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メディアの思うツボ

結局そうなる、メディアの思うツボ女子の話

昨年12月、祖父、通称じいさんが亡くなりました。
その週末に遊びに行くって言っていたので、残念無念。
死んでから遊びに行くよりは、生きているときに遊びに
来てほしかったよね。
心からそう思う。
ごめんねと、死んでから後悔は募ります。
それは残された人はきっと誰も思うことなんだよね。
私もその一人になりました。

ですので、喪中につき新年のご挨拶は控えさせていただきます。
ですが、今年もどうぞよろしくお願いします。
ちなみに今年、アラサーからアラウンドも何も、ジャストサーティになります。
何も変わらないんだろうなぁ。

そうでした。じいさんの話です。死んだじいさまの話です。

金曜日の夜、じいさんはどうやら風呂の中で脳出血になったようで、
だんだんと意識が遠のいていったのです。
連絡を受けて私とかあさまとかあさまの弟、すなわち叔父、そしてその叔父の長男、
ちなみに従兄弟と雪降る道を病院へと向かったのです。
その時間2時間超。
普段でも長い道のり、雪でスピード出せないわ、混んでるわ、
母曰く「なれてるから」とのことでかなりのスピード出すわ、こわいわ。

なんやかんやで病院に到着すると、母の妹、すなわち叔母や親戚がいました。
祖父は、集中治療室へ。
すでに頭の中は血だらけ。もう手術も出来ないと言われた祖父は、
目も口も開かない中で必死に息してました。
でも、分かるんですよね。左腕が一生懸命、話していました。
手を握って、肩を触ると「分かってるぞ」と言わんばかりで、
動かしていました。
そこは筋肉マッチョなじい様、さすがでした。

次の日、土曜日、いっぱいじいさんの親戚来ましたよ。
もう左腕も動かないけど、一生懸命息していました。
みんなが来ると、なんと血圧が正常値に!おお!人好きなじいさん!

私、安心したんですよね。
その日の夜、未明にじいさま、静かに死んだのです。
私、安心したんで、一旦実家に帰ってのことでした。

あ~、、、大好きなじいさまです。
これからも私の中では生きているんです。
死ぬか、普通。生きろよ、あと5、6年わ。悲しむでしょ~!

と、悲しい話ですが、ここにはちょっと不思議な話がくっついています。
土曜日、いっぱい人がじいさんのところへ行きました。
その中には、じいさんの姉さんの娘、母にとっては従兄弟、すなわち私にとっては
遠い親戚が、じいさんの病院の帰り、5歳の孫のところへ行ったらですね、その孫が
「おばあちゃんの後ろに白髪のじいさんがいる」
と言ったのです。
もちろん、遠い親戚は振り返っても見えません。
なんか予感があって、そしたらその夜、じいさま亡くなりました。

人好きなじいさんだったから、特に子供好きだったから、ついていったのかな。
こらこら。じいさまめ。

そして、葬式の日です。
田舎なので、近所やら、何やら、誰やらいっぱい人が来まして、
近所の公民館を借りて夜ご飯食べまして。
そしてまたまたじいさんの弟の娘、すなわち遠い親戚が、家に帰る車の中で、
「よくやってけだなあ」(=よくやってくれたなあ)
とじい様の声を聞いたのです。あまりに自然だったので、その人も
「ほになぁ~」(=本当にね~)
と答えたほどだったとのこと。
おいおい、自然か?
その後、また小さな息子を迎えに行くと、その息子がまた、
「お母さんと一緒に白髪ではげたじいちゃんが一緒に(車から)降りた」
と言ったとのこと。

こらまたじい様。なんで子供なんだ。
その前に葬式にちゃんとおらんかい。

そんなじいさんです。

よくある話かもしれないけど、そういうの聞くと、肉親としては、
なんだか微笑ましいような、安堵するような、なんだか感慨深いですね。

田舎なので四十九日まで、死んだ曜日にはお墓に参るしきたり?があります。
今週末もお墓に行ってきますよ。
待ってるかもしれないですから、じいさま。
ちなみにじいさまとは呼んだことないですよ、
一応仏様になりましたので、敬意を表して「様」をつけております。

ね!じいちゃん!

あ、ここでじいちゃんの言葉で覚えていること。
「嫌な仕事にはつくことはない。いいんだから、やめろ」
です。いいのか、この不景気に。
まあ、よっぽど嫌な顔してたんでしょうかね。
あとは
「厚生年金かけてもらえるところに就職しろ」
です。
まさに経験者は語るですね。

心に留めて生きていこうと思います。
じいちゃん、仕事そのものが嫌なんですけど、やめていいのでしょうか。