HAMZA・EL・DIM:ウードを持った渡り鳥、しかし根っこはヌビア
ハムザ・エル・ディンは、1929年現スーダン北部のワジハルファ出身のシンガー・ソングライター、ウード奏者。wikiにはエジプトのアスワン県出身と書いてあるが、おそらくハムザが生まれた頃はスーダン独立前で、その一帯はエジプト配下だったので、それも間違えないのだろう、知らんけど。ハムザはエジプトとスーダンにかけて住んでいるヌビア人のアーティストで、生まれ故郷はアスワンハイダムによって水没している。


ハムザは多くのヌビア人と同様にカイロで働くべく、故郷を離れカイロの学校に入り、そこでウードと出会う。ウードはヌビアにはなかったのだ。卒業後はカイロで電気技師として働きながら、同郷の人達の前でウードの弾き語りでヌビアの歌を披露するようになった。キャリアの第一歩である。ハムザがカイロで働いていた1956年にスーダン共和国が独立し、新しい国造りに参加しようと帰郷したが、そこにヌビア人の居場所はなく。失望してイタリアはローマに音楽留学する道を選ぶ。ローマの音楽大を卒業後、1963年にアメリカに渡り、プロミュージシャンとしてのキャリアを開始した。以上、全てとうよう師のCDのレビューとM.M.誌上のコラムからの情報による。web上には一切の情報なし。
〇ナイルの流れのように(A JOURNEY)

このCDは、とうよう師が企画して、1964年と1965年に米で録音された初期のLPを2in1して、1990年にリリースされた日本独自盤だ。だからwikiのディスコグラフィには載っていない。とうよう師がM.M.誌上でしつこく勧めていたので購入したが、当時の私は今以上にバンドアンサンブル至上だったので、あまり聴きこまずに今日に至っている。久々に聴く。まずは1曲
Hamza El Din - Assaramessuga (Childhood)
良い。私も歳取って丸くなってストライクゾーンが広がったかな。ハムザの音楽はヌビアの民謡をブラッシュアップしたもの、というのが定説。ということを知らずに聴いても、極東の島民の耳にもスっと入り込む汎な音だ。しかし、元の民謡がこんなにキャッチーなはずなく。ザックリ言い切ると、この曲のキャッチーさは、欧米のポップスに因っている、と思う。何言ってんの?全然違うじゃん、という声が聞こえてくるが、比較のためにヌビアの民謡をリンクする。この民謡とて、近代のかなり洗練された民謡だ、たぶん。
Imperial Kingdom Of Nubia Music - YouTube
もちろん民謡にも聴きどころはあるが、これが全世界のワールドミュージックファンの心に響くかというと?だ。ハムザの曲との差は歴然では?ハムザ作の節回し、曲の展開、強弱、フレーズ終い、等、上手に近年のポップスを取り入れた、今を感じるワールドミュージックだ。
ハムザは90年代に日本に何度も来ているし、欧米にも頻繁に公演に赴いていたようだ。何度もひざを突き合わせ話をしているとうよう師が言うには、ハムザは実に開かれた感性の持ち主で、了見の狭い島国根性とは全く180度違う方向を向いた真の国際人、という印象だそうな。だからこそ、音楽にもそれが反映されるのだろう。もろに欧米の音楽を導入するのでなく、ベースは明らかなヌビアだが、いろいろな世界の要素が滲み出る。これこそが真のワールドミュージックではないだろうか?私も若い頃にそれと気づいていたらよかったのだが。もう1曲。
よいよい。素晴らしいウードの弾き語り。弾き語りといってもギターでコードをストロークしたりアルペジオしたりではなく、主旋律を落とし込んだフレーズをオブリガードで繋ぐというアラブ圏仕様。そして、この曲はマグレブ諸国の古い歌謡を思い起こす。シャアビとか。これはハムザがカイロで染みついた感覚ではないのだろうか?カイロはマグレブではないが、交通の要衝として西からこの手の音が入ってくることは想像できる。この感覚はヌビアの民謡にはない。ハムザの開かれた音楽性の1つの要素と言える。そもそも先に書いたようにウードはヌビアにはないので、ヌビアのルーツ音楽をウードに落とし込むのは大変な作業だったと思う。
歌詞は、”君は僕、僕は君、君のものは僕のもの、僕のものは君のもの、そして僕たちは皆神のもの”といった内容。イスラム神秘主義に基づくものとのことだが、私はどうしてもアイム・ザ・ウォルラスの冒頭の歌詞を思い起こす。ジョンの書いたあの歌詞もそういうことだったのか・・・ハムザは敬虔なイスラム教徒。ちゃんとしたイスラム教徒は彼みたいに開かれた感性になるのだ。
もう1曲。
よいよい。ウードとタール(ヌビアのパーカション)の合奏。タール奏者はサンディ・ブル。当時ニューヨークで活動していたフォーク・シンガーで、ギターの他、ウードも弾けて、アラブ圏の音楽も導入し、サイケデリックムーブメントの草分け的の1人だ。そんな米の音楽家との共演だが、そのサウンドは地中海を連想する。これはイタリア留学の賜物でしょう、たぶん。ハムザの開かれた音楽性、その2だ。地中海の音には目のない私にはストライク内角低めの曲だ。
CDの邦題”ナイルの流れのように”は、とうよう師が名付けたが、これは、ハムザの故郷はナイル川沿岸で、彼のキャリアは川を下ってカイロに行くところから始まり、さらに地中海に出でてローマに渡り、更に大西洋を渡ってニューヨークでプロとして活動を始めた、というように、ナイル川の流れのように留まることなく続いたことを表している。彼の音楽に様々な要素を感じるのは彼の人生、変遷にリンクする。しかし、様々な要素をヘタに導入することなく、ベースはヌビアで揺るぎないのがとても素晴らしい。
このCDの後、日本盤が出た記憶がない。wikiによると1999年まではアルバム作成をしている。70歳だ。私の持論では70が創造的活動の限界。2006年に原因は分からんが鬼籍に入られたようだ。
今日は引き続き暖かい。なのに風邪をひいてしまった。しまったしまった島本講平。皆さまもご自愛ください。