2泊した金沢旅行からの帰り、
福井県にある東尋坊を観光し、
その夜は福井市のホテルに泊まりました。
 

 

ホテルから眺めた朝の福井市街です。

 

10年ほど前に訪れた時には、

閑散としていた福井駅周辺でしたが、

2年後に北陸新幹線が開通するからでしょうか、新幹線前

綺麗な駅舎やホテルが建ち並んでいます。びっくり

 

朝焼けが出ているところを見ると、この日も天気は良さそうです。晴れ

 

この日向かったのは、

福井市の郊外にある「一乗谷朝倉氏遺跡」です。

福井市からは車でや30分ほどの距離にあります。車

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一乗谷朝倉氏遺跡は、

戦国大名である朝倉氏やその家臣が住んでいた城下町の遺跡です。

発掘とともに町並みを復元した町並みがあり、

戦国時代の住居や町並み、生活の様子を見るができる場所です。

いわば、「日光江戸村」=江戸時代を楽しむ場所とすれば、

一乗谷朝倉氏遺跡=戦国時代を楽しむ場所、と思えば良いでしょう。

 

遺跡は山の中の、川近くにあります。

 

一乗谷川という川にかかる橋を渡り、

 

対岸を川沿いに少し歩きます。

 

だだっ広い広場を横見しながら進むと・・・

 

 

堀に囲まれた門扉のある場所へとたどり着きました

 

そうです。

これがこの遺跡群の城主となる朝倉氏の遺跡で、

「朝倉館跡」と呼ばれるところです。

 

状況が分かる看板説明がありました。

 

さらに詳しい案内看板を見ると、

当時居住した部屋などの配置が分かります。

台所や蔵と、射場、武者溜など、当時の住居機能と戦場機能が

一体となっている点が戦国時代の建物であることを示しています。

 

 

案内図をよく見ると、

先ほどの広場↓は、「馬場」だったようです。馬

image

 
さて、いよいよ先ほどの門扉をくぐってみます。

 

すると、そこには住居跡が広がっていました。

主殿や射場などが配されていたようです。

まだこの遺跡は復元はされておらず、

何があったかが分かるような表示しかされていませんが、

今後は復元されるでしょう。

 

朝倉氏館遺跡を見たのち、

さきほどの堀のあったところへ戻り、

 

駐車場へと続く橋の上から眺めたその先に、

復元した町並みがあるようです。

 

遺跡から対岸の駐車場を眺めた風景です。

広場のような敷地が手前にあるのが分かります。

 

再び駐車場へと戻り、クルマを走らせ、復元した町並みのあるところへと

行ってみましょう。

 

クルマに乗り、川沿いの道路を進むこと5分。

すると、

戦国時代の町並みの遺跡と、

復元した建物群が見えるところへやってきました。

 

この朝倉氏遺跡では、

朝倉氏を中心とした武家屋敷だけでなく、

武具を作るために集められた鍛冶職人などが住んだ民家なども

復元されています。

 

 

 

受付を済ませ、住居群のある敷地内へ入ると、

先ほど見た朝倉氏館遺跡のように住居跡の遺跡が見えました。

 

 

さらに奥へと進むと、

今度は戦国時代の復元された住居群が道沿いに、

かなりの長さに渡って続いています。

 

町家の様子です。

外見から見ると土壁と簡単な格子状の窓といった簡素な造りのように見えます。

 

 

中に入って見ることも可能です。

囲炉裏の上から鍋や釜を吊す自在鉤(じざいかぎ)や

建築道具なども展示されていました。

 

 

 

町家の庭先です。

数寄屋づくりのような竹垣がありました。月見

 

やはり戦国時代ということで、

家屋は簡素にならざるを得ないのでしょう。

藁葺き屋根、板屋根といったぼろ家といえるような

簡単に作り上げるような家屋といった感じがします。

でもそれが同時にワビやサビといったものを感じさせます。ウインク

 

再び外へ出てみると、

住居群の真ん中を通る道では、

戦国時代の服装をまとった人々の姿が見えました。

 

こちらの方々、実は地域のボランティアさんで、

一乗谷朝倉氏遺跡を盛り上げるために

観光客向けに当時の民衆に扮して小芝居を演じているそうです。

素晴らしいですね。

 

