毎日、こういうブログを書いていると、
すごく、些細なことから気づいていくんだよね。
アクセスが集中しそうな、面白い記事とか、
書こうと思えば、それにエネルギー注ぐんだろうけど、
今は、そういう感じじゃないんだ。
すごく、些細に感じることを、意識していくこと。
そのためには、どうしても、
スローダウンが、必要になってくるんだ。
で、これが、意外と嫌だったりするの。
世間のスピードで生きているから、気づかずに過ごしてこれたものを、
スローダウンしちゃったら、目の前に見えてきちゃうじゃない。
何がって?
意識を向けられずにいたものたちが。
だから、意外と、嫌がるもんなのよ。
呼吸を観察してると、とってもよく分かる。
浅く、浅く、なっていくからね。
今朝、一番に気になったことは、
古くなったランニングシューズへ向けている感情(笑)。
新しいの、買おう、って思ってたんだけど、
何か葛藤してて、身動き取れない感じがしててね。
なんだろうなあって思って、見てみた。
その靴、履きすぎて、先の方に穴があいてて、
靴下の色とか、見えちゃう感じなのです。
恥ずかしい、っていう気持ちと、
あとは・・・
こんな恥ずかしい思い、なんで私にさせるの!
っていう、怒りだったな。
この怒りをもってして行動すると、
こんな靴、さっさと捨ててしまって、
さっさと新しいものに取り替えて、
悠々と街を歩きたい!ってことになるんだけど、
何かが、ひっかかっていた。
「こんな恥ずかしい思い、なんで私にさせるの!」
・・・なんだろう。これ。
昨日、信号で止まっている時の、
ある親子の会話が思い出された。
よく覚えていないんだけど、
「春巻きが好きなの。私が好きなアニメ~。」
みたいなことを、無邪気に言ってたのね。
そしたらお母さんが、
「恥ずかしいからそんなこと言わないで!」
って、声を殺して、怒ったんだよね。
なんでこんな場面に出くわしたかな~なんて、
夜の町を自転車をこぎながら思ったけど、
あれ、ヒントだったのかも。
言いたいこと、言っただけなんだよね、子供は。
それがいいとか悪いとか、判断がないから、
ただ、言っただけ。
それを、
「世間様の目がある」
「こんなこと子供に言わせてたら、母親の私は馬鹿だと思われる」
・・・実際そのお母さんがどう思っていたかは、知らないよ?(笑)
ただ、
大人って、わたしたちって、
いろんな判断を下すでしょう。
それは恥ずべきことなのよ!っていうメッセージの奥には、
恥ずかしいこと=悪
っていう図式がないかな。
だって、そういう時の周りの反応って、
あざける
かろんじる
軽く見られる
人として扱われなくなる
極端かもしんないけど、そういうとこ、あるよね。
だから、自分たちが、そう見られたら最後、
周りから、そういう扱いを受けてしまう。
そういうおそれがあったら、
恥ずかしいこと=悪
に、なっても、おかしくないよね。
少なからず、こういう経験、
小さい頃に、してきているよね。
「なんでこんな恥ずかしい思い、わたしにさせるの!」
これは、その時のお母さんの叫びでもあり、
実は、子ども自身の叫びでもある。
判断さえなければ、ただの言葉だったものを、
それが悪いという見方をされたばっかりに、
悪者として、扱われた。
それ、思い出したんだ。
そして、無意識のうちに、
自分の靴に、投影した。
なつかしい、記憶たちだ。
だから、玄関にいって、
靴の前に、座ってみた。
穴があいちゃってるけど、
この数年間、私の足を、ずっと守ってくれた靴。
外反母趾の今となっては、
痛みなしに履ける靴は、これしかない。
そう、痛みから、ずっと自分を守ってきてくれた靴。
あなたが悪いんじゃないよね。
あなたはただ、懸命に、働いてくれていただけ。
こんなになるまで、ずっと、そばにいてくれた。
恥ずかしい思いをさせてるのは、
あなたじゃなかった。
ごめんね。
今日も、この靴を履いて歩いてきました。
ちょっとスースーするけど(笑)。
恥かしいは、ちょっとある(笑)
でも、「疎む気持ち」は、消えたかな。
あとは、新しい靴と出逢えば、
気持ちよく、おつかれさまって言えるね。
ありがとう。
☆☆☆