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Cledorのブログです。頭に浮かんだことを記録として残したいと考えています



大航海時代は、日本にも大きな影響をもたらした。

1543年ポルトガル人が鹿児島県種子島に漂着したのは、今から471年前のことだ。

西洋ポルトガル人は、一般的に真面目、謙虚で穏やかな性格、控えめで相手の事を考えて行動し、オブラートに包んだ会話をする。ここに挙げた全てが東洋の日本人に当てはまるほど、よく似ている。
さらに、紙と瞳が濃く黒色、身長もあまり変わらない体格であることを考えると、日本人に好まれ、相性が合う国民だ。
違いをさがすとすると、ラテン気質で時間にルーズというところらしい。

この頃、日本は戦国時代であり、このポルトガル人が戦い方に多大なる影響を与えることとなる。そして、南欧の国ポルトガルは、ヨーロッパ諸国の中で日本と初めて交流を持った国となった。

当時、ポルトガルはアフリカや南米、インド、中国にまで進出し まさに大航海時代の栄華を極めていた。

まったく国情の異なる日本とポルトガル。東洋の端の日本へ西洋の端に位置するポルトガルが、種子島の最南端の門倉岬で出会うことで、火縄銃をはじめ、ボタン、パン、タバコ、コンペイトウ、カルタ、チャルメラ、カステラなどポルトガル語がそのまま現代の日本でも残っている者を南蛮貿易によって我々の祖先は初めて目の当たりのした。これは、驚きの連続で、西の端にある国に、興味と共に憧れを抱く日本人も多かったのではなかろうか。

そして、時の権力者は行動に出る。織田信長はフロイスと親交を深め、また天正遣欧少年使節のリスボン、シントラ、エヴォラへの訪問など、人の交流も始まるようになった。

南蛮渡来図