『ところで、当時の日本の本当の脅威はどこだったと思いますか?
実は、イギリスやフランスは、もし日本を狙っていたとしても、それほどの脅威ではありませんでした。とにかく遠いですから。
そしてアメリカも、当時は日本を侵略する気がなかったので、脅威ではなかった。
日本にとって唯一の脅威はロシアでした。
ロシアは太平洋岸、カムチャッカ半島まで勢力を伸ばし、日本から最も近いヨーロッパと言われるウラジオストクに港を作って、虎視眈々と日本を狙っていました。
「ウラジオストク」とは、ロシア語の「ヴラジ(支配する)」と、「ヴォストーク(東)」を合わせたもので、「東方を征服せよ」という意味です。
ロシアは、凍らない港が欲しかった。だから、ずっと日本を狙っていたのです。
もし、ロシアが朝鮮半島を植民地にして、対馬、壱岐と、島づたいに侵略を進めてこられると、鎌倉時代の元寇のときと同じようになってしまう。ロシアは、もうそのすぐ手前まで駒を進めてきていたのです。
元寇というのは、1274年と1281年の2度にわたって、当時モンゴル高原と中国大陸を中心領域として、アジアの広い地域を支配していたモンゴル帝国が日本に侵攻してきた事件です。
この時、モンゴル帝国は属国であった高麗、つまり朝鮮半島から日本へと侵攻してきました。
残虐な攻撃で、対馬や壱岐の人々は皆殺しに近いような悲劇に見舞われましたが、執権北条時宗は九州各地に防塁を築き、「神風」と呼ばれる暴風雨にも助けられて、なんとか撃退に成功したのでした。
赤塚高仁著 「あなたに知らせたい日本という希望」より引用
