伊能忠敬


50歳を過ぎてから、精巧な日本地図を作成した愚直な努力家として、賛否両論はあるだろうが、概ね評価されている人物だ。


17年の測量と実際の全国地図が完成したのは、彼の死後3年後であった。


無論、彼一人が行ったわけでは無く、様々な人たちが支え、最終盤の測量や完成まで完遂する所は彼抜きで行っている。


そういう意味では、「チーム伊能忠敬」として評価した方が正当なのだろう。


生誕地の千葉県佐原にある記念館には、入口にデカデカと作成された日本地図が展示されており、実際の衛星写真と比較され、その精巧さに驚嘆させられる。


差異があるのは、衛星写真では地球の球面の影響で、東日本の北西方向への傾きがあるのに対して、伊能地図は直線的な点だ。


おそらく、これは実測中でも天体位置との「誤差」に気がついたかもしれない。それでも何処かで「決断」して事を進めなければならない。


実地測量の困難さや苦悩、現地でのトラブルなどを想像するだけでも、現代人には到底足元にも及ばない。


何せ、実測した「ベクトル」を細かく接続する事で完成させるのだから、こんな地味で地道な積み重ねの作業は、特殊な能力のある人以外、現代人では真似できない。


真の理系の研究にも似ている。


パワーポイント的文系思考や、膨大なデータを無機質な機械的に「処理」する現代では、一つ一つのデータの意味する所を十数年かけて分析するなどは到底できない。


結果が出るまでに20年くらいかかり、その間は成果の成否は部外者にはわからない。


何より、そんな財政は許されていない。


現在の財政は、とにかく単年度予算で、1年で成果が出なければ、継続はあり得ない。


こんなやり方では、まともな「研究」などできるわけがない。


やる前から結果の見えているものしかできない。それは特別な人で無くともできるし、何より、やらなくても結果が同じものばかりだ。


現代人が地味で地道な作業ができないばかりか、拙速な成果だけが求められ、期待したものが出なければ即停止する。


今だけ、金だけ、自分だけ


もう一度、チーム伊能忠敬の「偉業」を作業者のみならず、事業主である幕府役人やリーダーの老中・将軍職を含めた考察も必要であろう。


おそらく、嘘やハッタリをついてでも、事業完遂に人生と生命を賭けた「闘い」があったはずだ。


1800年当時であっても、海外からの脅威を覚えつつも、地図作成に途中で頓挫させるネガティブな横槍が勘定方からはあっただろう。


でも結果は完成している。


ここに「武士道」精神があったと見るのは安直すぎるだろうか。


現代人との違いは、正しい物事を貫き通す精神性であり、正しくなければ腹を切る潔さなのだろう。そこに人生をかける美学があったのだろう。


全部が全部良い面ばかりではない。啓蒙思想の観点からは、腹切りは邪道であろう。組織のために個人が犠牲になる社会は許せないであろう。


組織や大衆が「悪」で、個人が「善」である前提だ。


しかし、国民の理性がアップデートして、大衆が良識化すれば、少し事情が変わってくる。


ちょっと話がズレたが、大衆の良識化こそが未来を変える原動力になるかもしれない。


無駄は無駄ではない。拙速な結論は求めない。


効率化や時短に慣れた現代人がこれらを取り戻せるだろうか。できなければ真の未来は難しい。


チーム伊能忠敬の偉業から学べる事がある。