災害大国


年始早々能登での大災害や羽田の事故が発生し、少なからず国民への精神的ダメージを与えている。


何よりも、何度も繰り返される大震災である。私の生涯で、阪神淡路、日本海中部、北海道、熊本、そして東日本の5回目の大震災だ。


ただでさえ、消費税減税もトリガー凍結解除もせず、コロナ禍直前の消費増税とコロナ禍で負ったダメージを回復出来ずに、経済弱者がどんどん弱っている。


こういう時には「ショックドクトリン」、すなわち庶民の動揺に便乗した即決型の悪政が蔓延りやすい。


「泣きっ面に蜂」の上に熊が出てきたような災難が続いている。


非常事態になると、この国の脆弱性が露見する。


地方公務員の数が足らず、インフラの復旧も民営企業任せでは、どうしたって時間がかかる。


特に今回は「正月」で、誰もが休暇中の状態だ。初動の遅れは否めないであろう。


だからこそ、発生してからさもやってる感を演出するのではなく、災難の悲劇を最小限にする為の普段からの「前準備」こそが政治の最大の目的であろう。


準備が何もなかった証拠は、一気に噴出する問題を矢継ぎ早にマスコミが煽り立て、スケジュールや優先順位を示さないまま、いつになるかもわからない散発したショボイ支援策だけがダラダラと垂れ流される。


今回はそれがいっそう酷い。


平常時は、一見すると「無駄」に見える施設や備蓄は、災害拠点として周辺住民人口に応じた設備にしておく必要がある。


それを「指揮」する公務員数は、役割分担出来る程度の人員を確保し、何よりインフラ系は民営ではなく国営化しておく。


災害大国ではごく当然の話だ。日本に比べて災害の少ない国の政策をモノマネした所で上手くいくわけがない。


それでも末端の日本人は至って真摯であり、誠実な人達の「見えない力」で、この困難な状況が支えられている。


広域災害の初期段階で問題になるのは、道路、上下水道、電気である。


幹線道路は、沿道に建物を建ててはいけない。崖面やトンネルの箇所は、上下通行路を分離しておく。そうした幹線道を市町村中心部まで必ず2方面からの接続を設ける。


2方向道路が同時に被災する可能性がある場合には、普段から海上輸送ルートを設けておく。


上下水道と電気のラインは、幹線道路に併設しておく。それ以外に、応急仮設用設備を各地区で保有して、非常時には当該地区の全ての設備を集約して空路等で運送する。


限界はあるだろうが、目標は「最小限の災難」にする為の準備だ。


ただ私は、実の一番の問題は、無節操な「都市開発」を謳う不動産事業のあり方だと思っている。


この事業は、過去を含めた日本人の生命の源である「土地」を金儲けの道具にしてしまう、蛮行と言っても過言ではない。


政治も、不動産事業者の土地開発は「利権」があって「放任」している。


一番良い例が、主要幹線道路に直接面している大型店舗や住宅地の存在だ。そこは、路線価格が周辺に比べて高くなる。


最近では、臨海地区の「タワマン」が湾口地区の流通を止めてしまい、脆弱な地盤と共に、空中に取り残されるなど最悪の事態を招くと考えている。


非常時には、大型店舗や住宅の倒壊による瓦礫が幹線道路を塞ぐ可能性がある。首都圏の幹線道路は十中八九麻痺するはずだ。


幹線道路に異常に連続する交差点があるのもおかしい。こんな「作り方」をしているお陰で、かえって何重にも道路を作らないと対応できない負のスパイラルに陥っているのが現在だ。


平地の少ない国で、これこそが無駄であり、国益の喪失に他ならない。


鉄路は道路よりも先に過去一生懸命に整備したはずのライフラインだが、恐ろしくも次々に「廃線」して喪失している。


ここには「哲学」が必要だ。人々が日々を豊かで精神的なものを含めて健康的に生活できるよう、平時と非常時の両立とバックアップの体制作り。


今だに、くだらない政治的思想面の相違だけで罵り合い、肝心の末端の人々の生活がおざなりにされてしまう。


ここに無制限に財政を投入しても全く無駄にはならない。個人負担を抜きに長期的な復興費用を考えれば、経済損失は極めて微小だ。何よりも、災害は1回で終わりではなく、国民の生命がかかっている。


現在は、災害支援に自衛隊を要請するしかないが、自衛隊には本来の任務があり、災害支援は「余力」が無ければ国家を危険に晒す。


自衛隊の隊員の方々は本当に素晴らしく感謝しきれないほどではあるが、そこを中心に頼る支援方法は、非常事態を全く想定していない脆弱さを露見している。


国防以外にも、警察、消防、地方自治体、インフラ復旧、各省庁の特務機関。それらが普通に機能した上での余力部分での災害支援であった方がいい。全て、平時は「無駄」だと言われるものだ。


災難は月日が経てばすぐに風化するので、常に総括して、個人の努力に依存しない国家の体制を議論し、構築していく事が重要であろう。


特に災害時の「中間」媒体となる地方組織が非常に重要だ。個人から始まり、家族、隣近所、自治会、地区、地域、市町村、都道府県の各レベルに応じて組織化されるものだ。


農協、生協、郵便局のような組織体が、実は最も最適な中間媒体となりうる。決して、地方では脆弱なコンビニではない。


ここに、今だけ、金だけ、自分だけ、で物事を構築してはいけない日本ならでは理由がある。


当たり前は当たり前ではない。


政治的な社会システムがデタラメな中でも、具体的に行動されている自衛隊、警察、消防、現地自治体の方々には本当に感謝しかない。


そして、とても辛い想いをされている被災地の皆様に、一日も早く「平穏さ」が訪れる事を祈るばかりだ。


何よりも、国家を脆弱にさせた「無駄」批判と緊縮財政を一刻も早く是正させ、当たり前の国家にする事が我々国民の使命であろう。