Clear~ナース&セラピストの呟き~

・・・どんなにカレンダーの数字から目をそむけても、逃避しても、過ぎる毎日。
ふと買い物ついでに立ち寄った文具店で、来年のカレンダーを購入してしまったが故に、「もう仕方ない・・・」といい加減に観念して、今年のカレンダーの最後のページを迎えることにしました。


思い返して、最後の日記を書いて以来の2ヶ月間。
楽しいことも悲しいことも、まさに悲喜交々がみっしりとありました。
ので、とにもかくにもダイジェスト版的に、サクサクと振り返りたいと思います。




まず、10月。
月の初めの第1週目は、久々のイベント出展をしていました。
本当に久方ぶりで、ちょっと緊張wしましたが、色々なセラピストさんとの再会や交流が出来て、とても楽しかったです。
一応イベントに出た証拠写真↓
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そして、第2週は尊敬する師匠との夜のデートに出かけていました。
ちなみにその背景はコレw
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「このつぶらな瞳」に見つめられつつ、秋の気配をうっすら感じる夜風を感じながら、色々と深く楽しい時間を過ごしました。


で、その翌日には実家に帰省し滞在時間30分な弾丸の勢いのまま、母の田舎(京都北)へお墓参り兼、伯父のお見舞いに行きました。
そして、本家にて山の椎の実を齧りつつ、まったり過ごしました。



そして第3週には、同じ職場の女子会に参加。
しかも全員職種が違うメンバー。
なかなか楽しく濃い時間を過ごしました。

で、その翌日にはマイミクさんと「京都一条の妖怪フリマ」へお出かけ。
商店街の町興しの妖怪に、ちょっと本格的な仮装する行列もあったり。
数年前に初参戦した時よりは、ちょっと控えめな演出になっていましたが、それでも沢山の素敵な妖怪に会えてよかったですw

お気に入りの「お狐様」と戦利品の「一反木綿」w
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そして第4週には就業後に職場の女子が集まり、おやつレクリエーション・リハーサルをして、・・・まるで家庭科のような時間を楽しみました。
(ほっこりできる職場の空気感に感謝です)
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一応、完成品☆








そして迎えた、11月。
月の初めは、祖父の納骨に帰省。
その翌日には、地元の地場産祭りへ久々に参戦。
婦人会にて母が出展しているブースで「飛鳥鍋&五平餅」を頂きました。
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・・・と、おまけにJAキャラクターのみらい君です
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で、第2週のある日。
おそらく一生忘れないほど感動した日がありました。
それは、サプライズで職場の方が私の誕生日をお祝いして下さったことです。
本当にココロから優しくて、素敵な職場の方々感謝感激でした。
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で、で、第3週は。
ポッキーdayは職場でLet'sシェアポッキーして。
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週末には、大阪に来て初めて出来た友人方の結婚式。
・・・だったのですが、その当日に祖母が急遽、緊急入院したり危篤になったり(一応持ち直したのですが)とにかくバタバタでした。
でも、色々ありつつも結局は披露宴には意地で参加。
素敵な幸せたっぷりのお二人のオーラを浴びてきましたw
お土産に頂いたお花も、私的にキラキラして見えました☆↓
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で、後の月末は祖母の入院関連の用事や、駆け抜けた日々への自己反省会に追われまして、今に至るわけです。


駆け抜けた秋。
あっという間だったようで、振り返れば色々あった日々。
でも、ここ数年の中では、なかなか穏やかに過ごせている日々に想います。

もぅすぐそこまで近づいている来年という日々へ。
まだ今年にやっておきたいことが私にはたくさんあります。
あと1ヶ月もしたら、間違いなくそちらに行きますから。
残り少ない今年の日々を地道にちびちびと過ごす私を、暖かく待っていてください。


・・という訳で、明日からもまたちびちび頑張りたいと思います(--)ノ

残暑の日差しが少し残りつつも、確実に一日ことに秋の気配が近づく今日この頃。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

私も今月前半は、「どうしたら一番良いのか・・・?」という迷走に追い回され、自分の立ち位置と言葉で伝えることの難しさに悩み、埋もれていました(--)
でも、このまま後半を乗り越えるには、何とかガス抜きせねば・・・。
ということで、私的には半ば恒例パターン化しつつある思いつき企画「そうだ、京都(の行きたい場所のみ)に行こう」を決行しました。



