オレ達の入籍を祝って、大学の友達が何人か集まってくれた。
東京から、四国から来てくれた友達、関西にいる友達。
みんな忙しい中、時間を取って集まってくれた、
本当にいい友達。
中には、卒業以来約4年ぶりに会った友達もいた。


話せば話すほど、4年間という時間が流れたことがウソに思えてくる。
みんな、何も変わっていなかった。
ちょっと話をするだけで、楽しかった大学時代にタイムスリップした気分になった。
月曜日、専攻の英語の授業でまたみんなに会えるような気がした。


オレとタミコシはみんなに祝ってもらえる、幸せカップルだ。
楽しかったなぁプチ同窓会。
みんなとまた会える機会楽しみだな。
式まで3ヶ月と約二週間。
初めてドレス見学・試着に行った。
江坂Amtteliebe
そこには、花嫁ドレスを試着する新婦さん・カップルと、そのご両親が何組かいた。
花嫁ドレス姿の娘の写真を撮りながら、お父さんはどんな気持ちになるんだろうか。


オレとタミコシは、所要により予約時間に遅れ約1時間の見学。試着。
花嫁姿のタミコシは、すぐにでも結婚式に行けそうな様にも見えた。

女性はドレス姿が似合うなぁ。

さぁそろそろ3ヶ月前になる。
色々な準備を進めていかなくては!
GW、タミコシを北海道へ連れて行った。
今回の結婚に当たり、親戚一同からお祝いをいただいていたのでそのお礼にと思って。去年のおばあちゃんのお通夜以来一年ぶりの北海道だから、今までと比べると遥かに短いスパンでの北海道だ。
皆喜んでくれて、田んぼや畑の忙しい時期にも関わらず、おじさんの家に総動員で集まってくれた。
「妻のタミコシです(実際にはちゃんと”たみこ”と言ったが)」と紹介すると、
ちょっと(オレ偉そうだな)と思いながらも、誇らしげな気分になった。
「故郷に錦を飾る」
とはこういったことだろうか。(ちょっと違う気もするが。。。)


3日間しかも1日目は昼過ぎの到着、3日目は昼の便での離陸という強行スケジュールではあったが、行って本当に良かった。
久しぶりにタミコシと旅行にもいけたのも嬉しかった。


ジンギスカン、焼肉、海鮮、石狩鍋、でかおにぎり、ソフトクリーム。
ビール、ビール、ビール、ビール、ビール、、、ワイン。飲みすぎ。リバースリバース。
温泉にも連れてってもらった。
だだーっ広く、遥か彼方まで田んぼや畑、防風林以外何もない、文字通りの”大自然”の中、オレとタミコシはたっぷり癒されて帰ってきた。


北海道の親戚の皆さんは皆オレが奥さんを連れて凱旋したことを喜んでくれた。
タミコシが、「市川」の仲間に入れてもらえたことを喜んでいた、そのことがまた嬉しかった。


結婚式にはぜひたくさんの方が北海道から来てくれると嬉しいな。
今夜、長いこと絡まっていた結び目が
ふっとほどけたような気がした。

オトナのあたしは、自分で考えて自分で生きていくのが理想なのだけど
私は自立しているぞ、なんて思った途端に、土台は崩れ去っちゃうね。

どんな状況でも、自分は周りに支えられていて
それが最高だろうが最悪だろうが、いつも極めて恵まれているんだよ。
それを理解したうえで、あくまで自立していくのが丁度いいんだろね。

自分が正しいと思うことを、自信を持ってやればいい。
堺シティマラソン
毎年タミコシが応援に行っているというマラソン大会に、今年は出るという。
オレも特に予定があったわけでもないので、一緒に申し込んでもらった。
そこにはタミコシの会社の人々もいらっしゃるということで、普段タミコシがどんな人たちに囲まれて仕事をしているのか、その雰囲気だけでも分かればとも思っての参加だった。


の集団の中心に、50をすぎた男性の社員の方がいらっしゃった。
その方の持っている「人間力」に、オレも惹き込まれていた。
ああいう方が職場にいらっしゃって、こうやって若手に声をかけてくださって、みんなでワイワイ楽しめるのがとてもうらやましく思った。
もちろん、周りを囲む社員さん達も皆ステキな人だった。


