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THE CLEARING DAY

わが家のお掃除を、本腰を入れて始めたのだ!!

こころもからだもくりあ~でいくよ!!


こないだ、気づいたことの一つに、


大きなひとつではあったんだけど、


「わたしは、一生罰せられ続けなければならない」 っていう、


言ってみれば強烈な罪悪感だよね、


それを、見つけてしまった。




見つけたこと自体は、いいことなんだけど、


だから、何?って思うところもある。



確かに、


「あ、今の態度は、この信念が基盤にあるな」


って、気づけるようになったのは、ありがたいこと。


そのつど、新しい選択をする機会を、与えてくれるから。



けれど、それって地道すぎて、


もっと、ぼーん!と、前に進みたいよ!って、


たまに、ひかえめに言うとたまに、


思ったりもする。



でも、時間も必要なんだろうな、とも思う。


一気にしようとしたら、それこそ、


私が耐えられないんだろうな、とも思う。



たぶん、これも、


新しい理解を待つことになるのかもしれない。



ふと、今、感じたことは、


結局、どれだけ罪悪感を背負ってみたところで、


どれだけ、罰せられる人生を実現させたところで、


究極的に自分が望んでいる出来事、


つまりは、世界の平和や、幸せの実現に対して、


まったく、なんの貢献もできたことにはならない、


ということを、本当に知る必要があるんだね。




自分から、歴史を変えるんだ。




ひとりひとりの内側で起こっていることが、


ほんとうに、全体に波及していく。



だから、わたしをゆるすことから、


しあわせに、いきることを、ゆるすことから、


始めていけばいい。



しあわせなんて、ゆるさないと、


きつく、言い放つ声があったら、


わたしは、こう言おうっと。



神様でさえ、全ての人を許しているのなら、


どうして、わたしが、しがみつく必要があるだろうか。


憎しみと、怒りとに。


それは、わたし自身のエゴに、ほかならない。



命は、生かすために与えられたもの。


精神を絞り殺すために、与えられたわけじゃない。


そこの責任は、自分にある。



わたしのいのちは、わたしのものであって、


そして、全体のもの。


わたしをゆるさないことを決める権利など、


ほんとうは、わたしには、ないのだから。




生きるか死ぬか、やるかやられるか、


そういう繰り返しのなかから、


ひとつの理解が生まれたら、


もう、そういう問い自体が、なくなっていくはずなんだ。




そのときに見える景色を見てみたいし、


その景色を維持したままで、生きていけたらなって思う。


つまりは、こちらの精神性の問題なんだけど。



あ、もーあたまボーっとしてきた!


おしまい!!



☆☆☆









私の日常はというと、


最近、ひとつ実感したことがあって、


本当の豊かさを作り出す物って、お金じゃないんだなって。


・・・まあ、そりゃあそうなんだけど、


生活していると、どうしても、


お金の問題というものが、頭にのぼってくるわけですよ。


それも、かなりの重要性と優先順位をもって。



だから、毎日、毎日、お仕事メールを受信するたびに、


「いいじゃんいいじゃん!やれ!」という声が頭の中にあって、


だけど、思うところあって、すんでのところで、


メールを削除し続ける日々が続いていたのでした。



何かが、自分の中で変わらないと、


どんな仕事をしても、お金が入ってきても、


以前とは、何も、実質的には変わらない。



そういう思いが、私の中でずっとあって、


でも、何が変わればいいのかさえわからなくて、


けど、とりあえず今は、飛びついちゃいけないなって思って、


削除し続けてきた。



それが、最近、ようやく、


本当の豊かさって、目に見えるレベルで動いているものじゃないんだって、


感じられるようになってきたんだよね。


例えばね、どんなにお金が入ってきても、


すぐ使っちゃって、手元に全然残らなくて、足りない!って思ったり、


食費や日用品に当てると、これしか残らない!っていう気持ちになったり、


そういう気分の時って、豊かじゃないでしょ?



