ずいぶん昔の頃、まだ小学校に入ったばかりの事だったと思います。
久しぶりに母に連れられて祖母を訪問した時のことです。2階の日の当たる明るい部屋の隅にちょこんと座った祖母が、「どこのお嬢さんだか可愛い子だね。」と私の顔を横目で眺めて一言。母はそれを否定せず会話を続けていました。その一言は子供ながらに衝撃的な一言でした。私は、状況がよく理解できませんでしたが、母の姿からこの事を口に出してはならないということを察しました。自宅に戻ってからも親や兄弟はもちろんのこと、誰にも話すことをしませんでした。孫の顔も忘れ、性別の判断をつかないという事がどういうことなのか、歳を重ねるとこうなってしまうのかと子供心にショックだったのかもしれません。それよりも、母がどこの誰なのかも忘れてしまったような会話が続いているのを聞いてとても二人がとても不幸であると感じ、気持ちが落ち込んでしまったことを今でも目の奥にあの日の陽だまりの中の祖母の姿が焼き付いています。まるで日なたで背中を丸めた猫のようでした。思えば、次に祖母の為に母の実家に行ったのは、葬式の日でした。
ボケ、子供ながらに見た光景はとても言葉では表す事が出来ない悲しいことでした。認知症の研究が進んだ現在、認知症になると小学校3年生ぐらいの知識ではないかと書かれたものがありますが、この衝撃は小学校3年生にもなっていない頃のことであり、当時、身内の顔はもちろん忘れていないし、性別の判断も出来ました。だからショックだったのです。
今、考えると母と私は祖母に忘れられてしまったショックと、母は自分の親の姿を見た現実のショックと二重の悲しみを感じたことでしょう。
しかし、平然としているように見えた祖母はどのような気持ちだったのでしょうか。たぶん、一番悲しい思いをしているのは、認知症という病におかされてしまった祖母自身だったに違いありません。
