コメントで餓鬼畜生と鬼の名前付けに納得出来ると頂いたので少しその事を書こうと思います。
実はこれを発見したのは2年程前の事です。発見と言っても既に日本語としてあるので太古の昔にそれが分かった人がいて呼び名まで付けていた事になります。太古の人はどんな方法でそれが分かったのか興味のある所です、波動を使っていたのかも知れません。
ただ自分の場合はそれまではイメージとして昔に書かれた地獄絵図の餓鬼畜生や鬼の印象や今の異世界物のマンガに出て来るゴブリンや鬼の印象が強くて空想の世界のものだと認識していました。
たまたまニュースを見ていて「こいつは畜生だよな」と思い試しにその人のエネルギーに畜生なのか聞いてみたんですよ。そうしたら反応があって驚いたのが最初です。ちょっと予想外の出来事でしたから鑑定違いで無いか何回も確認しました。それで発見をしたわけです。直ぐに地獄絵図の事を思い出して鬼と餓鬼もいたなあと思い今度はそれに当てはまる人がいるのか探しました。
そうしたらいたんですね、餓鬼が。言っておきますが自分でこの人は畜生、この人は餓鬼と決めているのでは無いです、その人のエネルギーに聞くんですよ、そうすると畜生の場合はその様に答えてくれるのです。畜生の波動の人に餓鬼なのか聞いてもYesとはなりません。つまり餓鬼とか畜生はその人のエネルギーが自分で決めている、或いは自覚しているとのです。
そうすると今度は餓鬼と畜生の違いいは何かを知りたくなります。初めは違いが分かりませんでした、なぜある人は畜生である人は餓鬼になっているのか。何しろ初めての事で誰も人のエネルギーが餓鬼とか畜生の波動になっている事を知っている人もいませんので聞く事も出来ないし調べても何も出て来ません。調べると言っても自分には波動の高さぐらいしか分からないのでとりあえず波動の高さを調べた訳です。
そうしたら餓鬼と畜生では波動の高さが違うのが分かりました。明確に波動の高さで餓鬼と畜生が分かれていました、畜生の方が高いんですね。それで今度は餓鬼がいて畜生がいたら鬼がいるのでは無いか、いないのはおかしいのではないかと思い探したのですがこれが見つかりません。
鬼の波動の人が見つからないので鬼の波動の人はいないのではと思っていたのですが言葉には波動の高さが現れるのを思い出し「餓鬼、畜生、鬼」の言葉の波動を比べてみたのです。そうしたら鬼の波動は畜生よりも高いのが分かったのです。そうすると餓鬼と畜生の波動の人は見つかるけど鬼の波動の人が見つからないのは誰も鬼の波動に達していないことになります。
今度は餓鬼や畜生の波動の人はいるが人の波動は無いのかとの疑問が沸きますがこれは知っている人に人の波動がいたのを確認していました。今度は今まで知っている波動の高そうな人の存在です。神様関係の人ですが一体どの程度の波動の高さだったのか興味がわきます。
最初はブログでいつも引用している「お筆先」の関係者お2人です。出口直さんと出口王仁三郎さんですね、調べたらどちらも人よりも高い波動なんですね、そんな存在の名前は思いつかなかったので勝手に神人としています。この過程の中で人の名前にはその人の波動の高さがそのまま反映されるのが分かったんですよ、ですからいわゆる世界の偉人の波動の高さも調べる事が出来ます。
そこまで来たら全体像がつかめる様になりました。まず人には波動の高さがあります、それで「人」の波動の人は皆無です、国の天然記念物指定で良いのではと考えます。それよりも1段低い波動の存在が鬼でこれまた貴重種で見つかるものではありません。貴重ではありますが人の本来の波動の高さに達していない存在なので国の天然記念物指定には出来ないですよね。
その次が畜生ですが一番多い波動の高さです、その次が餓鬼ですが畜生と餓鬼の波動の人で99%以上を占めています。それで興味深いのがこの波動の低ささは生まれつきとか遺伝とか才能とは無関係の物だと言う事です。
理由が赤ちゃんは例外なく人の波動なのです、だけども成長するにつれて波動が下がって鬼の波動になってそこからまた下がり畜生の波動にまで下がるのです。考えてみれば理由は単純で身の回りを波動の低い物、物にも当然波動の高さ低さがあります、波動の低い食べ物、飲み物を与えられ畜生の波動の両親に畜生の価値観で育てられる環境にいるからです。
この環境で自立している大人なら影響を受けないで生活するのが可能かも知れませんが赤ちゃんですから両親色に染まるのは自然の成り行きです。波動は低くても生活は出来ますが低い波動=病んでいる気なので波動が高いままの方が良いですね。誰もが肩凝りになるし腰痛にもなるのでそんなものだと思うのでしょうが「人」の波動の人になったらそれは無くなるのではと考えます。うつ気味とかもそうです、畜生以下の低い波動の人の特徴なのでせっかく「人」の波動で生まれているのにもったい無いです。
自分には餓鬼とか畜生の性質のイメージがあるのですがその波動のままに振舞う傾向がある様に見えます。どちらにしろ波動の高いのが「愛」の方向で幸せになりたいのなら「愛」の方向を目指す必要があると考えます。ところが餓鬼と畜生は既に「愛」とは逆の存在なのです。畜生の人も愛を体現する時もあると思いますがその時の波動は多分畜生では無いと思います。実際人の波動の高さはいつも変わります。
それで畜生から抜け出す方法もあると考えています。今までは漠然と高い波動とか低い波動と言っていたものがどの位置にあるのかの一つの基準が出来たと考えるからです。その基準は自分が勝手に付けているものではありません、そのエネルギーに聞くと向こうで教えてくれるのです。
それで身の回りの物の波動を調べて低い波動の物から離れるだけで効果が出るのでは無いでしょうか。食べ物もそうだしスマホや身に付けているインチキパワーストーンなどもそうです、めちゃくちゃ波動が低いのです。そして波動の低い人は可能な限り避けて波動の高い人と繋がる、単純ですが効果抜群だと思います。
それで結論ですが餓鬼畜生と鬼は外見は人と同じですが中身が違う存在であると言えるのでは無いでしょうか。