ちなみに、今回は「京都市バス」を使って行ってみよう!というルールを考えてのお一人様市バスツアーになりました。


そこでまず、最初に向かったのは、「安井神社(安井金毘羅神社)」です。


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絵馬がとても有名?的な場所なのですが、「私がココに行きたい!」と思った理由は・・・。


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これをやりたかったからですw
穴をまずくぐり悪縁を断ち切り、また穴をくぐり良縁を結ぶ・・・そんな願い岩です。
修学旅行生も多くいて、賑やかでしたw



で、次に向かったのが、「頂法寺(六角堂)」です。


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こちらには以前に西国巡礼のご朱印を貰いに来たこともあったのですが、本当にほっこり落ち着く場所で、今回は柳に願掛けも兼ねてお邪魔しました。
・・・本当に境内に溢れる鳩・はと・ハトの沢山いて、まるで公園みたいな雰囲気もあり。
でも何より、私的癒しスポットの「十六羅漢」前ですね。


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もぅ、どのお顔もすごい素敵な「和顔愛語」そのままで・・・。
眺めているだけで、優しい気持ちになり、本当に和みます。


で、で、で。
次に向かったのは、私はいつも京都に来れば、どうしても足を運んでしまう場所。

「晴明神社」です。
ちょうど例祭の前日だったようで、御神輿があり賑わっていました。

あと、桔梗苑の桔梗も綺麗でしたw

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さて、最後に「下鴨神社」に「糺の森」も行けるかな~と思いましたが、市バスをうまく乗りこなせず、時間オーバー。
京都巡りは終了となりました。



そして、次の日。
「なんだか行きたいきがする」という、妙な感覚に従って出かけたのは。


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「阿倍晴明神社」です。
以前にもお邪魔したことがあるのですが、毎回妙に新鮮に「初めて来た?」的な感覚を感じる不思議な場所です。

で、ここまで来たなら・・・と向かったのが。
「阿倍王子神社」です。


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こちらは、パワースポットでも有名で、ご神木の木霊様の樹が本当に何というか凄くて(上手く言えないのですが・・・)、境内に入った途端に、ほっこり和みムードになれるんですよね。


で、で。
そうだ、折角なので足をもう少しだけ延ばしてみよう・・・と出かけたのが。
お馴染みの住吉大社(住吉さんw)でした。
そして、ここでは偶然にも神前結婚式の真っ最中に遭遇でき。
関係者から少し離れた位置に、参拝者の人たちが見物に固まってて。
その中に私もこっそり混じってみて。


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全く関係ない者ながらも、お二人の幸せをココロから祈りつつ、幸せオーラをいっぱい浴びさせて頂きましたw


で、で、で。
微妙に空いた時間が出来て、こうなったら行ってみよう!・・・と足を延ばしたのが、「愛染堂勝鬘院」でした。
こちらは写真ないのですが、境内は穏やかで秋の気配がそこら彼処にあり・・・。



ここで、今回の寺社巡りお一人様ツアーは終了となりました。



やっぱり、私は寺社がココロのパワースポットのようです。
歩き倒したりの移動しまくりで、正直少し疲れもしますが、本当に気持ちはスッキリするんですよね・・・。
思えば、夏過ぎからバタバタ身辺のことばかりで、自分リフレッシュ足りなかったかもしれませんね・・・。

これからは、また時間を見つけては行きたいと思います(^-^)












(ただの余談な独り言)
一応私は今は喪中故に、神社参拝の際は鳥居をくぐらず、横を通りお邪魔する形をとっていたのですが・・・、思い返してみても確かに怪しかったかもですね(--

残暑厳しい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?


私は朝の通勤では、いつからか聞こえなくなった蝉の声に。

帰りの夕方の買い出しでは、ふと吹く風に秋の気配を感じ。

空を見上げては、雲の種類が変わってきたなぁ・・・何気ない日々の景色に、夏の足跡を感じる日々です。




さて、先週はお盆でしたね。

前の日記にも書きましたが、おばあちゃんっ子であった私は、小さい頃から祖母に倣い「般若心経」や「祝詞」を唱えていた延長で、今でもお盆は当時から変わらず大切な行事です。


けれど、正直この職種になってから、きちんとお盆の帰省が出来ず、お墓参りにも行けないことも多々あります。

そんな時は、なるべく自分の出来る範囲で、「お迎え」と「お送り」の気持ちを持ってお祀りをしているのですが、数年前よりこれに加え「出かける場所」が出来ました。

それは両親からの誘いから始まりました。


「大阪の四天王寺で、お盆の時期に『盂蘭盆会万灯法要』というのがあるらしいけど・・・行く?」

即答で「勿論、行く」と返事をして以来、毎年参加しています。


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夕暮れ時から、提灯に明かりが灯り始め、ぞくぞくと参拝者が増えてきます。


