難しく考えないで素直に受け止めれば良いとは思うが解釈が良く判らん。
綾部のお広間は橋架けであるぞよ。モウ結構が判るぞよ。誠の人を此の広間へ曳き寄せるぞよ。此の広間を基本と致して結構を致すぞよ。所々のお広間は、此の結構が出来るための先走であるぞよ。取次も此の世話さすための取次であるぞよ。良い世話を致して置けば、結構が出来るから、世界の人よ、人を助けておけば、そのものは神が助けるぞよ。余り此の世に運否運があるので、神が見て居れぬから、改心を致されよ。良き世となるぞよ。今は強い者勝ちの世であるぞよ。是でも世を返して、良き世と致すぞよ。良い心を持ちて、人を助ける心の者は、神が守護致すぞよ。余り世界の人民の心が劇しき故に、神も苦労致すぞよ。早く改心を致されよ。世界に不思議があるぞよ。改心次第で助けるぞよ。神良くば人民良くなるぞよ。世話になりたり、致したり、持ちつ持たれつの世であるぞよ。神も仏事も人民も、良き世と、世界一列平均すぞよ。此の直は五年あとから神が体内借りて居るぞよ。此の人は化物であるぞよ。如何な神業でも神が致さすぞよ。明治廿五年から神の御用が命してあるぞよ。仕事の邪魔は致ささずに、仕事の間暇に命してあるぞよ。夜業と間暇の仕事であるが、大分良き仕事が出来てあるぞよ。
最初に気が付いたのが「 人を助けておけば、そのものは神が助けるぞよ 」です。つまり人を助けない様な人は助からない事になりますが人を助けるのに何処まで助けるのか判らないですよね。
例えば振り込み詐欺がいますがあの人達も生活の為にやっています、或いは先輩などに言われて断れ無くて始めた人もいるでしょう。その人達を詐欺に関係ない事で困っていて助けますか?
例えば仕事に行く途中で乗っている車が止まって明らかに助けを求めていたら。助けてその人は無事に仕事を続ける事が出来て詐欺を働いたら?間接的に詐欺の手助けをしている事になりませんか?
それを考えたら知らない人には関わらないのが一番です。不倫に行く途中の人が何かで困っていて助けてそのまま不倫に行ったら不倫された相手から見たら自分は加害者と同じです。
もう一つ気になったのが改心しないと助からない人が大勢出て来る訳ですがそれは助けたいけど助ける事が出来ない人ですね。つまり基準に達していなかった人。自分の基準で行くと餓鬼と畜生と鬼の波動の人です。
だったら初めから鬼の波動の人はまだチャンスがありそうなので置いといて餓鬼と畜生の波動の人は放っておいて良いのではと思います。どっちにしろ助かりません、改心に興味もあるとは思えません。約99%に人がそうですからむしろ手を出すだけ無駄な様な気がします。
それでも自分の場合はこのブログでもしかしたら改心に興味が出る人が出るかもと言う思いでいますが書き方が良く無いせいか誰も読みません。
当たり前ですけどね、引用した部分は波動で言えば「神人」の波動です、人を超えて神人です。世の中99%の人は餓鬼か畜生の波動です、世界が違いすぎます、馬の耳に念仏です。畜生と神人の間には鬼がいて人がいます、要はイノシシに人と一緒に住んで同じ生活をするのを期待する様なものです。イノシシに綺麗に食べましょうねとか毎日シャワーを浴びましょうねと言っても通じません。出来すハズも無いし。
でも鬼以下全滅だとその後の生き残りが大変そうなので一人でも良いので人のレベルまで上がって欲しいものです。
赤ちゃんの時はみんな人の波動だったので出来ない筈は無いのですがどうなるのでしょう。
こちらからの引用です。
除霊しています。