神道と日本人
キリスト教圏の勉強ばかりしてきた。
日本のことなんにも知らない。
自動販売機が目印のど田舎に生まれて、豊かな自然と古い人と暮らしに囲まれて育った。
浸かりきっていた田舎の生活から離れてみると、そんなところで田舎ならではのテキトウさで、なおかつあたたかさで育ったことは本当に恵まれていると思うようになった。
「なんにもなーいだれもいなーい。」
小さい時の私の口癖。
そのまんま。
あの時から根本は変わってないような気がして自分がこわい。
というわけで、小さい時にお祭りに行ったあの神社みんな覚えていますか。
祭りの日の学校ってみんな浮足立って、いつもの友達とちょっとおめかしして灯篭の下で待ち合わせ~
学校で会う好きな子と、祭りで会う好きな子はちょっと違って見えたりとか~?
また話がそびれた。
そんな神社、さらには神道についてみんなは何か知っているだろうか。
神社はなじみが深いんだけど、神道の基本的な考え方ってなかなか知らないのでは。
神道の考え方があまり知られていないのは、神道の姿勢そのものにあると言える。
太古から日本人と共にあり、様々な宗教と結びつき、日本人らしさを作ってきた。
考え方はあまりはっきり知られていない理由は、神道は他の世界の宗教(イスラム教・キリスト教・ユダヤ教など・・・)と違い、聖典の記す固定された戒律が存在しないから。
厳しい戒律で人々を縛ることがない。
人間の持つ両親に対する全面的な信頼の上に作られた宗教なのだ。
そして、欧米の人から日本人は「無宗教」だとか、「主張しない」と評価されがちだが、この評価は真実かもしれない。しかし、これは文化の違いであって、決して悪いことではない。(何に評価の基準を置くかで変わってはくるが・・)
日本人は太古から「人間中心の宗教」である神道の精神が根付いている証拠がこの「日本人らしさ」を生んでいる。
「人々が笑顔で楽しく過ごす」
「男女の自由な愛が将来の人類の繁栄をもたらす」
この精神が神道の美徳である。
人々が笑顔で楽しく過ごすために、神道では義理や人情を大切にしてきた。そのために個人主義になれた欧米の人から見たら、先の述べた評価につながるのだろう。
日本人は個人を主張して対立を生むことを好まないというだけで、どちらがいいと言うわけでもないが。この精神は狩猟と農耕をほそぼそとやっていたころからの考え方である。
なによりも「神」がどうこうというのではなくて、生きている「人間」たちが楽しく過ごすことが何よりも大切であるという精神の神道はとてもおおらかである。
厳しく戒律を作るでもなく、おおらかに。
宗教であって宗教特有の規則を作らない。
OSHIGOTO
やっとネットつながったーーー
ネットがない間に引っ越しして、新しい仕事も始まって・・・しまいました。
今日はExcelの試験だったけど落ちたぽい!!!
来月もっかい挑戦。
とりあえず次はTOEICにむけてがんばろーーっと。
週休って3日とらないと逮捕っていう法律いると思う。