つまりは、「欠乏感」が自分の中に存在している限りは、


いくらお金があっても、足りないんですね。


実際、すぐに消えていくことが多い。



でも、この欠乏感が、自分の中に存在していることに、


気づいていなかったのです。



これも、観察のおかげか。ありがとう自分(^^)



気づいたことは、


たとえば、お金がなくて、買えない、やれない、ものがあるとして、


そのときの、自分の反応を見るといいよね。


「お金がないから、できないんだよ。お金さえあれば・・・」


って、ほとんど癖みたいに、


意外と、反応していたりすることがあるんだよ。




そこに気づいたときに、さあ質問だ。


「お金を使わずに、できることはなんだろう?」



たとえば、評判の垢すりタオルがあるとする。


超いいらしい。冬だし私も身体きれいにしたい。


エステに比べたら、自分でやるなんてちょっとめんどうだけど、


それでもいいじゃん、えい!


で、値段を見ると、



「1980円」



ここで、頭が動き出す。


「垢すりタオル一つに、1980円・・・」


「っていうか、実は、今月ちょっとムリ・・・」


(これは、今の私の経済状況をもとに話しているので、


通常の方は、値段を倍にしたり、0を一個多くつけていただいても構いません笑)





・・・まあ、家にあるタオルでやれば、いいよね。





問題は、そのあとだ。


ほんとうに、家にあるタオルを使って、


身体、磨いてあげた?





あるものでやれば、とか言いながらも、


実はふりかえってみると、してないことがあるのよ。





ここ、おちついて、見つめるところ。



あれ、もしかして・・・



あの垢すりタオルを通して、本当に欲しかったのは、


うわー、もしかして、


自分の身体をいたわってあげる時間と、


もしかして、


自分をいたわってあげる気持ち、そのものだったのかな・・・




ただ、その商品自体が、ある程度、


品質も良くて、自分をいたわってくれる要素をもった物だったから、


それを媒介として使おうとしただけで、


本当に欲しいモノの源は、


実は、私自身の中にある、気持ちとか、


そういうものだったりしたのかな、と。


うわー。



その答えが、自分の中ですとんとくると、


ちゃんと、家にあるタオル、使うようになるんですよ。



そして、そんな時に、どういうわけか、


お仕事の「電話」が、かかってきたりするんですよ。



このときは、タイミングが良すぎて、びっくりした。



内側で起こっていることの答えが見えてくると、


外側の反応も、呼応してくるのかもしれない。



お金に投影していたものの正体が見えたとき、


本当に欲しかったもので、自分を満たしてあげられる。


この在り方、この精神状態、エネルギーそのものが、


豊かさを、実質的に、生み出し、作り出していくんだなあって。




外側へ関心を向けがちなエネルギーが、


少し、内側へと、関心を寄せ始めた感があるね。


あの満たされた感覚自体を、欲してたんだなって気づいたから。



そのあとで、物理的な面を観察すればいいよね。


それで、もっと体を磨くのに適した、いいタオルが見つかったなら、


あとは入ってきたお金で、購入すればいいよね。


内側で起こっている欠乏感を感じて、


その欠乏感の実態ってなんなのか、


満たしている状態って、どういうことなのか、


自分なりに答えを探していくと、


楽になっていくかもしれないね。


おもしろい経験でした☆



☆☆☆




今日の朝イチの私は、


夢を送り込んでくる潜在意識と、


ちょっと待って!いいから忘れちゃって!覚えてなくていいから!


と、必死で意識をそらそうとする、


もうひとつの意識とのせめぎ合いで始まった。


だから、起きたいのに起きれない(笑)


よーし覚えたまま起きよー、と思って目覚めようとすると、


いいからいいからもうちょっと寝てて!!ってな感じで、


あれよあれよという間に眠くなり、


すっごい中途半端な部分で、目が覚めたままうつらうつら・・・。


あれはどっちにしろ、心地いいとは言えない(笑)