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綺麗に灯篭が灯り始め。


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日が暮れ始める18時頃から、法要用の蝋燭に火が灯されます。

大きく太く長い蝋燭に、御先祖の戒名などを書き、それに明かりを灯します。

そして、約30分ことにお坊様方が、万灯蝋燭の周りを歩きお経を唱えて法要を行って下さります。

参加者の中には、そのお坊様方の後について、お経を唱え歩く方もおられます。

ちょっと不思議ですが、神秘的でもあり・・・本当にここに来られる方々は、ご先祖様への想いを持って来られているという空気に包まれています。


私の両親は毎年、お互いの実家(父は父。母は母の実家)のご先祖様を書き、つまり2本の蝋燭を並べてお供えしています。

そして、約30分間。両家の万灯蝋燭が燃え尽きるまで、じっとその前で思い思いに過ごします。

父は、先月に旅立った祖父、そして先に逝かれてしまった兄弟を想い静かに祈られ。

母も、遠方故になかなか帰省できない実家のご先祖を想い、火を見つめ。

私は・・・万灯の灯の美しさを感じつつ、両家のご先祖に感謝と祈りを捧げました。



よく幼いころに、お墓参りに行くと言われたことがありました。

「ご先祖様に元気でいられますように。ってお願いしときや」

その度に、私は「死んだ人にまで頼るのはどうなのだろう・・・?」と、勝手に捻くれて思案していました。

でも、祖母の死を看取って以来、当たり前だからこそ省略された言葉があったことに気付きました。


「ただ頼るのではなく、感謝をしないといけない。きっと見守っていてくれるのだから。

・・・ご先祖様に(感謝しつつ)家族親族の健康を祈る。」


もしかしたら、私の勝手な思い込みも強い、傲慢な考えかもしれません。

でも、きっと私たちまで繋いでくれた命と「今」ですから・・・。

とりあえず、私はそう考えながら、今年もお盆を送りさせて頂きました。






実は正直、ちょっと夏バテ気味で思考も体調も不安定になりそうなときもあります。

最近変わったお仕事も、色んな意味で良くも悪くも、山あり谷ありで。

私が本当にしたいことは?

私は何がしたくてここにいるの?

本当にいいのか?このままで!?


・・・とか、溶けかけた思考が夏バテをさらに加速させそうな、そんなある日。

ふと思いつきで帰り道にスーパーに立ち寄り、今年初購入の(アイスの)ピノを買えば。


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まさかの星ピノ(願いピノ)が出ちゃったりして☆


・・・・・・・・・良いことって、いつ何処から出てくるか判りませんね。

なので、出会ったらとにかく感謝して、味わうことにします。(^-^)