 

 

たくさんのボランティアさんがいらっしゃいます。

よく見ると、民衆だけでなく武家のお姫様のような格好をした女性も。♀

 

そしてこちらは野菜販売をしている様子。

これもお芝居かな、と思ったら、本当に販売していました。

安かったのでほうれん草を一束購入しました。

 

こちらの復元町並み地区の案内図です。

道を挟んで両脇に町家が並んでいるようです。

この町に最盛期には約1万人もの人々が住んでいたそうです。

 

ちなみに町並みが全て復元されているわけではありません。

復元されていな家屋は、調査されたのち、

どんどん復元されていくようです。

 

家屋どころか、

配置図のみを残した遺跡も残っています。

「通路」と書かれた標石があったり、

 

「側溝」と書かれた標石があったりとします。

これらは復元されるのはまだまだ先なのでしょう。

 

町家の家並みを進みます。

すると、

今度は武家屋敷が見えてきました。

 

さすがに武家屋敷らしく、

これまで見てきた民家に比べ、かなり大きな敷地を持っていました。

 

敷地内には井戸も備えられています。

 

image

こちらは敷地内に住む家来の家屋のようです。

 

家屋内には配膳も再現されていました。

品数の少ないことが分かります。

戦国時代の食事は質素なものだったことが分かりますね。

 

そしてこちらは、厠(かわや)。

トイレです。

ぽっちゃん式のトイレですね。

約50年前、祖父母が住む実家のトイレがぽっちゃん式のトイレで、

下に落ちないか怖々としながら用を足した思い出が蘇りました。

また夜中も、トイレが離れにあるためビクビクしながら往復した記憶もあります。

トイレットペーパーもなく、四角く堅いちり紙でお尻を拭いていました。

現在のウォシュレット式トイレはありがたいですね~。

 

 

 

敷地は30㎡とあります。

坪数に直すと、9.075坪になりますね。

 

敷地内には側溝のようなものも造られていました。

雨水などの排水用でしょうか?

コンクリートではありませんが、

戦国時代にこうした側溝ができていたことにビックリしました。

 

こちらは厩(うまや)。

馬を置いた場所です。

一段低くなっているのは、逃げないようにするためでしょうか?

image

 

主殿へと入ってみます。

 

先ほどの家来の家屋と変わって、

こちらは主君のお部屋。

板張りの床ではなく、畳が敷かれ、かなり立派な住居であることが分かります。

 

人形が置かれ、

当時の生活を再現していました。

将棋に興じているようですね。

 

こちらは食事を用意している様子を再現したものです。

 

囲炉裏の側で、

魚をさばく男性や配膳の準備をしていると思われる女性の

姿が見えます。

 

主殿の配置図です。

先ほどの町家は一部屋でしたが、

武家屋敷では3部屋もあるようです。

 

囲炉裏のすすのせいでしょうか。

梁が黒くなっています。

 

こちらは朝倉氏遺跡の城内全景写真。

これを見ると、たくさんの家が建てられかなり大きな町並みで

あったことが想像できます。

 

この城下町を造った城主、朝倉氏の紹介が書かれていました。

どうやら5代続いたようですね。

 

再び外へ出て、先へと進みます。
すると何やら色づけされた布が
たくさん干してある一角に出会いました。

 

戦国時代の衣装のための布なのでしょうか?

 

風に揺らめく布とともに、

鈴の音も聞こえてきました。

 

静寂の漂う布の中を進むと、

まるで戦国時代にタイムスリップしたような錯覚を感じました。

 

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡・復元町並みは、約1時間半の滞在でした。

京都の映画村が江戸時代を楽しめるように、

ここでは戦国時代を楽しむことができました。

 

実は、この近くに福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館があり、

この遺跡についてより知ることが出来る施設があるのですが、

入館するにはあらかじめ予約が必要とのこと。

行ってみたかったのですが、残念ながら諦めました。ショボーン

 

時は午前10時。

そろそろ出発せねば帰宅が遅くなります。ガーン

気分一新して帰路につくことにしました。車

 

つづく。バイバイ

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