島根半島四十二浦巡りで長見神社を参詣した際、
この地が有名な弁慶の出生地であり、
ゆかりの地がたくさんあることを知り、
訪れてみることにしました。
長見神社周辺にある弁慶ゆかりの地は以下のとおり↓
まず長見神社へと向かう直前の道に戻ります。
道案内に「弁慶の森」と表示された標識が見えます。
標識通りに進むと、長見神社が見えます。
「弁慶の森」へは、長見神社の右にある道を奥に進んだところにあります。
2,3分進むと、「弁慶の立岩」と書かれた標識が右側に見えます。
その名の通り、修行中の弁慶が立てた石らしいです。
雑草が多く、道らしき道ではないのですが、近くに行こうとしました。
歩いて2,3分、
標識から20メートルくらいのところで、石が見えました。
「もう少しで着く・・・」と思ったその時!
足下に何かがいます。
目をこらして見ると・・・
「ひぇ~~~」と思わず声を上げてしまいました。
そこには黒い「ヘビ」がにょろにょろと動いています。
必死でUターン。
私、ヘビとムカデが苦手なんです。
幸い、マムシではなかったので良かったですが、そのまま
気づかず踏んでいたら噛まれていたかも・・・
とりあえず、もうこれ以上進みたくないので、遠方から撮影。
なんだか普通の石にしか見えませんが・・・
弁慶の立石から戻った後、車へと戻り、しばしボーとしていました。
ヘビと遭遇したショックが大きかったからです。
ふと、草原を見ると花にクロアゲハ蝶が・・・
少し気が晴れました・・・。
「弁慶の立岩」からさらに道を進むと、今度は
「弁慶乃森」と書かれた看板が見えます。
ここは弁慶が生まれ育った森だそうで、この森の中には
母である弁吉が弁慶を生む時に産湯に使う水を掘ったという井戸の跡
や弁吉を祀る弁吉女霊社があるそうです。
先ほどの立岩以上に雑草や茂みが多かったため、森の中へ
入ることは諦めました。
(一番の理由はヘビが出そうだったので・・・)
以上で弁慶ゆかりの地はお終いと思い、中海に沿って国道431号線を
通り帰路につきます。
途中、「ベタ踏み坂」の江島大橋が見えました。
この「ベタ踏み坂」、車からの視覚角度が45度あるように見える
もので、自動車メーカーのCMで有名になった橋です。
残念ながら、この日は松江方面へ進むため、江島大橋は通りません。
そのまま国道431号を進んでいると、「弁慶島」と書かれた標識を
通り過ぎました。急いで車をUターン。
降りてみると、「弁慶島→」と書かれており、島が見えます。
砂利の駐車場へ進むと、いくつかベンチが設置されていました。
そして、その先には、島が見えます。
島といってもすぐ近く。
小豆島のエンジェルロードのように、砂の道でつながっているようでした。
「本庄の弁慶伝説ゆかりの地」と書かれた看板を見ると、
弁慶の母親である弁吉が、暴れん坊だった弁慶を閉じ込めた島、
という内容でした。
(ちなみに本庄とは、町名です)
さらに近くには「弁慶握り茅」と書かれた標識がありました。
「握り茅」とはなんぞや?と思いましたが、何も説明はなし。
後日、自宅で調べると、
「弁慶島に置き去りにされた弁慶が岸に向かって道をつくり
岸に飛び移るとき握ったと伝えられています」とのことでした。
なるほど、先ほどの砂の道は弁慶が造ったことになるのですな。
そした最期、岸に飛び移り、その時に握った跡があるということでしょう。
(たぶん)
以上で、弁慶ゆかりの地の訪問はおわりです。
あくまでも伝説かもしれず、真偽は分かりませんが、
この島根半島にはこうした弁慶伝説がたくさんあります。
例えば、出雲市に「鰐淵寺」というお寺がありますが、ここは
弁慶が18歳から3年間修行をしたと言われています。
(その後、比叡山に移り、さらに源義経の家来となったとされています)
また、壇ノ浦の戦いの後、再度、鰐淵寺に身を寄せ、多くの伝説・遺品を残したということや、
大山寺から一夜で釣り鐘を運んだとされる銅鐘は国の重要文化財にもにも指定されています。
残念ながら、こうした弁慶伝説ゆかりの地は、さほど有名でなく、雑草が多い茂るほど廃れたように
見えます。
もっと歴史的に検証され、多くの人に知ってもらったり、見てもらったりしたいものですね。