なんとか起きたとき、


ああ、これが、私が気づいていない、


内なる葛藤っていうものなのかなあ、って思ったよ。



このまま進みたい!っていう自分と、


それはやってはいけない!と必死で止めにかかる自分。


どっちも、わたしの姿。



そして、選択のポイントでもある気がする。


まず、ほんとうに、この変化を続けていきたいのか。


そして、それに対して、潜在的なストッパーが存在した時に、


それに、深く、耳を傾け、感じて、解放していくことに、


自分のエネルギーを向ける覚悟があるか。



っていうか、そうせざるを得ないところまで、


だいたい行ってしまうんだけど(笑)



いままでは、この後半部分に、気づかなかったんだ。


単純なんだけど、自分にとって蓋をしてきたものは、


たとえ、蓋が取れてきたとしたって、


やっぱり、今までどおり、蓋をしたままでおきたいと感じるものなんだよ。



そんな不愉快さを感じながら、


そのストッパーに、耳を傾ける。



体を動かすことが、一時的に億劫になる時は、


歩くとか、自転車に乗るとか、そういうちょっとした運動でも、


蓋をしていた感情が、表に現れてくるときだから。


現れてしまえば、実は一番すっきりさっぱりするんだけど、


それまでが、すごくおもったるい感じがするね。



っていうのも、観察してたらわかってきたよ。



だから、身体を動かし続けると、


毎日、毎日、すこしずつ、滞りが減っていくのを感じる。



あと、ちょうど、今みたいに、


過食の傾向が始まりつつあるようなとき!(笑)


何かが、自分を突き動かしているんだよね、こういう時って。



そう、朝イチで経験した、あの葛藤のように。



これでいいんじゃない?と、そうしたらダメだよ!が、


結果的に、身動きが取れない状態を作り出しているとき。




で、問題は、


その葛藤の内容自体ではなくて、


その葛藤を生み出すことになった、自分の「信念」。



それを見つけて、感じるところまで、


自分が、降りていかないといけないんだね。


それが、今の私の役割か。



わたしは、その信念を見つけて、解除してあげます。


感情も、感じきって、解放してあげます。



今出てきているもの、今日中に、解放するから、


潜在意識さん、手伝ってね。


わたしは、やる気でいるから。



よし、あとは、まかせた。



というわけで、まーたね~☆


ばいばーい☆



☆☆☆


このまんま、書いてみようかな。


朝ノートがわりに(笑)



こないだのブログで、


朝おきたらすぐ書け!みたいな口調で書いてたけど、


実際のところ、わたしはそんな風にはしてない(笑)


だから、そうしろ!って言われてんのかなあと思って、


ちょっと、意識するようにしたのね。



朝おきて、すぐ書くぞ・・・。



って思って、寝るわけです。


そうすると、おもしろいことに、


起きる直前に、いくつかのキーワードが浮かんできたり、


眠りと覚醒の狭間っていうの?


まどろみの中でぼんやりした感じと、


さあこれから起きるのですよ~といウェイクアップコールの狭間で、


あ、ならこれだけは覚えといて!!みたいに、




そう、まるで、


「・・・もういぐの?!ならこれだげは持っていがいい!!」


(もう行くの?ならこれだけは持って行きなさい!の意)


と、これだけは譲れぬとばかりに、


席を立つと同時に、お小遣いやお土産を持って行かせようとする、


田舎の気のいいおばちゃんのように、(イメージわかる?)



キーワードとか、イメージとかが、


ふわっふわっと出てきたり、


それに関連した、昔の出来事を思い出したり、


っていうことが、朝イチで起こったりしている。



ただ、それが何を意味するのか、


ぜんっぜんわからないわけで(笑)


潜在意識の言葉たち、わかるようにお願いしますね~


とお願いして、今夜は休もうっと☆



こうして観察していると、


自分さえ、真摯に向かう気があれば、


潜在意識って、ちゃんと反応してくれるもんなんだな、


っていうことが、ほとんど確信に近くなってきた。



夢なんかにかまってるより大事なことが!


って思ってる時は、夢なんか見たって気にもとめないじゃない?


