お金は必要なとき生まれた体験 ③ | 雑感放題

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66歳 ネット通販の印刷屋をやって15年。
老後安泰かと思いきや、
とんでもない壁が立ちはだかる。

突然ゼロックスの営業がやってきた。
そして、これは「生産機です」とカラープリンタを売り込んできた。

いまから15年ぐらい前のことだった。

「生産機です」とは、お金が稼ぎだせます、ということだった。

 


この頃は、ゼロックスのカラーコピーは300万円ぐらいしていた。

これはあくまでもコピー機で、色校正を出したりする、どちらかというと

デザイナーが使うものだった。

デザイナーだったが、ちょっと手が届かなかった。


そんな時だった。
カラーコピーよりかなり安いカラープリンタは100万円弱だった。
しかし、実際その100万円もなかったので、母親に借りた。


このカラープリンタで、印刷屋を始めた。
実は、先に初めていたネットの名刺印刷屋が同地域にあったで
しっかりそれをパクったのだ。

その前の業態は、測量屋だった。
測量屋に印刷分野に進出したことに正直カチンときていた。



始めたはいいが、これですぐ商売が軌道に乗るわけでもない。
ホームページは自分で作ったが、
誰にも知られていない印刷屋なのだから仕方がない。


そんな時、グーグルがネット広告を始めた。アドワーズだ。
この頃、ワンクリック7円だった。


ネット広告がヒットすると徐々に仕事が入ってきた。
しかし、100万円のプリンタは、無茶苦茶遅かった。
1分間に2枚しか出ないのだ。

注文が入ってもそれをこなすのに深夜もプリンタを動かしていた。
何か月そんなことをやっているうちに、
このプリンタの限界が見えて、高値の花だったカラーコピーを購入した。

それでも1分間に12枚だった。
相変わらず、夜半分寝ながらプリンタを動かしい印刷していた。


すべて自宅の2階で作業していた。
DTPオペレータをやっていた時に入力を手伝ってくれていた女性をひとり雇い。
奥方と3人で遮二無二働いた。


もう自宅では困難と判断して事務所を探していたとき、


自宅の前に1年以上放置されていた空き地が売りに出ていたことを知った。
なんと告知板が家と反対側にあって気がつかなかったのだ。

近くにチャンスはあっても必要になるまで気がつかないのだ。
170坪ほどある敷地だが、形がL字型をしていたため購入されずにいた。


事務所の建設と土地代で3000万円ちかい買い物だった。


事務所を建て、カラーコピーをもう一台入れて本格的に稼働させた。
デジタルDM印刷
名刺やDM、チラシやシールの注文が面白いように毎日入った。


グーグルの広告は正に天の助けだった。
息子が大学へ行く。そんなタイミングにピッタリ合った。


ここまでは、なんとも自分の意志というものがあまりなかったように思える。
なりゆきというか。そこに提示されたものを「ハイ」と受け取るだけのような
感じだった。


2011年ごろには、年商8000万円の売上に達していた。

結構、自営業になってからジェットコースター的だったのが、
何かに導かれるように急展開して、現在に導いてくれている。


しかし、震災以後、結構厳しい状態になっている。
突き抜けたい。

自分の腹の中をさぐり、本欲・大欲を見つけ出し、
自分ビジネスにする。

そんなチャレンジに夫婦揃って取り組んでいる。
もちろん「自分ビジネス」講座はそれぞれ申し込んています。