お盆にはお墓参りする習慣があるのは知っています。でも以前の何も知らない頃と違い毎日の様に霊を相手にしている今ではお盆は多分仏教関係者がお金を出させる為に造り出した習慣では無いかと思っています。
ネットで調べるとお盆の時期は先祖が年に一回あの世からこの世に戻ってくるのだそうです。それで家族と共にひと時を過ごし供養するのがお盆の行事だそうです。
そこで疑問が一つ、お盆の行事をやるのとやらないのでは何か違いが出るのか?です。自分の知っている限りでは何の違いも出ません。前にアメリカに住んでいてそこで世界中の人に会っています。どの国の人もお盆はやりませんが今の日本の人達よりも笑顔で元気でした。
供養をちやんとやらないと守護に影響が出ると考える人もいるのでしょうか?でも年に1回、2.3日しかこの世に戻ってこない霊に守護がが出来るとは考えにくいです。大体自分の調べた限りでは守護霊と呼ぶ存在は居ません。
昔テレビで「後ろに優しい笑顔のご先祖様が見えますね、守護していますね」と言っていた番組を思い出します。自分には霊は見えないので見える人にはそう見えるんだろうなと思っていたものです。今は波動で色々調べる事が出来るようになって霊の確認が出来る様になったのですがそのテレビのお2人を今写真で確認すると生霊も死霊も何十人と憑いています。人の霊は見えてお話を聞く事か出来たみたいですけどご自分に憑いている成仏されていない霊は無視なのでしょうか?でも思う所があってわざとそうしているのかも知れないですね。
あの世の霊は多分ですがそのつもりになればいつでもこの世に一時的に戻れると思います。実際呼んで霊媒体質の方に協力してもらいその人に憑依したのを見た事があります。ですから年に1回の話も造り話だと思っています。そのつもりになればいつでも戻れます。ただ前とは違う別の世界に住んでいるのですから以前の別の世界に戻る理由がありません。だから成仏した霊がこの世の、守護をするとは考えにくいです。中学を卒業して高校へ行ったら高校で過ごすものです。たまに中学に固執する人もいるかも知れませんがそのパターンは霊の世界で言えば成仏出来なくてこの世に留まっている霊の様なものです。あの世に行けない霊です。
もう一つお寺に???と思うのが霊の話をしている割には自分達に憑いている沢山の沢山の霊の事は無視しているからです。
年に一回あの世からこの世に霊が戻って来るそうですがそれらはもうあの世に行っているので何もしなくても大丈夫な霊です。この世にはまだ成仏出来ていなくてあの世に行けない霊が物凄ーい数います。一人残らず誰にでも表に出ているだけで何十人も霊が憑いています。
当然お坊さんにも同じような数の霊が憑いています。成仏出来ていない霊ですから苦しいとか痛いとか未練が残っているとか恨みを晴らしてやろうとか、あるいは自分が死んだ事に気が付いていなくてただウロウロして成仏出来ない霊も居ます。普通に考えて、もう成仏してあの世で楽しく暮らしている霊の供養よりもお坊さん自身ににも何十人と憑いている成仏出来ない霊の供養をするものだと思うのですがそれはしません。
理由は明確で霊の存在が分からないからです。元々見えるものではありません。見えないし波動は使えないとなると分からなくて当然です。それで毎年あの世からこの世に戻って来た霊を供養していると思うのですがご自身に憑いている成仏出来ない霊の数は減りません。供養していても霊が成仏しないのは供養が出来ていない事にならないですか?すると毎年何をやっているのでしょう?
先祖の供養の心配の前にまず自分達に憑いている霊の供養の心配をした方が良いと思ううのですがどうでしょう。成仏出来ずに苦しんでいるのですから。それに人に憑いている霊の数を考えるとどなたのご先祖様たちも多分半数以上は成仏出来ていないと思いますよ。
例えば「まだ死にたくない」の思いが強かったらその思いの波動は高く無いので成仏出来ません。「まだ死にたくない」と思う人は多そうです。それで「まだ死にたくない」の念の死霊となりこの世に残ります。霊の世界には時間が無いようなので「まだ死にたくない」の念だけでいつまでもそこにいる訳です。それぞれの霊の波動の高さが違うのでそれぞれ自分の波動の高さの世界に居ます。ですから他の霊とも会いません。永遠にです。多くの成仏出来ない霊はこんな感じです。
そんな霊が憑くと言う事は自分ではそれを思っていなくてもその霊の思いを自分で背負っている事になります。ネガティブな念ばかりですから普通にしていては自分の波動が下がるだけです。自分では思っていなくてもネガティブな思いがいっぱい憑いていますからネガティブの世界の住人になります。ネガティブな世界ですから普通にネガティブな事があなたに起きる事になります。だから自分は毎日浄化しています。
成仏した先祖よりもご自身の心配をすることをお勧めします。