さてさて肝心のマラソンはというと、健康的に4.5kmコースをタミコシとともに走った。
決して無理はしない。オレ達は常に横同士にいて、一緒に走った。
横で必死の表情で走っているタミコシは輝いていた。
しんどくてもがんばる姿は、美しいと思う。
走っている皆さんが輝いて見えた。


たまに休みが合って、夫婦で一緒にこういうイベントに参加するのも健康的でステキな休日の過ごし方だと思う。
そんな「みどりの日」改め「昭和の日」だった。
(どっちでもいいし!)
結納のため実家に帰った。
一日目については旦那さんの日記にあるとおりで、
私も、同じような理由で結納をして頂けて良かった、と思った。
夜、秀行さんとお義父さんはお帰りになり、私だけ実家に一泊した。

明けて日曜日、朝はのんびり休んで、久しぶりにお父さんが仕事に出るのを
寝ぼけた顔で見送った。
なんというか、貴重なはずなのに、いつもと同じ見送りになってしまった。

お天気に恵まれた昼
「お嫁入りなんだから、ちゃんとタンスと鏡台くらい
買わんといけんじゃろう」とおばあちゃんが言ってくれて、
恩師が経営されている家具屋さんに向かうことになった。
海岸をバスに揺られて40分、三原まで。

車窓から見える瀬戸内海は、本当にきれいで穏やかで優しくて。
他に誰も乗っていないバスで、おばあちゃんと二人左列の席に前後で座って
一緒に右側の窓いっぱいに切り取られた海を眺めた。

この時間がずっと続いたらいいのに、と本気で思った。
そうはならないから、美しいと感じるのだろう。
このシーンは、一生忘れないと思う。

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家具屋さんで、ベッドやタンスや鏡台を見て回った。
一つのタンスに目を引かれた。
見た目はいたってシンプルで、華やかさなども特にないんだけど、
開くと桐で出来ていたり、引き出しを出し入れするときちんと隣の引き出しが動いたり、
隠し棚があったり、着物が入るサイズに合わせた幅だったりとしっかりとしたものだった。
これが今時の「婚礼タンス」なのかぁ。技術をデザインが包んだ感じ。すごいなぁ。

母が結婚した頃などは「婚礼7点家具」なんてセットがあったらしい。
飾りが豪華で大きさもあり、100万円だの200万円だの出して買う人もいたようだ。
確かに、母のタンスは黒塗りで飾り戸が付き、鏡台も仏壇ほどの大きさがある。
よく「家具の大きさのために、引っ越す家を選ばんといけん」と贅沢な愚痴をこぼしていた。
そして「いつかこれはたみちゃんがお嫁に行く時にあげるからね」と言われて育った。

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家具屋さんを継いだばかりの二代目社長さん曰く、
昔、広島は“府中家具”で全国の婚礼家具の9割近くのシェアを占める
県だったそうだ。それが、輸入材の台頭、タンス離れ、価格下落で衰退し、
最盛期から現在までで、約半数の家具屋が廃業してしまったらしい。

というのも、当時、婚礼家具の利益率は実に7割。粗利益を稼ぎまくっていたようだ。
想像するに、その利益率に基いた人件費や経費を使い続けていたり
人々のライフスタイルの変化の波についていけなかったりしたところが、淘汰されたのだろう。

ついつい仕事っぽく、そんなことを考えていたら、隣でおばあちゃんが一言、
「商売は、適正価格じゃないと続きませんね」と笑った。
シンプルな表現に人生経験が集約されている気がした。本当、そうなんだろうね。

そのタンスを1棹、お願いすることにした。
幅や高さをオーダーして、製作にかかるという。
おばあちゃん、本当にありがとう。

広島で作られる、一生モノの婚礼タンス。
これまで何人の花嫁の嬉しさや緊張する気持ちを代弁してきたのだろう。

何十年後かの私は、タンスを開きながらあの海の景色を思い出して
子供にきっと母と同じ言葉をかけるだろう。

結婚式への階段、「結納」。4/19(土)11:00。広島県竹原市にて。
やはり結納はやりたいとのご希望で、結納を執り行うこととなった。
朝6:50、すっかり夜も明けた早朝に僕らは甲子園を出た。
形式だけ、と思っていたがそれはそれは立派な結納セットが組まれた。


