約二年ぶりにブログを書いてみる。
私の二年間について。

二年という長い月日が経ち、様々なことを経験した。

まず私は留学した。初の海外に驚くことが多く、日々刺激的でキラキラした留学生活だった。

また、日本人がほとんど行かないような国々にも旅行に行き、必死に何かを得ようとした。
たくましさといえばいいのか、生命力と言えばいいのか、とにかくそういった類ものは身についた。

そして、将来の仕事が決まった。
私はとある会社で働くことになった。
就職活動を始める前は、自分は大企業で働くことができるだろうという根拠のない自信があった。
そして、就職活動中は寝る間を削り、朝から面接に行き、夜はエントリーシートを必死に書いた。
面接中は面接官に気に入られようと必死に笑顔を作った。
しかし結論を述べると、大企業には就職できなかった。
そして、二年前と比べ、私の将来は大きく狭まってしまった。


この二年間、私はたくさんの欠点を持っているということに気付いた。
しかし、それらの欠点の多くは直せないままだった。
例えば、私の大きな欠点の一つは、人を自分に利益を与えてくれる人かどうかでジャッジしていたことだ。
もしある人物を自分に不利益をもたらす存在であるとジャッジすれば、彼らに対する私の扱いは非常にぞんざいなものとなった。
だから、わたしは彼女ができなかった。
私はよほどタイプの女の子でなければ、自分からは話しかけなかったし、場合によっては冷たい態度をとってしまったこともあった。
さらに、親友と言える友達さえできなかった。
面白くない話をする人(私にとってそれは日本人の98%)に対し、容姿があまり端麗でない女の子と同じ態度をとってしまったためだ。
私は人間として大きな欠陥のある人だということに気付いた。

自身の欠点を見つめ直し、悲観視する一方で、世界各地のたくさんの人と出会い、世界の広さを知った。
人はそれぞれいろんな欠点を抱いている。
私が特別なのではない。

まとまりのない乱雑な文章になってしまった。
二年間、私はとにかく成長しようとした。
もうすぐ大学を卒業する。
今回は少しだけ、そして簡単に私の大学の二年間を振り返ってみた。


とりあえず、来年のクリスマスまでに彼女を作るのが当分の目標だ。


尖閣諸島の国有化による、日中関係の悪化に伴い、中国在住の日本人の危険が少しではあるが高まってきた。石原慎太郎はおそらく中国についてなにも知らない。彼がそこらへんで飲食店を経営している店の人と話したことはあるだろうか。言い換えると、一般的な中国人の日本に対する感情を知っているのだろうか。中国が尖閣諸島を中国領であると主張する理由を打破する簡潔で明快な説明ができるのだろうか。また言い換えると、中国の主張を聞き、理解してから、それに反論するだけの知識はあるのだろうか。僕は生粋の日本人である。おそらく戸籍を遡れるだけ遡っても、外国人の血は流れていない。尖閣は日本の領土であってほしいと思う。しかし、少なくとも僕は後者の説明ができない。僕は中国についてよく分かっていないのだ。マスメディアが作った、日本人の反中感情を利用して、国と国との関係を複雑化するきっかけを作りうるものを、深い思慮もなく実行しようとしているとしている扇動者こそ、非国民と言えるのではないだろうか。僕は大和民族としての誇りを持っている。年を取った人物は何十年後かになにか起こっても、もう関係はない。僕たち若い世代こそ、本当に今の政治が将来の日本のためになるのか本気で考える必要がある。僕は正直なところ尖閣諸島国有化がいいのか悪いのか分からない。しかし、一つ言えることは、石原が良い政治家だとは思えないということだ。

どうもどうも、青春とはなんだろう?の大秋です。


今日は、遠藤周作『沈黙』を読み終わりました。キリスト教を信じる、ポルトガル人宣教師が主役です。時代は江戸時代、鎖国中で、キリスト教は禁止されています。神はいるのか、自分はどうするべきなのか、日々苦悩する宣教師の様子が描かれています。



