明治の昔から情報はありましたね、ただ誰も信じていませんでした。
神は別け隔ては致さぬぞよ。皆一様に守護のじゃぞよ。神は隔ては致さぬが、人民が隔てを致すのであるぞよ。皆和合致して神の世話致して呉れたなれば、天地の御神様は御歓びであるぞよ。夫れに就いては万の神々様も御歓びであるぞよ。和合の信心で無いと真実の御神徳は無いから、皆和合致して下されよ。辛き所を凌がぬと真実の御蔭は貰へぬぞよ。苦労致さぬと何も判らぬぞよ。誠の者は一旦は苦労もあれども、去る代り判りて来たなれば結構であるぞよ。苦労無しには誠は出来ぬぞよ。慾は要らぬぞよ。慾思ふから心を苦しむのじゃぞよ。神に一任して仕舞ふたならば、神が守護てやれども、其の者が無いぞよ。神心になりたならば、病気も無し、長寿も出来るし、結構であれども、人民と云ふものは真実に慾の深きものであるから、我と我が身を苦しめるのじゃぞよ。人民と云ふものは前世の因縁が皆あるから、我が身を恨めて置かねば、我が身に罪科があるのじゃぞよ。天地の御神様に御詫が第一等であるぞよ。御詫が叶へば結構になるが、此の世の人民、天地の御無礼は言ひ尽されぬぞよ。御詫致せば赦してやるぞよ。何事も判る世になるぞよ。水晶の世になるぞよ。神代に復古るぞよ。
「神心になりたら病気も無し、長生きも出来るし」とハッキリ書いています、誰も神様を信じなかったんですね。神様の言う事は信じないけど人の言う事は信じて病院にせっせと通うし薬漬けにもなるし治験も済んでいないワクチンは有難く何回も打つんですね。
このお筆先の文章の波動が神人の波動です、マスコミでコロナがアブナイと騒いでワクチンを称賛している人達の波動が畜生の波動です。自分は神人の波動の方を信じますが皆さん畜生の波動の人の言う事の方を信じます。
理由は単純で「神心」になっていなくて「畜生心」になっているからですね、畜生心だと畜生の波動の人の言う事が心に響くんですよ、その変わり神人の波動の言葉は心に違和感を与えるんですね。差があり過ぎて心に響きません。
波動が上がって除霊出来るレベルになるとウイルスのエネルギーと交流出来る様になります。それで調べててみると役所や国が流している情報とは違う情報が取れます、自分は人の言う事は半分くらいしか信じないのでこの件もエネルギーからの情報を信じます。
ワクチンのエネルギーとも交流出来ます、自分ならワクチンは打ちません。
それでどうしたら神心になるのかも書いてあります。
「別け隔ては致さぬ」
「皆和合致して」
「欲は要らぬ」
「神に一任して仕舞う」
「 我が身を恨めて置かねば 」
「 天地の御神様に御詫 」
親切丁寧に書き出してくれていますが誰も神様を信じていませんのでやりません、勿体無い事です。
書かれている通りにすると波動が上がります。直ぐに人を超えるレベルまで上がるのでは無いでしょうか。でもハードルがあるのも確かです、他の助けを求めないで自分だけでやった場合はお筆先に書かれている「 辛き所を凌がぬと 」の道を通らなければいけないでしょう。時間もかかるだろうし結構な精神力が必要になると思います。
「別け隔ては致さぬ」を例に取ると表面的には出来る人はいると思いますが演技無しで訳け隔て無く接するのは難しくないですか?
イジメたり嫉妬したり自慢したりバカにしたり差別する人はその感情を乗り越えなければいけません。自分の場合の「畜生」呼ばわりは自分の中では乗り越えていて「畜生」呼ばわりしても波動の高さは保たれています。大体「畜生」の言葉を使うのは波動の高さを測った時だけです。
問題はトラウマを元に自分で造り出した自縛の生霊を皆さん持っているので凄くなりたい思いが強すぎる事ですね、他人と比べて凄くなりたいのです。すでに比べているでしょう。
自力で神心になろうとしたら自分のトラウマを克服する必要があるのですが普通に考えて無理です。波動を使えない人は何が自分のトラウマかも判らないと思います。
そこで人の手を借りる方法もあります、トラウマも自分で造った生霊も生霊ですから除霊すれば良いのです、それでも苦労はすると思いますが自力で野郎とするより断然早いと思います。
こちらからの引用です。
波動上げます、