<能楽師・安田登>
荻上チキセッション2014/10/28
*キャスト
-ゲスト: 能楽師・安田登氏(webサイト「安田登の能を旅する」
http://www.the-noh.com/jp/people/essay/travel/)
http://www.the-noh.com/jp/people/essay/travel/)
-メインパーソナリティ: 荻上チキ氏は不得意分野らしい、ピンボケして残念
-アシスタント: 南部広美氏は感性で話すけど、勘の良い応答
*能楽は、能と狂言に分かれる
-狂言:狂言はお笑いに近い、セリフと演技
-能:謡、舞 --現在能:演劇に近い
--夢幻能:シテは幽霊、神様、精霊を演じる
*能の歴史
-室町に完成、江戸に武士に保護、明治は貴族、戦後に一般公開
-能の身体作法や呼吸、所作が武士に通じるものがあったのではないか
-武士は能を舞うことが義務化されていた、訓練的感覚
-150年続いている
*能の流派
-シテ5派 ワキ5→3派
*能の鑑賞法
-予習、謡のリスニング、ストーリーの把握、舞のルートを知る
*能が扱うもの
-心は扱わない、心は変化するもの、ココロを心臓音と解する説もある
-オモイ:強い衝動、欠落感を表現
*組合せ
-シテ、ワキ、地謡(8人斉唱) の各流派の組合せ
*協会員:1500人
*修行期間:6年 + 4年、謡10年舞3年
*佐渡は能の舞台として多い
-世阿弥が最後に流された土地、関係はないとされている
-地元で継承されている能がある
*能面
-210種類くらい、大雑把だと60種類くらい
*作品
-200余り 異界を描くために現代を扱うのはまれ
-現代劇にすると、共感出来る人に限定されてしまう、異者による普遍
-当時は、能では、幽霊は怖いもの存在としては扱われない e.g.肉親
-能の声:異界の声を表現
*動作にあまり意味はない
-舞は、もとは「無」、まわっているのにまわっていない
-流れていない垂直の時間、なにもないけどある
-舞はなくてもストーリー自体はつながる
-全てのストーリーは「舞=無」に向かって収束していく、そして終局
*「ワキ」とは「分く」、異界へ分け入る存在、境界に存在する
*能は観客に半分くらいしか伝わらない、観客が能動として求める必要がある。
※雑感※
・ 幽玄についても質問してほしかったな。
・ 所作や運足は気になる、置く重心の位置で、昔の日本人の生活様式がわかるかも。
・ 黄泉も異界のひとつだろうし、やはり日本の時空の感覚は現代と異なるな。これは神道や日本仏教の方が、残滓を留めている気がする
・ 舞の意味とかゾクッとする。この感覚を通して考える必要があるんだろな。
・ 受け手に能動を求める場合は2つくらいか。考え過ぎかもだけど、儀式の可能性も入れてメモ
- 場の全員の「おもい」を統合して異界の場を作り出す。e.g. 音楽のライブ。
- 感受能力に応じた多重構造 e.g. 化儀四教の秘密と不定。
・ なんかわかんないことだらけだ、モノを言うほどにモノを知らないとは、これ然り。
・ 受け手に能動を求める場合は2つくらいか。考え過ぎかもだけど、儀式の可能性も入れてメモ
- 場の全員の「おもい」を統合して異界の場を作り出す。e.g. 音楽のライブ。
- 感受能力に応じた多重構造 e.g. 化儀四教の秘密と不定。
・ なんかわかんないことだらけだ、モノを言うほどにモノを知らないとは、これ然り。
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