会話について。
会話とは言葉のキャッチボールだ、という表現は誰しも聞いたことがあるのではなかろうか。
実際その通りだと思う。
しかし、現実としてそれを実行できている人間は意外と少ない。
特に、自分を含め3人以上の人間と通話・現実問わず会話を行った夜に布団で悶々と考えてしまう人は軒並み出来ていないと言って良いだろう。
会話における自然なキャッチボールとは何か。
それを知る為には先ず、不自然な言葉のキャッチボールを例として念頭に置けばいいだろう。
会話の例とするにはラジオを想像するのが良い様に思う。
不自然な会話、ラジオでの例。
ex)パーソナリティー2人とゲストが1人。パーソナリティー2人が相手の言葉を繋げ、今は私生活で普段どの程度料理をするかという話題で盛り上がっている。そんな中突然、ゲストが料理も何も関係ない自分のCDの宣伝を行う。
上記の例を想像して欲しい。
場は凍り付くだろう。
会話は言葉のキャッチボールという表現は、つまるところ会話にて独りよがりの話はしてはならないと我々に伝えている。
独りよがりの大暴投などもっての他。
3人でキャッチボールをしていて自分の所にボールがまだ来ていないのに急にもう1つボールを取り出して投げるなんてのも論外。
誰の談かはもう覚えていないが、嘗てラジオにてこんなことを言っていた人が居た。
『会話とは参加する人が皆でその場にて作り上げる一種の作品だ。』
共作中に自分勝手に暴投する者が居れば迅速かゆっくりとかの違いはあれどその集団から除外されるのは至極当然の事であろう。