方々はこれから日常を取り戻すまでが辛い日々でしょう。。。
想像もつきません