アニメ劇場版1作目(1995)と2作目(2004)
共に監督/押井守
テレビの神山健治監督と合わせて観ると、なるほどなるほど、と色々とわかったことがある。こうやって同一テーマを集中してみると面白い発見があるな。
先に、作品の感想。95年版はさすがに、ちょっと時代を感じさせる絵だなと。でも作中の設定や衣服とか生活に古さは感じない、これは『攻殻機動隊』作品全般にわたる長所に感じる。
透過というか透明?の奥行き感?とガラスや金属製品の反射の描き方が抜群。なんか妙なこだわりだなと思いつつ、こういった細部感が雰囲気を作り出している。ボカシ感とか含めて、独特。
『イノセンス』の映像美はすばらしい。ただ、迫真の映像美っていうのは、実写に近づけるということになってしまうのだろうか。そういう意味での迫真の映像というのは、『ロードオブザリング』とかCGを用いた実写作品もたくさんあるので、そちらは表現の方向性として目指すところじゃない。アニメならではの表現もあった気がするけど、代替できないかっていうとそうでもない。
発見したこと。
神山監督が「攻殻機動隊の世界」を創りあげようとしていて、「笑い男」で世界の確立、「11人」で解釈の提示をしたのに比べて、押井守監督は「押井守わーるど」をひたすら展開する。『攻殻機動隊』では、電脳と人間の差異を描いているようでいて、実際は共に、押井守の代弁者にすぎない。本当の「人形使い」は押井守本人だということ。「イノセンス」はストーリーやセリフを追うことにそれほど気にしなかった。つまりは、「押井守のわーるど」を実感することが全てだとおもう。
「イノセンス」は、引喩の気取った言い回しや、凝ったオブジェクトが多かったりして、裏設定が多い気がしたけれど、作品としては、ほぼ意味はない。仏教の言葉や概念を用いているところがあったけど、「セリフ」を使用しただけで、中身はなかった。実際に細部のこだわりや、色の表現も使い分けているので(ラストで人形に赤光を当てて肌身っぽくして、クサナギ感を演出)、解釈はいろいろできるけど、本質は「押井守わーるど」を受け入れられるかどうかってこと。自分は『スカイクロラ』も好きだったので、けっこういい感じだった。
個人的には、神山監督の「笑い男」の作品に徹する姿勢を高く評価したい。
なんかアニメの話題がミョーに多いのは、やっぱり手軽に書けるからかな。
共に監督/押井守
テレビの神山健治監督と合わせて観ると、なるほどなるほど、と色々とわかったことがある。こうやって同一テーマを集中してみると面白い発見があるな。
先に、作品の感想。95年版はさすがに、ちょっと時代を感じさせる絵だなと。でも作中の設定や衣服とか生活に古さは感じない、これは『攻殻機動隊』作品全般にわたる長所に感じる。
透過というか透明?の奥行き感?とガラスや金属製品の反射の描き方が抜群。なんか妙なこだわりだなと思いつつ、こういった細部感が雰囲気を作り出している。ボカシ感とか含めて、独特。
『イノセンス』の映像美はすばらしい。ただ、迫真の映像美っていうのは、実写に近づけるということになってしまうのだろうか。そういう意味での迫真の映像というのは、『ロードオブザリング』とかCGを用いた実写作品もたくさんあるので、そちらは表現の方向性として目指すところじゃない。アニメならではの表現もあった気がするけど、代替できないかっていうとそうでもない。
発見したこと。
神山監督が「攻殻機動隊の世界」を創りあげようとしていて、「笑い男」で世界の確立、「11人」で解釈の提示をしたのに比べて、押井守監督は「押井守わーるど」をひたすら展開する。『攻殻機動隊』では、電脳と人間の差異を描いているようでいて、実際は共に、押井守の代弁者にすぎない。本当の「人形使い」は押井守本人だということ。「イノセンス」はストーリーやセリフを追うことにそれほど気にしなかった。つまりは、「押井守のわーるど」を実感することが全てだとおもう。
「イノセンス」は、引喩の気取った言い回しや、凝ったオブジェクトが多かったりして、裏設定が多い気がしたけれど、作品としては、ほぼ意味はない。仏教の言葉や概念を用いているところがあったけど、「セリフ」を使用しただけで、中身はなかった。実際に細部のこだわりや、色の表現も使い分けているので(ラストで人形に赤光を当てて肌身っぽくして、クサナギ感を演出)、解釈はいろいろできるけど、本質は「押井守わーるど」を受け入れられるかどうかってこと。自分は『スカイクロラ』も好きだったので、けっこういい感じだった。
個人的には、神山監督の「笑い男」の作品に徹する姿勢を高く評価したい。
なんかアニメの話題がミョーに多いのは、やっぱり手軽に書けるからかな。