ポンコツ


40代の壮年期に差し掛かる世代にポンコツが増えてきた気がする。主に男性が多いが、女性もなかなかなものだ。


もともとポンコツは60代の初老期の下品な「オヤジ」に多かった印象だったが、それから10年くらいの月日が経過して、今やその子供の世代なのだろうか。


何なら小中学や高校の10代にもポンコツが増えている。ここは孫の世代とも言える。


世代が分散されると「全世代」のようにも見えるし、事実特定の世代だけの話ではなく、レッテルも含めた先入観もあるのかもしれない。


元の世代は団塊の世代と呼ばれている。


人を押し除けて、順番を守らず、ともかく我先へと急ぐ。車でも不必要に煽り、車線をちょこちょこ変える。誰が見ても必要など何処にもない。


断定はできないが、ADHDや自閉症の症状にも似ている。かつてはそんな診断名がないので、そのまま大人になった可能性もある。であれば、周囲への配慮は不可能に近い。


そうでなくとも、競争社会、物欲・お金主義の中で、そうならざる得なかった、とも考えられる。のんびりしていると、周囲は意地悪く先を越して得意顔で自分を蔑み、自分だけが大損する、と考える思考回路だけを幼少期から鍛えている。


そして、必然的に0か100かの極端な思考回路になる。「曖昧さ」は、かえって不安定さを助長してしまい、その思考自体に耐える事ができない。


ポンコツだらけの世の中になる予感は、既に30年前くらいから感じていた。少なからず、私自身にもその片鱗は何処かにある。


結果として、疑心暗鬼だけが優越し、日本で日本人が夢を見ることができない。世の中に幻滅してしまう。虚無や絶望が人生を覆ってしまう。


考えると憂鬱になるので、考える事をやめてしまう。すると、大人になる事を無意識のうちに拒絶し、大人になれない大人が増えてしまう。


今だけ、自分だけが損をしていなければ、他はどうでもいい。だから意思として何も考えない。投票率の低さもほぼこれで説明がつく。


ただ、彼らも好きでポンコツになった訳では無いだろう。


この原因に、日本人が日本人たる誇りや自覚が無くなり、自分が安定できる立ち位置がわからなくなっている事があると考えている。


不安や恐怖が甚大なストレスを生み出し、それが本人と次世代の脳へのダメージを与えたと考えている。


75年以上前の戦争体験が、遺伝子を経由して現在にも大きな影響を及ぼし続けている。


戦後、不安と恐怖のはけ口から、極端な戦争反対論が絶対正義の象徴として暴走した。日本人自身が自虐的な歴史史観を作り上げ、一斉に戦前までの日本を否定し、西洋を崇拝するよう、自ら進んで洗脳した。


その結果、日本にあった古来からの伝統や文化、そして教義が、全て「古臭い」と言ってことごとく破壊された。


東京都心が高層ビルや構造物で原形を見失うほどに様相を変貌させた。


今頃になって、その「大罪」に気がついて、復元させようと元に戻しているところすらある。


一方で、今だに気が付かず、その思考から抜けきれない箇所では、神宮外苑の木の伐採ですら再開発優先で平気で行ってしまう。


お金儲け優先で事を進めると、人々の心を深く傷付け、虚無や絶望を生み出す要因になるとは考えていないようだ。


西洋的なのか、それが近代化なのかはわからないが、ともかくそこに日本人としての、武士道にも通ずる「正義」が微塵も感じられない。


そうなれば、個人の生活も正義は失われる。


嘘をつかない。真面目に事にあたる。迷惑をかけない。順番を守る。親や家族、自分より弱い者を慈しむ。身の回りを汚さない。人を貶めない。必要以上に搾取しない。


どうであろう、かなり失われていないだろうか?


ほぼこれと「真逆」のことをしないと所得を得られないような状況にないだろうか?


であれば、今後もポンコツは増え続ける。


ただ私は、本物の真のボンコツとは、次のような論理を繰り返して辛うじて地位を保っている経済「専門家」とされる無責任な経済的優遇者達だと考えている。学者、マスコミ、評論家、そして国会議員と高級財務官僚。 


信用創造による貨幣論を半ば理解しつつも、これまでの言動に縛られて間違えを認めるわけにはいかず、議論をずらす事に一生懸命に知恵を働かせ、不毛な議論で国家が財政拡大する事にブレーキをかけ続け、そのせいで日本が衰退に走っている事に見て見ぬふりをしている。


なりたくもない人達が経済的理由から「ポンコツ」にされていき、正真正銘の「ポンコツ」が間違えを修正できずに国を崩壊に向かわせている。


この人達は、親の期待に応え続け、煽て褒められ、反抗したり脱線する事なく「望んで」ポンコツになっていった。


困った事に、「サロン」として同じ境遇にある「ポンコツ」同士としか付き合わず、間違えを修正する事が自己否定と同意語だと信じている為に、他との接触を自ら避けている。


間違えを認めれば、本人の人生そのものが否定されると本気で信じている。少なくとも、現在の地位は無くなると思うのだろう。


学歴「だけ」で人物評価を続けた価値観こそが、真の「ポンコツ」の正体だと考えている。


嘘をつき続けるより、一時期の恥や外聞を乗り越え、真の挫折という自己崩壊を経験して、正しくやり直した方が、人生がよほど豊かで「楽」になると思うのは私だけだろうか。


ポンコツとは、それを「しない」人の事だと思っている。日本にずっと住み続けている寄生虫だ。


全ては日本の正義を自ら放棄し始めた明治以降から増殖した。


ただし、誰もなりたくてなっている訳ではないと信じたい。そうでなければ、この国から一切の希望を失ってしまう。


お金、学歴、血統、これらがポンコツの元凶なら、無効にする方向が国を蘇らせる事になるのではないだろうか。


社会の平穏を望むなら、ポンコツは一人でも少ない方がいい。