だけど、結局は、夢も自分の意識が作っているものなのだ、って認識し始めた時に、


それも自分の意識の一部か、と思い始めた時に、


それも、観察対象の範囲の一つとして取り扱う、ということにしてみた。


そしたら、いきなり鮮明な夢を見始めたり、


夢占いに当てはめると、今の状態をよく表している内容だったり、


潜在意識と、コミュニケーションの扉が開かれたかな?って感じた。


これも、けっこう面白いですよ。


抑圧され続けた、認めがたいもう一人の自分の宝庫ですから(笑)



あ、でも、朝ノートと同じで、


ぬああるほどなあ~~!!


って感心してしまうようなヒントをくれたりもするから、


やっぱり、知恵と創造性の泉と言われるのはわかる。


みなさんもぜひぜひ、試してみてね。


時間をとるだけの価値は、ありますよ~☆



☆☆☆





「ずっとやりたかったことを、やりなさい」



これは、私の机の上に置いてある本のひとつで、


ジュリア・キャメロン著作の、邦訳版の本の題名。


(原本の題名は、「The Artist's Way」)



大学の時、市の図書館で読んだことがあった。


昨年、愛知の書店で久しぶりに再会し、


そのときは、タイミングだったのか、購入した。



この本には、2つの道具が紹介されている。


ひとつは、「モーニング・ページ」と呼ばれるもの。


わたしがよくブログの中で「朝ノート」と呼んでいるものは、実はこれにあたる。


もうひとつは、「アーティスト・デート」と呼ばれるもの。


以前書いた、「ふゆのおそとあそび」などは、


実は、これをヒントに生み出された時間である。




書くことに抵抗がない人や、むしろ好きなタイプの人にとっては、


この、「モーニングページ」は、自分と深くつながっていきたいという願望を、


ゆっくりと、地道に、しかし確実に、実現してくれるツールとなってくれると感じる。




やりかたは、簡単。


朝、起きたら、真っ先に机に向かい、


ノートを開いて、とにかく3ページ何かを書く。



何を書こうか、などと考える必要はない。


ただ、そのときに、頭の中にあるものを、ただ、書くのだ。


「眠い・・・昨日遅かったのがいけなかった・・・


わかってるけど起きていたい時だってあるんだから仕方ない・・・


それにしても、冬の朝って、どうしてこんなに寒いわけ・・・?」


こんな感じでOK。



実はこれは、マインドを吐き出す作業なのだ。


著者の言葉を借りれば、「脳の排水」である。


普段頭の中に流れているけど、表沙汰にされないたわいないおしゃべり。


あるいは、頭に流れていることにすら気づかない、絶え間無いおしゃべり。


それらを、紙の上に、見える状態にして、ことごとく書き出す。



書く事がないときは、「書く事がない」と3ページ埋める。


とにかく、ペンを走らせるのだ。


その過程でおこってくる倦怠感や投げやりな気持ちについては、


本書の励ましを味方にして、通り過ぎていってほしい。




これは、より深い、自らの意識と接触するツール。


朝、起きがけにノートへ向かうのは、


何を書こうかと瞬時に用意し始める「マインド」が働き出す前に、


潜在意識とつながっていた、寝ぼけまなこ状態の自分からの言葉を引き出すためだ。


より自分と深くつながっていくには、顕在意識を超えた自分を、知る必要がある。


そしてそれは、創造性の源と、


もっといえば、自分自身のエネルギーの源との接触にほかならない。




この作業を可能にするのが、「書く」という行為だったりする。


たまに、今の自分へのメッセージが、浮かんできたりもする。


「感じることを回復させること」で書いた内容は、


この行為が、ブログを書いているうちに行われた例だ。



書くということが、創造性を、生きる時間を、


より鮮やかなものに変えていく道具であることは、


おそらく、私たちにとって、大きなヒントになる事実だと感じる。




・・・突き動かされるように綴ってしまいましたが、


ちなみに、11年ぶりに、この本の続編が邦訳されたみたい。


興味あるけど、まずは書く事に熱中しちゃう私(笑)


あ、でももし購入した方がいたら、読ませてね(笑)



☆☆☆