霊がいくつ憑いているのか鑑定するサービスのご利用が増えているのですが気になった事があります。

 

波動で霊の数を調べると弱い霊まで探せるので想像する以上の数字になっていると思います。それでも全体的な数として見れば平均的なので「数としては平均的です。」とお伝えします。すると「数に驚きましたが平均的と聞いて安心しました。」とのお返事が来ることが多いです。

 

安心しているのを「その認識はズレていて実は良く無い状態です。」と返すのは何かその先の「霊の浄化」に持っていこうとしている様に受け取られると思うので何も言わない様にしています。

 

自分の認識では霊の数に関して「平均的」は「正常」と言う意味では無いし「健康」と言う意味でもありません。確かに数字だけ見ると平均的ですが今の平均的な日本人は心も体も病んでいる様に見えるのを考えると安心している場合では無いと思っています。

 

周りを心の病んでいる人達に囲まれていたら順応性と慣れを発揮してそれを普通に感じる様になります。その中での平均とは心が病んでいる状態で病んでない心の持ち主が入り込んだら「あの人はおかしい」と言われるのでは無いでしょうか。

 

人の波動のレベルによって分ける事が出来ます。低い方から「餓鬼、畜生、鬼、人」と分けれます。日本人の平均が畜生ですから今の日本で平均的とは畜生の心である事を意味していると考えています。特に最近のニュースや事件を見ると人としてあり得ない正に畜生の所業と言えるような傷害事件が増えています。

 

でも波動の高さが分かれば事件を起こしている人は畜生の波動か餓鬼の波動なので心も当然餓鬼畜生であると言えます、それを考えると極自然な事が起っているだけです。今の平均的な日本人は波動も心も人では無いのです。それで人の波動を下げるのが霊などの低い波動ですから平均的な霊の数だったからと安心されるのはちょっと違うかなと思う所です。

 

心だけで無く体調の面でも今の日本で30を超えて健康体の人は探すのが難しいのでは無いでしょうか。健康も人によって基準が違いますが普通に頭や肩や腰の痛みが無い、風邪は引いても年に1回程度、お腹を壊さない、虫歯が無い、成人病は無しでしょうか。かなりハードルが高い様に見えます。ですから現代の平均的は体調不良である事を意味します、健康体は異常なのです。

 

これも波動の高さを基準にしてみれば分かりやすいです。一般の認識では餓鬼畜生と鬼は地獄の住人になっていませんか?お亡くなりになった後地獄に落ちるような印象があります。それで地獄では痛みや苦しみから逃げ出せれない環境では無いでしょうか。

 

波動が餓鬼畜生の人は目には見えませんがお亡くなりになる前にすでに地獄に半分入っている様に見えます。痛みや苦しみ、淋しさ、絶望感に囚われて抜け出すのは難しい様に見えます。それで日本人の平均がこの状態の様に見えます。

 

それでせっかく地獄の環境から抜け出す第一歩として憑いている霊の事を調べようとしたまでは良いと思うのですが結果を聞いて「平均的な数ですね、分かりました。」で終わらせるのはもったいない気がします。

 

でもこれも霊に関する認識がデマであったり研究もされていないので誰も何も分からない状態なので仕様が無い事ではあります。憑いている霊は自力で成仏出来ないレベルの波動の低い霊です。霊の世界は時間が関係無いようなのでいつまでも憑いています、自然消滅しません。

 

ですから生まれてから憑く霊は増えるだけです。言い換えるなら垢の様なもので生まれてから一度もお風呂に入っていないようなものです。垢ならば匂いも出るし見ても汚れで認識出来るのでしょうが憑いている生霊などの霊は匂いも分からないし汚れも見えません。でも波動的には汚れて本人の波動が下がって本来の「人」の波動を「餓鬼畜生」の波動に下げています。

 

その物凄い汚いのを汚いと認識しないで生まれてから初めての波動のお風呂に入るチャンスを逃している訳です。自分の認識では波動の垢で汚れると精神や身体の機能で正常に作動しないパーツが出て来ます。

 

年を取る程に波動の垢は溜まります。精神のパーツの一部が作動しなくなり認知症と表れると考えます。体のパーツの一部が作動しなくなり自分で歩けなくなると考えています。原因が波動の垢ですと薬も効かまいですよね。現代医学では霊とか波動に関しては認識も出来ないのでそれらに手を付けません。だから何も出来ません。

 

「終わり良ければ総て良し」と言われますがそれは逆に今までどんなに良くても終わりが悪ければ全部がダメだった事にならないですか。必ずしも全員が認知症になって歩けなく訳ではありません。中にはお亡くなりになるその日まで普通に生活していた人もいます。

 

その違いは波動の垢の違いで中には心身のパーツを壊さないで維持出来る人もいるのだと考えます。

 

 

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