最後になりましたが・・・。

過ぎる夏の足跡と、静かに感じる秋の気配を感じつつ・・・。

今日も私は、ちびちび元気です(--)ノ



8月に入り、「平和」を話題にすることが日々多くなる今日この頃。

私も心に平和を祈る気持ちは、普段より多くなります。


そんな8月6日。

母からのメールで、少し違う方にも思いが向き、祈りました。

・・・今日は、母方の祖母の命日でした。



小さい頃から、お盆が近づけば母方の祖母の家に行くのが、子供時代の夏の恒例でした。

しかも、祖母の家(母の実家)は京都の北部で、当時は車でも半日は掛かるもので、小旅行のような感覚でありました。

そして、周囲を山に囲まれた谷間に祖母の家はあり、今にもトトロが出てきそうな環境でした。

そこで祖母や親戚従兄弟と過ごす夏は、今思い出してもキラキラしたものばかりです。


また、とにかく「おばあちゃんっ子」だった私は、いつも祖母の後ろについて回っていました。

毎日朝夕の祖母がお勤めをする際も、ちょこんと後ろについて、正座しつつお経を読み。

畑へ行くとなれば、何が手伝えるわけでもないのに、とにかく付いていき。

祖母の姿を常に探しては、後を追いかけていたように思います。



そんな祖母は、あまり戦中の話はしませんでした。

私も一度二度は尋ねたこともあったように思いますが、祖母はあまり自分からは話さなかったように思います。

ただ、その当時の話をポツリとした時に、祖母が「看護婦」になりたかった。といったことをボンヤリとながら覚えています。

祖母の兄弟は戦死され、それも終戦前日に特攻隊で亡くなられたとも聞きました。

そのことが祖母はとにかく無念だったと呟いていたことも覚えています。

そして時間は少し進み、祖母の葬儀の際、唯一生存する姉妹の妹さんが、「姉さんは頭が良かった。だから本当は看護婦さんか先生になりたがっていた」と教えて下さりました。

当時まだ高校生だった私が将来、看護師を目指していると伝えると、「それは喜んでくれているよ」と少し祖母に似た笑顔で答えてくれたことが、私はとても嬉しかったことを今でも覚えています。



祖母は優しい人でしたが、頑固な人ではありました。

病気になってからも、とにかく弱いところを見せまいと、「自分で出来ること出来る限りしたい」という意志が強く、あまり痛みや苦しいという様子を私たちに見せませんでした。


祖母の臨終の間際。

私は母と二人で見舞っていました。

祖母のその時の様子は今では、大分と霧がかって来ていますが、それでも断片的にはしっかり覚えています。

徐々に冷えていく足。

何かをかき分けるように目の前の宙を掻く仕草。

そして何かを呟き、探すような眼差し。


当時高校生で何の看護の知識もなく、ただ見ているしかできなかった私。

でも、だからこそ全てを焼き付けたい、祖母が一体何をこの生を持って伝えてくれているのかを知りたい。・・・そう思ったのを覚えています。

そして、それが初めて人の死を見て、関わったことでした。


祖母が、病院から自宅へ帰る際、ずっとお世話してくださった看護師さんが、「とても気丈な方でした」と祖母の闘病を振り返り、祖母の意志の強さを伝えて下さったことに対し、私は「私も看護師を目指します」と色々な思いを込めて伝えたことも覚えています。




それから実際看護師になって、臨床を経験し、本当に厳しい世界だということを痛いほど体験し、でもそんな辛さは「病と向き合う人」に比べたら、我儘な甘えだと思い、歩いてきました。

もちろん、そう思うだけでは解決できず、暗黒期に溺れて迷子になったこともありました。


けれど、そんな過去も含めて、私が看護師として「ヒトの最期」に関わるときに想うことは、ずっと高校生の時から変わりません。


「その故人がその人生を持って、私たちに遺すモノを受け取りたい。」


おそらく故人は、そこまで深くは考えず、勿論私たち自身も「この自分の生きた時間を持って何を遺す!」なんて意気込んで過ごしたりしている人はいないと思います。

でも後に遺されるものは、何かを求めていようが否かろうが、その人の存在から何かを感じ受け取ると思うのです。

そして、それがその方の命から私たちが受け取る、最初で最後の尊い贈り物(ギフト)だと、私は勝手に考えていたりするので・・・。





約68年前、多くの命が一瞬で失われた日。

私の祖母が天へ旅立った日。

そして、先月には父方の祖父も旅立たれました。



命は、今しかない。

でも、そんな命を繋いでくれたのは、今となっては過去になられた貴方達でした。

継がれる思いは、受け取る人がいれば、永遠に続くと思います。

だからこそ、暦の上でどれだけ日々が過ぎようが、祈りを捧げたいと思います。


「今」に命を繋いでくださったご先祖様。

「今」の世の中という世界を創り、支えてきてくださったすべての人々へ。

ココロからの感謝と祈りを捧げます。

ありがとうございます。




・・・今年の夏も暑いですよ。

貴方と過ごした夏の想い出も、正直だんだん色褪せてはしまうけど、いつまでも変わらない想いはココロに大切に仕舞ってあります。

だから、もしそちらに逝ったら、その後の私の話にも耳を傾けてくださいね。

沢山のお話を持っていけるように、私は「今」を感謝しつつ生きていきます。

では、・・・またねw

・・・7月半ばより、今に至るまでのことを書きます。
色々あった記憶の記録として書きます。










まず、新しい職場に入職しました。
とりあえず、約1年続けた放浪ナースをお休みして、ちょっと腰を据えて頑張ろうか・・・という訳です。
今度の現場は施設内のデイケアです。
しかし、オープンが8月のため、今は準備期間というわけでお仕事が始まりました。


と同時に、私の今の住居近隣の病院で療養していた祖父の容体が悪化しました。
日中は祖母と両親のどちらかが見舞いに行き、仕事上がりに私が行き、そして祖母を連れて帰る・・・という日々が始まりました。


