ネガティブ思考

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ネガティブ思考


若い頃は、絵に描いたようなネガティブ思考であった。


どんなに嬉しい、楽しそうな事があっても、「本当にそうなのだろうか」と良からぬ想像ばかりを張り巡らせていた。


周囲の知人達も一緒にいるのが嫌な時もあったのだろう。何人かの人からは、そんなに暗く考えなくても、と注意を受けたこともある。


口から出る言葉にも、嫌味や毒っ気のあるものばかりであった。


その後、社会人となっても気質は変わらず、仕事の見通しや重要な事案でも、わざわざ良からぬ想像ばかりを張り巡らせていた。


それから紆余曲折があり、年を経てみると、良からぬ想像すること自体が面倒になってきたのもあるが、それ以上に思考自体が大幅に変貌している。


何せネガティブ思考は、全方位であれもこれも「想定」に組み込むので、頭をいつもフル回転させねばならない。


酷い時には、回し過ぎて眠れない夜も何度か経験した。


当然ながら、泣きっ面に蜂の状態で、加えて熊も飛び出てくるような状況下になると、眠れない日々が続き、大きな精神的ダメージと鬱を発症した。


それで「どん底」まで行き着いたのか、これはネガティブな思考が積み重なって、わざわざ自分自身が「災い」を招き寄せてしまった結果なのではないか、と疑い始めた。


究極的な多重のネガティブな状況から生まれた「ネガティブ思考」のおかげで、逆にプラスの方向に反転し始めた瞬間でもあった。


マイナス✖️マイナスはプラスになる。


ここからは、突如として傾向が変わり始める。いわゆるこれが「覚醒」なのであろう。


ただ簡単に思考は変わらないので、災いを寄せ付けないためには、まず自分の脳内の言葉を改めるようにした。


頭の中にはネガティブな想像が回っていても、脳内で無理矢理にでも、今ある幸せとそれに対する感謝を常に「想う」ように心掛けた。


結果、いつの間にか、口から発する言葉自体が変化し始め、今まで気にも留めなかった周囲や人を見る目も変わった。


結局は、全てを「見えてもいない」社会のせいにして、ネガティブになるように自分自身が仕向けていただけだったのだと確信した。


ただ、ネガティブな思考は、暗く悪い事だからと言って完全否定する話でもなく、ある種の「危機管理」として機能させれば、驚くほど役に立つ事も同時に理解できるようになった。


きっと、幼少期には親から受けたネガティブ思考による「成功」体験があって、学習して脳に組み込まれていたものなのだろう。


要は、自己防衛の為の思考だったのであり、それ自体を完全排除してしまうと、今度は事故が多発して痛い目にあってしまう。


ネガティブ思考を「悪い事」だと決めつける事自体がネガティブに作用する。


時が流れ、それら頑張って思考していた若気の自分も褒めてあげたい。


そのおかげで、良い事も悪い事も全てが今の私の肥やしになって支えてくれている。


たまにふと出てくる「良からぬ想像」にも、「心配してくれてありがとう。でもこれは大丈夫。」と自分に言えるようにもなれる。


仲良く付き合えれば、これほどの「武器」はない。


ネガティブ思考様さまである。