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THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!

今日は、掃除してたなあ。


洗面所見たら、おばあちゃんが、


お腹を壊したらしい状態で、トイレから歩いてきていて


さすがに助けが必要な状態だったもので、


赤ちゃんの時、私もこうしてもらった恩返しだね~とか思いながら、


おばあちゃんの体を洗い、衣服を洗い、しているうちに、


お風呂場も洗っちまおうってことになるわけで。



お風呂場、天井、壁、床敷、浴槽のふた、浴槽の中、


洗面所への入口、洗面器、椅子、シャンプー類の容器、


書くと意外といろいろあるよね、


とにかく洗ってたっけ、気持ちいがった~(気持ちよかったの仙台弁)。



2、3ヶ月前か。


あの時は、天井と壁を磨いただけで終わってたっけ。

 

今日は、頭の中の風通しが良かったし、


そのおかげだろうね、丸洗いできたのは。豪快に。


ありがたいことです。



掃除すると、結構エネルギーめぐるよね。


逆に、つまってる時は、どんなにやらなきゃと思っていても、


意外と動けなかったりするんだよね。




嬉しかったなあ。掃除できて。


そういう状態のときって、自分でも好きになれる。


滞りがないからね、いいんだよね。


頭の中に、変なこだわりとかないから。



そして、今日はハワイからハガキが届いた。


友人が、ドルフィンスイムをしてきたらしい。


イルカが目を閉じたまま、お互いにキスをしている写真が☆


なんて愛らしくて、無邪気で、暖かい光景なんだろうって、


心がキラキラしました☆



今年は、ハワイに行きたいなあ☆



さあ、頭はもう寝ようて言ってるんだけど、


身体的には、さえている状態が続いていて、


イルカになった気分(笑)



イルカって、寝てる時は、


どちらかの脳を休ませて、どちらかの脳が起きている状態なんだって。


だから、イルカから見ると、


左脳しか主に使っていない私たち人間は、


いつも、眠っているということになるわけで(笑)


そういえば、この話、昨日書こうと思ってたんだ。


今日、イルカさんのハガキが送られてきたから、


あらためて書いたけど、面白いよね。


イルカにとって、起きている時というのは、


どちらの脳も、つまり全脳(?)状態で活動しているとき。


理にあってるし、極めて健康的だと思う。



わたし、イルカさん状態から始めていいから、


右脳も左脳も、バランスよく、使っていきたいな☆



イルカさんに、会いたいわあ~☆



☆☆☆












やってみるか。



2、3日経って、自分の書いたことの意味がわかってくることがある。


それを書いた時から、そこに書かれた内容を、内的に経験することによって、


そこに書かれた事柄の価値や意義を、実感していく、ということだ。



さあ、ここで、聞きたいことがある。


闇というよりは、むしろ霧のような、


実体のないもやを貫いたところで、つながってきた感覚はある。


ただ、そこは、闇と背中合わせの場所のようなところで、


理性で抑えていたものが吹き出したら、大変なことになる、


という、非常に強いプレッシャーを感じるところでもある。



それ以上、感じ続けると、


わたしはおそらく、観察するという状態から、


むしろそれに取り込まれるというか、飲み込まれてしまう。


それは、私が望むところでは、ないんだな。


生活に、意識が侵食してきてしまうような状態というのは、


まさに、ブラックスワン!




わたしは、自分の中心にとまって、おちついていたい。


なのに、目にするものすべてに、反応してしまう自分がいて、


なんとか、自分を保って生活しているけど、


自分が死んだように感じることもある。



あ、そうか、いいのかこれで。


死んだように感じる、感じれば、いいのか。




・・・もう少し、楽に歩くことはできないの?







