前回からの続きです。
「海の民」の日本神話
古代ヤポネシア表通りをゆく
三浦佑之 著 (新潮選書)
のほぼ読書メモなのだけど、記事カテゴリは出雲にしておく。
読み終わって痛快に感じたのは、中央集権国家に対する著者の反骨精神?が文章の端々にあふれていたところ。
ヤマトについてはここでは論じない(バッサリ)的な![]()
あと、おぉ!となった箇所をメモ。
- ヤチホコによるヌナガハヒメ求婚譚〜翡翠の出土状況から糸魚川の翡翠が海上ルートで運ばれたのではないか(陸路ならあちこちから出土しそうだが、そうでない)
- 古事記ではタケミナカタの母について記載はないが、先代旧事本紀によるとタケミナカタの母はヌナガハヒメとあり、諏訪大社の古伝でも同様に伝えられている
- 出雲国風土記では、ヌナガハヒメはオホナムヂと結婚して出雲の美保郷のミホススミを産んだとある
- これらをつなぐと「出雲ー奴奈川ー諏訪」の三つの土地は結ばれる
以下、本文より一部引用
ヌナガハヒメとふたりの子、タケミナカタとミホススミによって、ヤポネシアの表通りのメインストリートと見なしうる「出雲ー能登ー古志(奴奈川)ー諏訪」が一直線に結ばれるのである。しかもそれは、出雲のオホナムヂ(ヤチホコ)によってというよりは、ヌナガハヒメという女神によって果たされているという点に、わたしは大いに注目したいと思う。
(224〜225頁)
一般に語られる主人公オホナムヂではなく、ヌナガハヒメを軸につなぐという視点が面白い。
もっとも読み応えがあったのは、最終章「国家に向かう前に」だった。
- ヤポネシア表通りには至るところに拠点があり〜筑紫、出雲、八上、但馬・丹後、若狭、角鹿(敦賀)、能登、奴奈川〜それぞれ独自性を保っているようで、文献は少ないながらそれぞれが対等な形で向き合っている痕跡を見出せた
以下、本書より一部引用
富というのは蓄積するものではない。移動する者にとっては、船に積める以上の物を手に入れたとしても財産にはならない。そのように思考する海民社会が存在したとしても、何ら不思議ではないと思う。あらゆる集団が富を蓄積すれば階級を生み、権力が芽生えればクニと支配者を要求し国家を欲求する、というような過程をどの社会においても段階的に辿るものなのかどうか。
そう考えれば、ピエール・クラストルのいう「国家に抗する社会」というのも、案外、絵に描いた餅ではないと思えるのである。
(237頁)
「船に積める以上のものは持っていても仕方ない」という見方に、目からウロコが落ちた。なるほど!
「海民の社会には国境は障害物でしかない」「海路ではずっと遠くと直接繋がることができてしまう、律令による陸路の整備はそうした繋がりを遮断するためにも必要だった」など、ウロコがポロポロ…
- いわゆる縄文的な人びとと、弥生的な人びとのあいだに海民的な性格を持った人びとの間に入り込んできた…ということも十分考えられるのではないか↓
- 遺伝子研究者の斎藤成也の「三段階渡来モデル」(『核DNA解析でたどる 日本人の源流』)によると…
- 4400〜3000年前(縄文後期と晩期)に朝鮮半島・遼東半島・山東半島に囲まれた沿岸域およびその周辺の『海の民』だった可能性がある
- その後3000年前以降に北方から朝鮮半島経由で入ってきたのが弥生系の人びと
- 国津神と天津神は、それぞれ第二段階と第三段階の渡来人の象徴的呼び方ではなかろうか…との想定
この本も面白そうだ!探さねば。
- 古層の縄文人や海民など(国家以前の社会…非国家的社会)はどちらかといえば水平的な思考を持っていたと考えられる
- その後やってきた中央集権的な垂直志向(弥生的)な人々
- そうした両者の混血の果てに我々はヤポネシアに生きている
- 第二段階に初期の稲作をもたらしたのが海民だったのでは
- その後、大陸的性格を持つ第三段階の人びとは王による支配=集権的指向性をもち、その頭上にはひれ伏すしかない強大な漢民族が君臨する
- 例えば…台湾を統一したのは近代に入り込んだ漢民族であり、少数民族は統一など考えなかったのでは?
以下、一部を引用
それこそ、国家を指向する人びとと、それを指向しない人びとがいるかもしれないということを、地球全体のなかで考えてみてもいいのではないかと思う。
(241頁)
最終章は、著者の気概のようなものを感じてとても読み応えがあった。
次に読みたい本のオマケまでついてきた、ありがたい読書体験だった。
