啓蒙思想


ちょっと敬遠しがちな硬い用語だが、簡単に言うと、権威を否定し、合理性、人間性を尊重する、といった17世紀末の英国からの近代思想だそうだ。


この思想から、結局、世界戦争と、グローバル化や新自由主義といったリベラル思考、今だけ、金だけ、自分だけ、へと繋がっていると私は考えている。


この一見すると「聞こえのいい」思想の呪縛こそが、封建制から民主制への変革の反面で、近代から現代を牛耳っている「諸悪」の根源だと思っている。


今だに「自由で開かれた」や、国家の関与や規制を撤廃する「小さな政府」を最善とする信者は多い。


人間の合理を野放図にすれば、所詮「個人の私利私欲」にしか帰着しない。


実は、第一次世界大戦直後から、この思想の限界を察知したケインズなどが「強奪」や「力」ではない別の方法を模索したのだが、権益と強い米国の陰に隠れてしまい、結局2度目の世界大戦が起こった。


米国に敗戦し、米国の「正しさ」に隷属する形になった日本は、米国を模写すれば間違えないと盲目的に突っ走って、今だにその隷属意識は何も変わっていない。


合理性と人間性を尊重する、これだけを聞けば問題がないようにも思える。しかし、それのみでは社会が個人主義や市場原理に走ってしまう。格差社会に象徴される結果は現在のとおりだ。


強い私欲はより強大になり、弱い私欲は淘汰される。


淘汰された「弱者」は、自暴自棄な反社会的になるか、解脱して覚醒するかしか道はない。できれば後者の方が助かる。


ただ、勝ち組的な強者は、一時的には満たされるかもしれないが、欲得はすぐに枯渇して永久に満たされることがない。こちらはこちらで問題が厄介だ。


「無限地獄」の本質は、この事だと思っている。


例えば土地だ。民族の生命でもある「土地」を個人所有の市場原理に放り投げている。それ故に、誰でも、例え外国人であっても「お金」で売買できてしまう。


悪意を持った組織や国家ぐるみの「個人」を装った人々が、日本の国土を買い漁っても誰にも止められない。例え、基地の横であろうが、原発の隣接地であろうがである。


こうなれば、人々が不平と不満、疑心暗鬼に満ち、怒りと不安と恐怖だけが支配する社会が訪れる。


その一方で、人はお金だけが頼りになり、競争や市場原理などと、さももっともらしい「正義」をかざして、結局途方もない格差社会が生まれる。


人々がそこにも不満を抱き、国内で消化できなければ外国や他民族を非難し始め、それが国粋主義へと変貌して、やがて戦争へと波及する。


戦前のドイツや日本もそうした「困窮」や「格差社会」と「異人」が火種となっている。


現在と似ていないだろうか?


啓蒙思想の呪縛から離れないと、このスパイラルはいつまでも続く。


資本家や富裕層、それを規制しない為政側は、この危険な状況が理解できずに、ひたすら現状維持と前例踏襲を続ける。


戦前のドイツにとって、標的となる資本家や富裕層はユダヤ人であり、日本での標的は規制をしない政治家であった。どちらも殺戮という手段で最悪の結末となった。


今の日本では、相変わらずの政治家に加えて、財務官僚、経済学者、経団連などの財界人が標的であろうか。


一方で、行き過ぎた思考により、東大卒エリートという、ポピュリズム批判の形で大衆蔑視の「奇怪」な封建制も見え隠れしている。


世界でもDSといった「エリート集団」が、世界経済フォーラムとぬかして、やれ脱炭素・気候変動、自由化・民営化などと世界を振り回している。


いずれにせよ、全ての社会システムに限界が生じ、人々の絶望だけが覆う世界になる日も近い。既に大本山の英国や米国市民が覚醒し始めている。


打開策は各国で模索しているが、まだ現状認識がやっとの状況で、おそらく直ぐには見つからない。何せ、考える人自体が呪縛にどっぷり浸かっている。


政治的な右や左の論争も、起源はこの思想だ。そう簡単に呪縛が解けるような話ではない。


またこの思考で、人間中心の思考である自然VS人間とする二元論を生み出している。決して脱炭素は解決方法になり得ないし、人間は自然の一部でしかない。


「都合よく」地球環境を人間がどうにかできると思う事自体が、この呪縛から生み出される単なるエゴでしかない。


ここからは真剣な意識変換が必要だ。AI、気候変動、LGBTなど、小手先の茶番で誤魔化している場合ではない。


一つは民衆が良識化され、無欲化した大衆の方が「正しい」となれば、少し状況が変わる。日本では西洋化する前にはこの「雰囲気」が残っていた。


同調圧力や連帯責任などという言葉で、悪しき古いしきたりとして揶揄された。


脱線するが、電気系統も再エネのような少数の「不安定」電源を入れると、安定化させる為に更なる「待機」や「予備」を用意しなければならない。でなければ「共倒れ」というブラックアウトに陥いる。


最悪の場合、電力供給そのものが不能になる。


マイノリティを必要以上に「過保護」にさせると、組み込まれたマジョリティ側の負担が大きくなり、仕舞いには共倒れを起こす。自然の摂理とはそうしたものらしい。


我々が呪縛から覚醒し、賢くならなければ時代も変わらない。世界の市民全体もそうあった方がいいし、その兆候は見え始めている。


少なくとも、郷土や同胞同士、老若男女問わず排除して見捨てるような「愛」のない分断社会では叶わない。


今だけ、金だけ、自分だけ。


これを放棄するだけでも随分と違う未来がある。


決して、グローバル化で世界中の人々がおてて繋いで仲良くといった「妄想」は、啓蒙思想からは達成できないし、まだまだ遥かに遠い先の話だ。


少なくとも、個人主義的な発想で人や物の障壁を無くしてしまうと、おててを繋ぐどころか、単に犯罪や疫病が蔓延するだけの事だ。


かつての欧州がそうであったように、礼節も尊厳もないインバウンドの観光客も単なるオーバーツーリズムの害悪に変貌する。


そんな事より先に、同胞同士がおてても繋げない分断思考からの脱却を持って、足元の状況から変えた方が得策だろう。


不毛な競争やハシゴ外しも、実は高学歴エリート達だけが好き好んでやっているに過ぎない。


できるだけ正確な民族の歴史に基づいた「哲学」が足りていないと、啓蒙思想による私利私欲だけが哲学だと勘違いしてしまう。


これができない財界人や為政者に全てを任せるのではなく、大衆で社会を創り上げる必要が出る。日本ではこのハードルが最も高い。


ただ、時代は確実に呪縛からの脱却を模索し始めている。それだけ「覚醒した」世界人口が増えた証拠だ。


そこに僅かでも希望を見出せると思っている。