私は、人に対する好きと嫌いをはっきり言うことができなかった。

 

 

 

 

なぜ、こんなことわざわざ言うのだろう。

 

なぜ、こんな言い方するんだろう。

 

 

意地悪な言い方、やり方だなぁ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

何度もその人に対して感じていて、

 

何度もやっぱりこの人は、合わない、無理だ

 

 

と感じていても、

 

 

 

同時に

 

 

 

でも、そんなこと感じてしまう私がおかしい

 

そんなこと感じてしまう私が変だ

 

 

だから、そんなこと言われたりしても、

 

私が我慢しないといけない。

 

そう思っていた。

 

 

 

・・・・・私は病気か?笑

と今なら思う。

 

 

 

 

 

私は、私の感覚をずっと信じることができなかった。

 

 

 

この言い方は嫌いだ。

 

 

このやり方は嫌だ。

 

 

 

そう感じている自分を許すことができなかった。

 

 

 

私の感じることなんて信じられないから。

 

 

 

他の誰かが感じてることのほうが

正しい、そう思っていた。

 

 

 

私はずっと人間関係が苦手だと思っていた。

 

 

 

それは、人が相手になると、

 

 

 

相手の感じているほうが正しいと、

 

自分の感じていることを、すべて無視し続けてたから。

 

 

 

洋服なんかの好みははっきり言えるのに、

 

人の言動に関しては、好き嫌いを感じちゃダメっていう風になっていた。

 

 

 

 

 

私がそんなこと感じる資格はない。

 

 

 

 

 

 

 

・・・じゃぁ、いつから私は私であることを許せるんだろう。

 

 

 

人は感情があるから、

自分の世界を創っていけるのではないのか?

 

 

 

 

 

好きと嫌いを感じることで、

 

 

何を選ぶか決められるんだ。

 

 

 

 

他人から感じる取れることは、

 

自分の世界を創るための

 

サンプルでしかないということ。

 

 

 

こうはっきりと認識できるまで

ずいぶん苦しかった。

 

 

 

何を感じてもいい。

 

 

 

嫌だと感じたからといって、

 

それはすぐにその人への攻撃になるわけでも、

 

その人を否定するわけでもないのだから。

 

 

 

 

何を感じてもいい。

 

 

そこから私は選択し、世界を創っていくのだ。

 

 

こう決めたことで、

 

私は誰といてもこの上なく

 

安心していられるようになった。