「本日はお日柄もよく…」両家の父親がぎこちなく口上を述べ、述べてはカンペを回し、カンペを回しては口上を述べ、結納が厳かに(!?)執り行われた。
もうすでに入籍を済ませ、苗字もあらかた変更した後であったが、
タミコシを嫁にいただくのだ、と改めて身が締まる思いがした。
(ギンコウイン眼鏡で来てよかった)(笑)


その後タミコシのご実家へオヤジとともにお邪魔し、無事に今回の予定を全て完了した。
立派な結納セットは向こうで用意していただいたのだが、
立派な受書をいただいて帰ってきた。



今回思ったが、結納をやってよかった。
なんというか、大切なことだと思った。
ケジメをつける意味で。
大人として、夫としての責任を示すという意味で。


その日オレは一足先に帰った。
次の日タミコシと食べた晩ごはんは、ホテルからのお土産「めで鯛」と金粉入りのお赤飯。
とってもとっても立派な鯛で、食べるにも敬意を払っていただいた。



僕らは祝福されていて、とってもとっても幸せ者だ。
あらゆることに感謝。

結納ドットコムさん、ありがとう。
http://www.yuinou.com/
「相続センターですけど」
ふいに自分の内線電話が鳴る。
「1riverさんがコンタクトした形跡のある○×△さんなんですが、相続届が出されまして、一応連絡しようと思いました。」

その○×△さんには、2度ほど会ったことがある。新規回りをしていた時だ。
○×△さんは、100歳だった。元気なおじいちゃんだった。いつもランニング姿だった。
その○×△さんが亡くなったという連絡だったのだ。

これから○×△さんのご長男さんとコンタクトを取る。
僕らが何かしらお役に立てれば、と思って。
そこに、僕たちのビジネスがある。平たく言えば、商売がある。
割り切っていても、相続人の方々がそれによって助かったとしても、僕らの仕事の中には、
「人が亡くなった時」に商売が生まれることも、ある。それが現実。

自分がする仕事の中で一番誇りを持つ仕事と思っている。
同時に、一番悲しい思いになる時でもある。


この感覚、絶対になくしたくない。
今日、近江鉄道に乗ったら
切符が「カチャン」と切るのからスタンプに変わっていた。

ちょっと寂しかった。
世の中の学生さんが就職活動をしているこの時期、反対側で僕たちは採用活動をする。
この時期に学生さんに仕事の話をしてあげたり、学生さん達の「御社で働きたいです」といった感じのするキラキラ光っている瞳を見ると、自分自身社会の中でこびりついた錆みたいなものがボロボロと落ちていく思いがする。
いい意味で、いつもリフレッシュさせてくれているのだ。


さて今年の学生さんは、我々が言うところの「パンチ系」といわれる学生が少ないように思う。
冷静というか冷めてるというか。情熱を感じさせない。
学生さんは総じて「イイ子」たちで、非常に人間的に魅力ある学生さんばかりだ。
しかし裏を返すと、「個性」を感じられないのだ。
なんというか、「自己主張」が強い子がいない。
なぜこの仕事をしたいと思っているのか、よく分からない。
「のれんに腕押し」「ぬかに釘」といった言葉がピッタリ当てはまる感じ。
打っても響かない、非常に優等生タイプ・いい子ちゃんタイプの学生たち。


若者よ、おさえ切れられないあなた達の”衝動”はどこへ行ったのだ?
GOING STEADYを、銀杏BOYZを、サンボマスターを、ガガガSPを聞いてくれ。
感情むき出しの音楽に触れ、何を感じたか!?
せめて、入社してからギャップを感じて辞めないよう、今のうちに僕たちの姿をよく見て、ここでなぜ働きたいと思うのか、確固たる強い思い・情熱を形成してくれ。


少しだけジェネレーションギャップを感じた2008年春なのでした。