無償の愛 | clematis -

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眠りたくない夜は眠らないでいい。

という持論のもとに眠らない夜にしようかな、と思ったり。
成長期はとうに過ぎているし、何かもういいのよ。

肉親を亡くした悲しみはあなただけのものだと言われて、気が楽になりました。

わたしだけのもの。

それなら、理解されなくて当然。理解されたいのかどうかも怪しいのだから、ならば土曜の夜を惰性に過ごしても、次頑張れるならそれでいいやと思いました。

明日、出先で粗相のないように気を付けます。

病気ってね、自ら作っていっちゃよくないと思う。
「それは誰にでもあることだよ、気にしないで大丈夫」と僅かでも思えるなら、頭の隅から追いやればいい。

風邪を引かない努力は出来ますよね。風邪を引くかもしれない不安は、必要ないんじゃないの。

何ていうか、本当に申し訳ない言い方になるし、失礼な表現をしてしまえば、命に替えられるものがあるというのでしょうか。

私からしてみれば、自分の病気も含めて、父や母を亡くしたことの重大さに比べたら、比較するものではないと理解していても、不安が不安を呼ぶように思えるんです。

しぬことに比べたら、何てことないよ。
生きていたら何とかなるんだから、悩むのを止めたらいいと思いました。

なので、ひとまずわたしは悩むのを止めました。
自分のことはどうにでもなる。
食べて、生きていけたら多少の苦渋も良し、それも又幸せだと云えるから。

帰らない人は、帰らない。
天地がひっくり返っても、その事実だけは変わらない。

もし今、あなたが自分の辛さにもがいているなら、少しだけでいいから、周りに目を配ってください。

あなたに生きてほしいと願う誰かが、見えてきませんか。
生きていれば、それだけでいいのだと、一人のひとが云ってくれるだけで、わたしは生きてこれたし、誰の評価も気にしないでいられます。


恐らくはそれが無償の愛と呼ぶものです。