最近は仏教の調べものをしているので、どうしてもそれがベースになりやすい。表面をなぞっているせいか、なかなかしっくりこない。資料集めのつもりだと、膨大な量を前に、ちょっと苦しい。
80年代?90年代?の討論番組がネットにあって、覗いてみた。今はぼやいてばかりの老人が、全盛期の頃は、背骨のある主張をしていて、なるほどなと感じる一方で、当時は詭弁をふりまわす若者だった人が、今でも相変わらず世の中を斜めに皮肉ってるのを見ると、ニューエイジ世代?というのは、谷間だなとおもう。
時間経過によって、古びることのない「こころ」、それがカタチに表れた「思想」「意見」の拠り所、言い換えると「普遍」の認識はどうすればできるのだろうか。
釈迦王子は、自らの経験のなかから、「こころ」を得て、中道を説いたんだとおもう。予想では「こころ」と中道はけっこう大きな違いがあるんじゃないだろうか。
人工授精や安楽死、戦争の正義など、社会的価値観の逆転が起こりかねない事象に対して、中道は耐えられるのだろうか。ここら辺がよくわからない。
行き詰まると、どうしても自分の疑問をぶつけて、遊んでしまう。
80年代?90年代?の討論番組がネットにあって、覗いてみた。今はぼやいてばかりの老人が、全盛期の頃は、背骨のある主張をしていて、なるほどなと感じる一方で、当時は詭弁をふりまわす若者だった人が、今でも相変わらず世の中を斜めに皮肉ってるのを見ると、ニューエイジ世代?というのは、谷間だなとおもう。
時間経過によって、古びることのない「こころ」、それがカタチに表れた「思想」「意見」の拠り所、言い換えると「普遍」の認識はどうすればできるのだろうか。
釈迦王子は、自らの経験のなかから、「こころ」を得て、中道を説いたんだとおもう。予想では「こころ」と中道はけっこう大きな違いがあるんじゃないだろうか。
人工授精や安楽死、戦争の正義など、社会的価値観の逆転が起こりかねない事象に対して、中道は耐えられるのだろうか。ここら辺がよくわからない。
行き詰まると、どうしても自分の疑問をぶつけて、遊んでしまう。