本の中の主人公は重い意味で苦悩していました。しかし、拙者もそれほど重くはありませんが、苦悩しています。どうすればいいのかさっぱり分かりません。何事もうまくはいかないのです。


実はこのブログをもうすぐ卒業することにします。彼女ができたら卒業するという約束は守れないみたいです。申し訳ないです。実は少しの間(期間は伏せますが)、海外へ行くことになりました。実は自発的に行くわけではありません。しかし、自分が海外へ行くことによって感じる喜び、そして受ける苦しみは将来の拙者の糧となるはずです。実は初海外なので、期待より不安の方が大きいです。しかし、無理はしないように頑張ってきたいと思います。


いつも拙者の拙い文章を読んで下さりありがとうございます。

 少し前、とある芸人が生活保護を不正受給していたことが話題となった。税金というものは間接税と直接税に分かれ、拙者みたいな若造は専ら消費税という形で税を納めている。一方で拙者の父親は決して高くはない給料の中からそのうちの両方を納めている。

 税の仕組みは少し難しい。しかし、今回はそれは大事ではない。重要なことは、拙者たちが捧げた金を大変無駄遣いしているということなのだ。


 今日2ちゃんのまとめブログを見ていて、(このサイトは全くいいものだとは思わないが、面白い)、京都府舞鶴市の女性が生活保護女性が生活保護の受付を1度拒否され、再度行くと、(怪しい市民団体の協力により)、通ったという話だった。で、この女性のプロフィールを書いてみたい。


30代

独身

3人の子持ち

パートをできなくなった

妊娠中

しかし、相手とは連絡取れず



 上に書いたことを見て、普通の人はどうおもうのだろう?

 養える能力もないのに3人の子を持ち、さらに訳の分からぬ男との間に子供を作るような女である。計画性的観点、また金銭的観点、加え生活的観点から考えた結果、この女はだらしない人だと言える。

 そんな人間に税金を払うのは遺憾である。もちろん子供たちはかわいそうである。ただ、この母親に生活保護のお金を与えて、4人の子供の世話をさせるのは得策ではない。少なくとも今現在、彼女は子供と一緒に暮らす資格はない。だからといって、どんな悪い母親でも、子供にとって大事な母親を長期にわたって隔離さすのも良くないかもしれない。このように、生活保護の問題は多くの問題を孕んでいる。


 

 最近、思考力、文章力、共に下がってきている気がする。困った。



「おまえに書かせるブログはねぇ」って言われそう。

どうもどうも、最近頭痛のする大秋です、こんばんは。


今日は遠藤周作『深い河』を読み終えました。愛とはなにか、人間とはなにか、宗教とはなにか、数人の登場人物を通じて、インドのガンジス川を舞台に我々に話しかけてくれる作品です。


以下書くことはストーリーについてになります。要するに、この物語のあらすじを知りたくない方はご覧になるのをおやめください。







何人かの人物が出てきます。若くして、嫁さんに先立たれた男性、愛がわからぬ女性、過去に大病をした絵本作家の男性、大戦中東南アジアでひどい目にあった男性、ひたすら神を信じた男性などなど。

彼らはみなガンジス川に行きます。ガンジス川はヒンドゥー教徒に関わらず人々を受け止め、優しく包んでくれます。その川の中には、死体が流れてきます。その死体を食おうとする野犬もいますし、その残りを卑しくつつく禿鷹もいます。一方で、人々は川に入り、身体だけではなく、精神の汚れを浄めます。川の中には、老若男女います。私たちはテレビで死体が流れるのを見て、ただ苦笑いし、理解できないと口にするかもしれません。しかしそんな小ばかにした態度を取る私たちでさえ、救ってくれるのがガンジス川なのかもしれません。ガンジスは生活の場所であり、生死が入り乱れる聖なる場所。


小説の中でガンジスはそのように描かれていました。たしかに、私もそのような話を以前どこかで聞いたことがあります。しかし、実際に行ってみないと、それは確かか分かりません。拙者も機会を作り、ガンジス川に参り、何かを感じてきたいと思いました。ちなみに、この小説は名作です。ぜひ、お読みください。