私は三重県の田舎で生まれました。
もともとは郡でしたが、随分前に市に統合されました。その中でも私の育った村は、少し閉鎖的と言うか、独特な慣習があったりします
私は実際出くわしたことはありませんが、家のすぐ裏山に猿やら猪やらが出ると母は言っていて、自然が豊かで、満天の星空がとても綺麗なところです
家は、父母、祖父母、妹、ワンの7人家族でした。
父は堅実、物静かなタイプで、釣りとか読書とか自分の好きな世界がはっきりしている人でした。
向上心があり、私が何かを学びたいというと「自己投資はいいことだ!」と賛成してくれました
末っ子気質なのか、波風を立てたくないのか、父は母にはあまり逆らいません。1言うと100返ってくるので、単にそれが煩わしいのかもしれません
今もワンを家族に迎えたいと思っているはずなのに、母に遠慮して心を封印しているようなのが、私にはとてももどかしいです
母はとても愛情の深い人ですが、感情的で、こだわりが強く、実の祖母とよく激しい喧嘩をしていました。
今では、愛情ゆえだと理解できるのですが、常に相手をコントロールしようとしていました
「◯◯(友達)とは付き合ってはいけない!」
「勉強していい大学に行かないといけない!」
「お金は使わずに貯めておかなければいけない!」といった具合です。
常に衝突するので、私は家を早く出たかったです
妹は4歳年下です。明るくて、誰とでも仲良くできて、常にたくさんの友達と楽しく過ごしている姿が、本当に羨ましいと思っていました
勉強は私の方ができたので、褒められはしましたが、母は妹の方がかわいいのだと当時はすっかり思い込んでいました
私も、よその家のように家族でお出かけを楽しみたいと思っていたけれど、当時の妹は友達優先で、私はそれをとても不満に思っていました。
祖父は、単身赴任をしていて、いつも週末にハイソフトをお土産に買ってきてくれました。
怒ると手をあげることもありましたが、いつもはニコニコ冗談を言っているひょうきんな人でした
祖母は、父母とは衝突していましたが、私に対してはいつも穏やかで、優しくて私も心の底から大好きでした。
私がヨーロッパに1ヶ月ほど行きたいと言った時も、危険だと最初は反対していたものの、最終的には私の意見を受け入れてくれました。
家にいる時、私はよく祖父母の部屋に入り浸っていました。
祖母がいつか亡くなってしまうことを思うと本当に受け入れがたい恐怖でした。
だから、私が妊娠中で、ホルモンバランスが異なり、いつもと違う精神状態の時に旅立ったのだろうと思っています。
思い出しても、祖母には本当に感謝しかないです。
そして、柴犬について。
当時は外飼いだったので、一緒にいる時間が短く、今とは親密度合も少し違いますが、そのワンのことが大好きでした。
凛々しい顔つきをしていて、リードを離すとすごい勢いで走っていき、決して捕まらないのですが、そのまま放っておくと、いつの間にか自分の小屋に帰ってきて、寝ていました。
実は、家族で買い物に出かけた先で、里親募集をしていたワンを飼いたい!!と私が駄々をこねたのですが、そのワンはもうどこかにもらわれた後で...。
不貞腐れて泣いている私のために、父がペットショップに寄って、連れ帰ってくれたのがこのワンでした