仏教伝来の年代を見るとどうも皇族とかの渡来族が持ち込んだ様な気がします。初めから侵略に利用するつもりだったのでは無いでしょうか。

 

インドで生まれてC国に渡ったのを持ってきた訳ですが今のインドとC国を見てどんな印象を受けるでしょう、インドは他の宗教が幅を利かせて身分制度があります、C国はC国です、霊的に優れている国には見えません。そんな国から来た宗教ですから波動的にも同じレベルだと思います。

 仏事(ぶつじ)神力(しんりき)()られて、(かみ)神力(しんりき)(うす)()りて()りたなれど、()()()れば(かみ)神力(しんりき)(つよ)()りて、(ぶつ)()神力(しんりき)()くなりたぞよ。()御座(ござ)れよ、()(かみ)()()たら、世界(せかい)自由(じゆう)(いた)すぞよ。()(かみ)(ちい)さい(こと)(きら)いで()るぞよ。(まこと)水晶(すいせう)真心(まごころ)なれば、(おほ)きな神智神能(おかげ)賦興()(かみ)()るぞよ。()御座(ござ)れ、(まこと)(もの)自分(じぶん)にも(わか)らん(やう)(こと)出来(でき)()()()りたぞよ。世界(せかい)のものは吃驚(びっくり)(いた)(やう)(こと)出来(でき)るから、()れで(まこと)(まこと)一点(いってん)()りに(もう)すので()るぞよ。(かみ)力徳(おかげ)()りたくて()()して()れども、(みな)人民(じんみん)(まこと)()いから、()利益(りやく)(もろ)(まで)やう辛棒(しんぼう)(いた)さずに、(みな)途中(とちう)(にげ)(しま)ふなれど、(かみ)信頼者(ちから)()ろうと(をも)へば、ソンナ(ちい)さい気心(きごころ)では十分(じゅうぶん)(こと)()()れんぞよ。()神業神経神綸(こと)神世()(はじ)まりで()るから、大事業(たいもう)()るぞよ。ナカナカ(みな)御苦労(ごくろう)()れども、モウ世界(せかい)には仕組(しぐみ)(いた)して()(こと)()るから、()(こと)(ひろ)めて(くだ)されば結構(けっこう)()るぞよ。

この神様は仏教と神様は別物だとの立場ですね、確かに神様から見たら仏教は新興宗教です。

 

自分は仏教の事は良く知らないのですが葬式の作法屋さんなのですか?お経も日本語の当て字で読んでいるのではないですか?一番違和感を感じるのがお坊さんの存在感ですね、お坊さんだから何やら修行をして自分達は凄い高尚な存在になったつもりの人が多い様に見えます。でも直接攻撃された事は無いので何もしないでこのままですけどね。

 

神様が表に現れて神力を取り返したとの事です。そう言えば確かにお寺の勢いが無くなっています。もう葬式でお金儲けする時代では無いのでしょう。

 

それにお経を上げて霊を成仏させる事の出来るお坊さんはほとんどいないのでは無いですか?波動で調べるとどこの土地でも表面には出ていないで奥に隠れている霊が沢山います。はるか昔から人が無くなった時はお経を上げていたと思うのですが成仏されていなかったという事ですね。

 

興味のあるのが「 (まこと)水晶(すいせう)真心(まごころ)なれば、(おほ)きな神智神能(おかげ)賦興()(かみ)()るぞよ。()御座(ござ)れ、(まこと)(もの)自分(じぶん)にも(わか)らん(やう)(こと)出来(でき)() 」の下りです。でも今の日本は誠の人が何人か出て来ている様に見えますが大きなお陰を貰って自分にも判らん様な事をする人は誠でない大衆から攻撃を浴びる運命にある様です。

 

攻撃をする人は自分が一番正しいと思いたいのに勝手に目立つ人が出て来て人からチヤホヤされるのが許せないのだと思います。畜生の波動ですから当たり前と言えば当たり前なのですが明治の29年から改心しろ、誠の者になれと書かれているのですから少しは自分の行いを見直しても良さそうなものですが自分の正義は絶対と思っているのでしょう。イノシシが改心するはずが無いですよね。本能のままに振舞うのが畜生です。

 

もう世界には仕組みがしてあるとの事ですからこれから何が起こるのはは明白です。変わる可能性のあるのは沢山の人が改心出来たら大きな問題も無くスムーズに進む様ですが改心出来た人が少なければ強制的に改心をす様な出来事が起きると言う事です。その場合でも世界で改心出来た人は全体の3%程しかいない事になるそうです。

 

強制的に改心をする様な出来事の最中に97%程が間引かれる事になりますね。それがいつかですがもう始まっているのでは無いですか?

 

 

こちらからの引用です。

 

 

 

 

祓います

 

 

 

 

 

 

 

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