自由と社会5
延々と同じテーマで違う視点を思うままに並べてきたが、おそらくもっと違う視点もあることだろう。
幅広い問題は、全ての解決はほぼ不可能なので、どこに焦点を絞るのかで方向が分岐される。
我々日本の庶民にとって最大の問題は、個人の労働による対価だけではまともに「生活」ができないという事実である。
どうしても夫婦なら共働きをするしかないので、幼い子供達は容赦なく他人に預けられる。
こんな時代が30年単位で続いているのだから、家庭という国家の基本単位が作れなかったり、いとも簡単に崩壊してしまったりする。
制約の大きな原因は不動産価格だ。
この30年実質が下がり続けている個人所得の年収中央値が400万円なので、せいぜい月10万円が最大値と考えると、住宅ローンと労働期間から返済期間を35年と仮定して、一生涯で4200万円がおそらく精一杯の額であろう。
この額と比べると、ごく平凡なものでも1.5倍付近の価格帯で設定されており、どう考えても「異常」すぎる価格差が生じている。
一生涯かけて支払いきれないほど、途轍もない格差社会の象徴でもある。汗水流している庶民が背負わされている不自由の象徴と言ってもいい。
それが労働の動機付けだとする意見がかつてはあったが、労働だけでは支払えないという怒りにも似た絶望に加え、私は我々の母なる国土の切り売りが、果たして正当なことなのかどうかに大いに疑問を持っている。
それにも増して、衣食住という人の基本消費が完全に崩壊しているのだ。これでは「国家」ではないだろう。
試験的ではあるが、スペインだったと思うが、村が土地を全て所有し、住民は皆、村の「借地」に居住するという試みがあった。
単純にはいかないかも知れないが、個人所有を無くすことが一つの答えではないかと思っている。
日本では、都市部近郊の山谷を切り開き、分譲販売して出来上がった、無機質な画一的の「何でらタウン」が無造作にあちこちにある。
同時期に分譲しているので、40年も経てば徐々に廃墟に変わっていく。
戦前から続いていた大きな土地は、どんどん切り売りされ、二度と同じ大きさに戻ることがないほどに細切れ密集地ばかりが増殖している。
おかげで、野良猫の居場所はなくなり、どこにも隙間がないので、大規模な火災や自然災害が発生すれば、地域で全滅する可能性がある。
この土地開発事業は、正に自然を搾取し続け、膨張することしかできない資本主義を象徴する諸悪の根源だと思っている。
結局のところ、「オオカミ」の自由とは、不動産取引の自由と言っていいのかも知れない。
何故、我々やこの国土に息づく生命の根源でもある「土地」を自由に切り売りするだけで、莫大な「お金」を稼いで良しとするのだろうか。
この厚顔無恥の状態は、我々の哲学には到底そぐわない。不動産取引が、侮蔑すべき事業だと思わないだろうか。
でもこれも、「持てるもの」からすれば、生計の根幹なので、疑問にも思わないだろうし、何より大企業を含めて、日本の個人資産に留まらず、GDPそのものを不動産が支えている。
呆れてしまうのは、製造業の大手企業でも、本業そっちのけで、不動産で「生計」を立てている始末である。
そこから得られる利益が、政治資金にもなっている。だから政治家は、これを規制する方向には決して動かない。
何よりも固定資産税が地方自治の最大の「収入源」にもなっている構造的な「欠陥」が、ここに拍車をかけている。
居住者には全く関係のない路線評価で資産額を決め、相続にも含まれ、世界的にも古く共通している理由が正当性を担保させる税金が、公共で管理している「つもり」にさせてしまう。
これが庶民に不自由を課してでも、税見直しや規制、国家管理に向かわない大きな理由であろう。
一方で、土地を巡る争いは、日本のみならず、世界中の人類の歴史でもある。
それを争うよりは、お金で解決する仕組みの方が平和だと思ってここまで来たが、それがあまりの格差拡大で、不自由の根源になっている。
それどころか、膨張する事しか出来ない資本主義社会の欠陥を「注油」し続けるアクセルでもある。
その逆になる不動産価格の崩壊は、資本主義社会の崩壊にも繋がるのは事実であるが、同時に格差社会の崩壊でもある。
ただ、市場経済自体が崩壊するので、住以外の生活必需品の売買ができず、そもそも雇用が無く、労働ができず、収入も無くなる。お金で何でも交換できる「信用」取引すら崩壊するだろう。
拡げた風呂敷を簡単には畳められない。
段階をつけて少しずつ縮小させるか、国家が買い取るなどして不動産取引に規制をかけるか、いずれにしても放置したままであれば、格差は拡がり、益々状況は深刻になっていく。
最初は「持てる」ものであっても、搾取できる「持たざる」ものがいなければ、結局は自滅していく。未婚や人口減がもたらすが、少しずつ下から共倒れが起こる。
異国人に占拠され、誰もこの国に住むことができない状況になる。
杞憂であって欲しいが、こんな想像が頭をよぎり、不動産販売のチラシを見るたびに心が乱れている。
資産運用に不自由を強要する事になるが、自由市場や部分的な規制ではなく、国土は全てを国家の管理下に置く方がいいと考えている。
これが「大きな政府」が必要とされる理由であり、政府が市場を野放しにしかできないのなら、国家そのものが不要にしかならない。
我々庶民の最大の不自由とは、国家が何ら機能せず、不要になってしまう状態である。