雨上がりの涼しい一日。
洗濯して、部屋を掃除して、
たくさん泣いてました(笑)
誕生日が終わった後の時期は、
私は毎年、どういうわけか、
とても感情的に揺れます。
で、今までは、
そういう感情が出てきても、
無視しようとしていました。
だって、そういう不安定さを、
どう扱っていいのかわからなかったから。
どんな状態になっても、
淡々と、日常をこなすことに専念すること。
これで、乗り越えようとしてました。
昨年までは。
けれど、結果を言うと、
乗り越えられなかったんです(笑)
というわけで、今年は、
私が五年をかけて生み出した魔法の呪文を、
使ってみることにしています。
「わたしは、この不安を受け入れる」
なんかわからないんだけど、
とても、不安になるんですよ。
ポジティブにしようとしても、
無理してることがわかるから、
かえってエネルギーを消耗する。
だから、もう、受け入れることにしたんです。
鬱々とした気分になって、何が悪いんだ。
鬱々とした気分になる権利だって、あるでしょう。
そんなことを言い聞かせながら、
けれど、やっぱり苦しくて、
食べ物に走ってみたり、
タオルケットにくるまってみたり、
そして、泣けるときにいっぱい泣いてみたり、
とにかく、この、
そこはかとない苦しさから、脱けだしたかったわけで。
で、さっき、ノートに書きながら、
ボロボロ泣いたら、少し落ち着いた。
こういう、鬱々としているときっていうのは、
結局、半分抵抗しているんだろうなって思う。
昔の、古い痛みが、浮き上がってきているんだけど、
それを感じるのは、やっぱり痛いから、
感じないように、無意識にふたをしようとする。
その状態が、うつうつとした感覚なのかなって。
それが心地いいわけでは全くないのだけれど、
もっと心地よくないものを避けるために、
そういった状態で、ブレーキをかけているのかもしれないって。
だから、そういうときって、
自分にとっての、危機なんだよね。
意識の底に押し込めるような感情っていうのは、
それが表に出てきたら、心理的に耐えられなくて、
自分がどうにかなってしまうかもしれないから、
封印することで、自分を守った、
っていう類のものでしょう??
だから、そういうものが浮き上がってくるときっていうのは、
その人にとっては、危機的状況なんだよね。
だけど、逆に言えば、
そういうものが解放されていけば、
自分にとっては、重荷がますますなくなって、
どんどん自由に、どんどん楽に、
生きていけるっていう話で、
なかなかに、いい話なわけですよ(^^)
わたしが、ノートに書いてた時も、
ぼろぼろ涙が流れたのは、
なんでこんなことが起こったの。
なんでこんな気持ちになったの。
こんなはずじゃなかったのに。
悲しすぎた。
寂しすぎた。
全部、恨んだ。
そんな気持ちを、感情を、
出てくるままに、させたせいだと思う。
普段の意識だったらね、
そんなこといったって、しょうがないでしょう、みたいな、
きわめて理性的な判断で、さえぎってしまいがちなんですよ。
けど、この6年間で、
わたしが少しずつ、学んできたことは、
理性で感情を処理することは、できないっていうこと。
管轄が、違うから。
だから、私の中では、
そんな過去のことに、今の時間を食わせてもしょうがない、
って思っていたとしても、
その悲しさを、その寂しさを、その恨んだ気持ちを、
ひとつ残らず、感じて、味わってやらない限り、
わたしは、それらの感情をおきざりにしたまま、
自分を分裂させ続けることになるらしいってこと。
で、
じゃあさっさと出てこい!感じてやるから!
と、せかすこともできず、
そんなめんどくさいことしてられっか!
と啖呵を切るわけにもいかず、
ただ、じっと、自分のそばにいてあげる。
それが、いまのわたしにできること。
というか、そうすることしかできない。
つくづく思うのは、
人はみんな、「自分自身の母親」になることを、
学んでいくんだなあってことだよ。
どんなになっても、ちゃんとそばにいる。
ただ、じっと、そばにいる。
あなたを、愛している、って。
自分を、見守ってあげるんだ。
細胞に染みついた記憶から、
自分を解き放つのは、
それくらいの忍耐と覚悟は、必要だね。
誰を助けなくてもいい。
自分の母親になることができたら、
その在り方が、もうすでに、
誰かを助けているんだ。