あなたが、傷に手を突っ込むようなことさえしなければ(笑)


そこを見つめ続けることに、意義がある。


もう、感じようとしなくても、あなたはそこにいるから、


あとは、その傷と一体化したりすることなく、その傷に憎しみを向けたりすることなく、


・・・傷に手を突っ込むとは、その傷についての判断を指す。


こんなことした自分が悪い。自業自得だ。とか、


あなたの場合は、わかっているとおり、


自分を貶めたり、憎み続けたりする傾向があるから、


傷を目の前にした時に、それらの反応を示すことで、


傷に更に、手を加えることになってしまうから、


傷は傷として、ただ、見つめてやりなさい。




だれにでも、触れられたくない、


痛む傷というのがあって、


あなたはそこを、もろに経験しているわけだけれど、



その傷が、教えてくれることが、あるはずなのだよ。



あなたが、その傷に、ネガティブな判断を持たずに、


やさしく、自らの手で、触れることができたら、


傷は、その物語を、明かすだろう。



消しされるものなど、存在しないのだよ。


ただ、愛することができるか、できないか、


それだけなのだから。



その愛する姿勢を、自らのものとしたいと思うならば、


それだけの、忍耐が、


自分自身に対しての忍耐が、必要になってくる。


そういう、ことなのだ。







そういう、ことなのね。


そういう、ことだったのね。


やっと腑に落ちました。




・・・今の私は、怪獣じゃん(笑)


触れられると、火、吹くよ(笑)


ことごとく焼き尽くす勢いですよ、悪いけど!!


そんなガオー!な私が、


自分の傷に優しく触れるだあ?


いつの話だよ~!!



・・・というわけで、ほかになんかええ方法ないんかい!!


って、外に外に答えを求めがちなこの思考サイクル。


たとえ見つけたとしたって、絶対その場しのぎですぜ。


わかってるんでさあ。だけど求めちまうこの必死さ。


だって、痛いんだってば~!!!



で、結局また、このブログを後で読み返して、


・・・そうですよね。。。とかって感じるんだろうな。しぶしぶ。


ははははははははははっはははっは。



あーおもしろい。



もう、好きなようにする!!



☆☆☆



昨日の経験は、ヒントだった。


小さな雑巾にしようと思って、


着古したジーンズを、チョキチョキ切っていた。


布を触っている感触が、新鮮だった。


頭は疲れていたんだけど、作業自体は全然苦にならなくて、


ああ、「触覚」をよみがえらせていたんだ、って感じた。



編み物にはまった時期があって、


あのときも、なんか、癒されていたように感じた。


やわらかなコットンを少しづつ編んでいくと、


おそらく、「触覚」が刺激されるのだろう。



アロマで癒されるというのも、


香りが、直接脳に影響を与えるというのもあるけれど、


もっと単純に言うと、あんまり使っていない、


「嗅覚」を刺激しているからかも。



つまりは、よく使う、視覚以外の感覚に、


「心地いい刺激」を与えることで、その感覚を活性化し、


結果的に、脳の働きの偏りのバランスが取られて、


バランスがいい=心地よい状態=癒される


になっているのでは?



マッサージとかも、単純に触れられるだけで、


つまりは「触覚」が刺激されただけで、ほっとしたりするし。


「心地いい感覚」が引き金となって、その感覚に意識が向きはじめると、


酷使されていた左脳以外の脳に、信号が送られ始めて、


そのおかげでやっと、酷使されていた部分は、


仕事からはなれて、充電ができるのかもしれない。



いつもの使い方と違う、脳は、


リフレッシュされていったりするのかも☆



よーし。編み物しようっと☆



☆☆☆




自分にとって、非常に不愉快な状態があったとき


それを解決するために、あらゆる対策を講じようと動いたとする。


おそらくあなたは、それに、完全に失敗するだろう。



なぜなら、前提として、


この世界は、あなたが作り上げたものであるから。


あなたは、あらゆるものを現象化することで、


目に見えない領域で起こっていることに、気づくことができた。


だから、あなたの家族しかり、あなたの毎日しかり、


そこで起こっている事柄に対して、



「自分はそれを通して、どのような感情を経験しているのか」



ここに、注目しなさい。


具現化したことそれ自体は、あくまで現象なのだから、


そこに対して怒りや不満をぶつけるのは、なんの意味もない。


激しい感情が起こってくるのならば、


それを肉体で、声で、表現しなさい。


それらを再び抑圧することなく、


すみずみまで、完全に、感じきりなさい。



これらの感情の抑圧に、あなたが使っているエネルギーを取り除いたら、


どれだけのエネルギーが、節約されるだろうか?


また、これらの感情を感じきることを避けることをやめたら、


どれだけのエネルギーが、あなたに返ってくるだろうか?