こういう時に、自分の職種が複雑に感じます。
祖父の全体を見て、点滴や機器を見て、何となく今の状況・状態が把握できてしまい、「自分ならこうケアしたい!」と思うことがあっても、自分はそこのスタッフではないから出過ぎたことが出来ない。
・・・何も知らなければ知らなくていいことが見えてしまう。
無いモノねだり的な我儘でしょうね・・・。



そして、週末の深夜。
偶然にもその時、私は起きていて、電話をすぐに受け、病院へ走りました。
朝焼けの空と、生暖かい朝の空気の中、全力で自転車を漕ぎました。

最後に、祖父を見た前の日を思えば、確かに祖父は何かを峠を乗り越えたような様子にも見え、私はもしかしたら・・・という微かな希望を感じたりもしていたのですが。
それは取り違えで、祖父は別の何かを乗り越えていたのでしょう。
祖父の笑顔を強く記憶に残すように焼き付けつつ、ココロから祈りを捧げました。




その後は、嵐のように過ぎました。
色々と事情あり親戚関係も複雑で、分家のようで実は直系本家でもある私の家族だったので、色々と段取りに走り。
けれど慣れないことなので、本当にバタバタで。
しかもカギを握るはずの祖母が、あまり覚えていないという年相応の認知力で、何が何処まで準備されているかも判らず。
しかも、足の悪い祖母が手伝おうとするのを、私が祖母の介護し、色々手伝い・・・。
結局は、式の間も私が祖母担当となりました。

しかし何より本当にバタバタの中を親戚に連絡をしたので、どれくらい集まるか・・・難しいところでした。
参院選挙前であり、地元で役員手伝いがあるという親族もおり、それより何より遠方に親族が多かったり、孫も皆社会人だし。
・・・と色々心配していたのですが、いざと集まれば本当に遠方の方々も都合をつけて集まってくださり、孫に至っては約10数年ぶりの全員集合でした。
(正直、孫同士で「あなたは誰だっけ?」的な挨拶から始まるくらいでした)

でも、色々ありつつも祖父が繋いで繋げてくれた、色々なご縁を改めて知り、祖父の存在の大きさを知りました。
本当に心から感謝と祈りを捧げたいと思います。




・・・さて、少し話は戻りますが。
実はこの祖父の訃報があった電話の際より、実は私自身にも困ったことが起こっていました。

祖父に電話を受け、病院へ向かう準備をしていた際より、右眼に違和感があり。
鏡を見れば、ちょっと引くほど真っ赤に充血していたのです。
でも、構っている時間もなく、そのまま放置。

そのままバタバタ色々と手伝う中でも、徐々に右眼のみ痛みが増し。
我慢できず、夕方に眼科へ走りました。
診断はウィルス性角結膜炎。
先生から「お子さんからうつることもあるし、風邪ウィルスからの感染もあるかも」と言われ、今は風邪ひいているか問われるも、自覚症状なし。
とりあえず点眼処方で様子を見ることになりました。

で、式の間はあまりにも充血が激しいので、眼帯使用で・・・。
喪服+眼帯でただでさえ目立つのに、さらに祖母の介護役でもあり、余計に親族からのツッコミはありましたが・・・まぁ、それはそれ。
皆で適材適所で乗り切りました。


式もとりあえず無事に終えた日。
今度は喉に違和感。
一応確認すると、しっかり耳下腺も腫れてる。
(・・・これは、やっぱり:苦笑)
と半ば予想もしながらも、一応内科を受診。
そして、「あー典型的な症状の段階だね。どうする検査する?薬いる?」的な診察を受け、とりあえず気休めにもお薬処方を頂きました。

そして、今日までに本当に教科書通りに右眼から左眼に感染し、両眼とも充血他の眼病症状に罹り、さらに喉・耳下腺の症状も同じくで。
まだ少し違和感を残しつつも、やっと少し引いてきたかな?という所です。
・・・・・本当に症状軽減まで約1週間という所まで教科書通りです。





こういう時によく聞く「諸行無常」という言葉。
意味:仏教の思想にある根本的なもので、あらゆるものは刹那(きわめて短い時間。一瞬)の間にも変化をくり返しているということ。

まさにその通りだな・・・と思いつつ。
ヒトの生を想い。
その軌跡を想い。
そこから広がる縁という血筋を想い。
受け継がれた想いを思考する。
そんな日々でした。





とりあえず、私はそれなりに元気です(--)ノ