一般の方の基準は多分
お金
容姿
学歴
家柄
性格
の順では無いでしょうか。何も間違っていません、正しいと思います。
人は波動の高さでグループ分け出来ます、それで自分は一番低いグループを餓鬼として次のグループを畜生としています。赤ちゃんを除いてはこの2つのグループが99%を占めています。一番高いのが神様でその次を神人としています。
上に挙げた基準はまさしく餓鬼や畜生の目から見た基準では無いですか?神様や神人が気にする基準では無いと思います。想像では餓鬼や畜生は心の奥深く自分がダメなのを知っているので守ってくれるものとか自分を飾ってくれるものを欲しがるのだと思います。
波動の視点で見るとそれはトラウマのせいで自分で強力な思い込みをして自分で生霊を造った結果です。餓鬼や畜生の波動から抜け出すにはそのトラウマの解除と生霊の浄霊を最初にやる事が絶対だと思うのですがこんな考え方は非科学的だと怒られてしまいます。餓鬼とか畜生の方がそれよりも上の波動の意見を怒るんですよ、笑ってしまう世の中です。
例えるならば人が畑を持って生活しようとしているのを虫が繁殖しにくいからもっと汚くしろとかイノシシが畑はこうやって使ものだとして掘り起こしている様なものです。虫もイノシシも間違ってはいません、人も間違ってはいません。種族が違うので基準が違っているだけです。
自分が選ぶ基準は波動の高さだけです、あとの基準は気にしません。人の波動になっているならば全面的に信頼します。
逆に特に餓鬼の波動の人は避けます、危な過ぎます。殺傷事件を起こしている人の大多数は餓鬼の波動の人なのが調べて分かりました。ですから電車内でもバスでも気になる人がいたらその人の波動をチェックして餓鬼の波動の人だったら即離れます。「触らぬ神に祟りなし」です。
何が気に障って暴れ出すか予想が付きません、自分は凄いと周りの人にアピールしたいのは分っていますがいつその発作が出るのかが判らないのです。警察は事が済んでからしかやってこないのは証明されていますし他人の助けを期待するのは楽観的過ぎます。自分の身は自分で守るしかありません、それで一番有効なのが逃げる事だと思います。
この間自作の銃を政治家にぶっ放した事件がありましたが良い例です、容疑者の人は餓鬼の波動です、警察は事の最中は何が起こっているのか理解出来ないでいます。事が全部終わってから騒ぎ始めますがもう手遅れです。自分の身は自分で守るしかありません。
それではここで神人の波動の文章です。
艮の金神が出口直に書かした筆先であるぞよ。綾部の広間は外の広間とはチト違ふから、難しいのであるぞよ。綾部の広間は異ふ行状を致さぬと、その行状で御話致しても、思ふ如うにはいかぬぞよ。それが判らぬか。判らぬならば先生とは言はさぬぞよ。敵対うならば何程なりと敵対うて来て下されよ。時節を待ちて御礼を申すぞよ。今辛き御方もう時節は参りて居れども、判らぬ御方がある故に、物事が遅くなりて、真実に気の毒であるぞよ。その行状でいくならば行りて見よれ。なかなかゆこまい。それが判らぬのが気の毒な事には慢心からであるぞよ。落ちて居るもの侮るなよ。良き御魂が落して在るぞよ。表面は今日でも変はるぞよ。霊魂は変らぬぞよ。身魂の審査めが致してあるから、人民の眼からは見えぬことであるぞよ。身魂の善悪が判かりて来るぞよ。開いた口が閉らぬ事変が出来ると気の毒なから、筆先に書き置くぞよ。筆先にあることは皆出て来るぞよ。神申す言は日にちはチト延ることもあれども、チットも違ひのなきこと許りじゃぞよ。
1つ気になるのが「落ちて居るものを侮るなよ」です。トンデモ無い人が何処かに居るんですね、でもその人が動く気が無いのであれば会える事は無いですね、物理的に顔を合わせる事が出来ません。
でも同じレベルの人同士でくっ付くものですから自分も波動を高めて行けばいつか会えるかも知れません、楽しみです。