「大学院入試はすべての人に門戸を開け」
文部科学省は生涯学習に関して「人々が、生涯のいつでも、自由に学習機会を選択し
て学習することができ、その成果が適切に評価される」環境を作ることを謳っている。
しかし、この政策はお題目だけに終わっていると言わざるをえない。
友人のA君は、働き始めて35年以上、充分な実務能力を持った社会人である。もう60
歳近いので最前線の現場を離れて後進の指導を仕事にしようと考えた。
その際、後進の指導をするにはもう少し系統的な勉強をせねば、と、A君は「大学院に
行くこと」を思い立った。しかし、A君は残念ながら大学中退である。受験資格がない
のではないかと心配になって各大学の入試要項を調べてみた。すると、その資格の中に
「大学卒、あるいは修士卒に準ずる能力があると本学が認めた者」と記してあるではな
いか。A君は欣喜雀躍した。本人のこれまでやってきた仕事の範囲なら、充分、修士以
上の能力を持っていると自信があったからだ。
選んだ大学院は一橋大学社会学研究科、筑波大学人間総合研究科、早稲田大学文学研
究科、上智大学文学研究科、成城大学社会イノベーション研究科である。求められれた
書類を出して受験資格があるか尋ねた。すると意外なことに、国立の一橋と筑波は受験
資格があると認めてくれたが、早稲田と上智と成城は「大卒でないから」という理由で
受験資格を認めてくれなかったのである。実に奇妙な理由と結果にA君は戸惑った。「
準ずる者かどうか」尋ねたのは、大卒でないからである。大卒でないと認めないのなら
「準ずる者」などと書かなければ良いのに。そうA君は思ったのである。
この話を聞いて、僕は大検のことを思い浮かべた。18歳を超えていて、大検にさえ
受かれば、誰でも、どの大学でも受けられる。つまり大学はすべての人に門戸が開かれ
ていると言えよう。ところが大学院になると、大検のような制度がないため、高卒であ
ったり、大学中退であったりすると、救われないことになってしまうのである。大検が
ない代わりの「準ずる者」制度なのではないか。「大卒でないと受験資格がない」とい
うのは理由にならない。私立の3大学は「準ずるかどうか」を審査さえせず、門前払い
したのである。これは「生涯学習の推進」という観点からも感心できる措置ではないと
思う。
勉強したくなったときに勉強するほど効率が上がることはない。A君がそれに当たる
。ところが、受験資格がないのである。大学院はそうした門前払いを止め、ある一定の
年齢を超えればという条件付きで良いから、全ての人の門戸を開くべきである。「準ず
る者」に当たるかどうかは試験を受けさせて判断すれば良いのである。それが書類審査
であっても構わないだろう。A君のような勉学の志に燃える人を掬い上げていくことこ
そが、生涯学習の一つの役目であり、増え過ぎたと批判をあびる大学の仕事なのではな
いか。
ちなみにA君は受験資格がもらえた2つの大学に落ちた。しかしそれは決してA君の意
欲を減じさせることには、なっていないのである。