情報化社会に適応したのか、成長と共に変化したのか、よくわからないけど、情報をとりあえず溜めておいて、判断は留保するクセがついている。
ブログに意見を形として表現をすると、それ以降の情報が、その形に沿って吸収されるようになる。意見を整理することで気付くこともあれば、歪むこともある。
最近は、人質事件を記録するようになると、自然と意識がそこに向かうもので、書く内容によって意識が変容するということは、転じて、角を矯めるのにも使うことができそうだ、やってみよう。
判断のつきかねる生の情報を受け取ったときに、他人の意見をきくことで、自分の意見が定まっていくことがあった。情報を多角的に判断するというリテラシーの視点からは正解かもしれないけど、これって自分に情報を受け取る器がなかったということで、もっと内省を深める必要があるかもしれない。
身口意を慎むっていうのは、まさに大事なことで、カタチの無いものにカタチを与えた時から遠ざかる、沈黙は金なり、というのは、その通りだなと。
これは、カタチに魂が宿るという、反対からの見方も、また然り。
ブログに意見を形として表現をすると、それ以降の情報が、その形に沿って吸収されるようになる。意見を整理することで気付くこともあれば、歪むこともある。
最近は、人質事件を記録するようになると、自然と意識がそこに向かうもので、書く内容によって意識が変容するということは、転じて、角を矯めるのにも使うことができそうだ、やってみよう。
判断のつきかねる生の情報を受け取ったときに、他人の意見をきくことで、自分の意見が定まっていくことがあった。情報を多角的に判断するというリテラシーの視点からは正解かもしれないけど、これって自分に情報を受け取る器がなかったということで、もっと内省を深める必要があるかもしれない。
身口意を慎むっていうのは、まさに大事なことで、カタチの無いものにカタチを与えた時から遠ざかる、沈黙は金なり、というのは、その通りだなと。
これは、カタチに魂が宿るという、反対からの見方も、また然り。