kittyは目撃者でございます。
お皿を滑らせて落下させたときも、
こっそりアーモンドを食べようとしたときも、
ほろ酔い気分で歌を歌っていたときも、
どんなときであっても。
kittyは、
はっ
という劇的な顔で僕を見つめています。
kittyから隠れてなにかをしようとしても、
それは不可能でしょうね。
音も無くそろそろと近づいてそこにいますから。
この見られている感覚に、
いまだに慣れていない僕でございまして、
一人時間を謳歌しているときに、
誰か人にじっと見られると、
その居心地の悪さは明確に掴めるのですが、
kittyにじっと見つめられると、
居心地の悪さとは全く違うのですが、
一人時間にそこまで集中できていない自分に気がつくわけでございます。
kittyの視線をお借りして、
後ろから僕自身を見つめる僕を想像して、
こんな感じなんだ
と、いつのまにか第三者的にその場面を見ていることが多々あります。
kittyは話すことができませんので、
なにか目撃したことを、
言葉でもって再現することはできません。
ですので、
例えば、こっそりアーモンドを食べようとも、
そのことを伝える術がないわけでございますから、
気にする必要がないと言えばないのですが、
いつの日か、
言葉とまではいかなくとも、
ジェスチャー等で、
意思疎通できるようなポテンシャルはあるのではないかな、
そんなことを感じております。
ご飯が欲しいときは、
僕たちをじっと見つめたり、
僕たちを窓越しに見つけたときは、
みゃおみゃお鳴いたり、
賢く、また表現力のあるkittyでございますから、
いつの日かそんな日が来てもおかしくないだろう、
そう思うわけでございます。
熱心な目撃者のおかげで、
僕の視野は少し拡がったとともに、
少しファンタジーな考えを抱くようになりました。
「いつの日か」を期待して。