すみずみまで、感じきりなさい。


闇を貫いたところで、つながりなさい。



それについて、考える必要はない。


それは、頭、マインドの役割ではないのだから。


管轄外のことをさせて、マインドを不必要に酷使する必要はない。



あなたは、感じることに、慣れていないかもしれない。


なぜなら、感じるままに動いたら、それは理性的な生き方ではないと、


長いあいだ、教育されてきたから。



では、理性的な生き方とはなんだろう?


あらゆる機能を、本来の役割に戻すこと。


それは、理性的な生き方ではないのか?



あなたにとって、理性的な生き方とは、


あなたの頭の枠組みに、おさまる範囲のことを指している。


そこを超えたところにある概念は、


とっぴなこと、理性的ではないこと、


あるいは、危険なものとさえみなしている。



危険なことを、迎え入れなさい。


命の危険や、そういったことを指しているのではない。


あなたの概念が崩壊する事柄に、


あなた自身を投げ入れなさいということだ。


概念が、あなたの世界を、生活を、


信念が、あなたの人生を、形作っている。


その枠の中にいる間は、


その枠の外に存在するものが、見えないから、



もし、あなたがほんとうに、


あなたの人生を、より豊かに生きたいと望むのであれば、


あなたの枠は、不必要となる。



枠を取り除いた時に、


あなたの感じ方、信念、概念が、おのずと異なるものになる。


それが、進化と呼ばれるものだ。


「感じ方」が変わり、「信念」と「概念」が、「異なるもの」へと「変わっていく」


それが、真に、変容するという言葉の意味である。




感じることに、心を開きなさい。


たいていは、つらい出来事が、その扉を閉じることになる。


だから、それを開ければ、再び辛い思いを味わなければならない。


そういう思いが、底の方で、あなたから、感じることを遠ざけさせている。


感じることの、一歩を踏み出すことが、


あなたの、自分で作った枠を超える一歩になるとしたら、


あなたは、それを、選ぶだろうか?



感じること。それらを体で表現すること。


そのシンプルなことを、自分の生活に迎え入れること。


あなたの力、エネルギーが戻ってくるのが感じられるまで、


楽しんで、続けてみなさい。



愛をこめて





こういうことなんだよね、変わっていく過程にあるものって。


そんなことで?っていうようなことが、その道に置かれている。


でもって、「そんなこと」っていう扱いをしているような事柄なものだから、


だいたい、真剣に取り合わないことが多い。


真剣に、やればいいんでしょ。


っていうか、それしかないんでしょ。



私の中の意識の交流を書いているから、


他の人にとっては、わけわかんないとおもうけど、


ブログを書こうと思った時に、こういうのが出てきたから、


そのまま書いちゃうわ(笑)



ちなみに、私への覚書としてもひとつ。


感情を表現する=相手にそのままぶつける


ではない。


相手がいなくても、すでに存在している感情にきづくこと。


それらが顔を出してきた時に、


目には見えないけれど、ものすごいエネルギーを持つ、感情というパワーを、


目に見える、肉体や、声を出すという体の動きなどを通して、


パワフルに放出しつつ、意識を今に保っていること。


そして、これらが起こってくることを、許すこと。



頭を使いすぎな昨今の、


わたしへのアドバイスでした☆



☆☆☆


常に、自分自身とつながっていること


この原点に、帰ろうと思います。


カカオ屋からの影響力の脱出は、


え?母親からの影響力の脱出は(笑)


(確かにホットチョコレートは大好きな私ですが笑)


その結果として、付随するものですよね。



これから先も、相当に揺れるでしょう。


荒れもするし、脱線もするかもしれない。


手っ取り早くしたがる頭が、


もう、いいことにしようよ!と毎瞬言ってくるけれど、


結局それで納得してないのは、私自身だから。




ほんとはひとりで引きこもったほうがいいのかもしれません(笑)


けど、仙台に実家があるのは、これもきっと、恵なんでしょう。




原点と、基本に帰る。


原点と、基本に帰る。


自分の源に、帰り続ける。



内側に存在するコンパスと、つながり続けること。


通ったことのない道は、通ることで、理解できるから。