この神様が知れる様にならない限りは好転しないとの事ですからこれからも悪くなって行くのでしょう。

(うしとらの)金神(こんじん)筆先(ふでさき)()るぞよ。出口(でぐち)(なを)(かか)した筆先(ふでさき)であるぞよ。何鹿郡(いかるがぐん)綾部(あやべ)本宮坪(ほんぐうつぼ)(うち)出口(でぐち)(なを)屋敷(やしき)は、(かみ)因縁(いんねん)のある屋敷(やしき)であるから、(この)屋敷(やしき)大地(だいち)金神(こんじん)(さま)御宮(おみや)(たて)るぞよ。大嶋(おほしま)(いえ)()って(くだ)されよ。角蔵殿(かくぞうどの)退()いて(くだ)されよ。金助殿(きんすけどの)(いえ)()って退()いて(くだ)されよ。治良右衛門殿(じろうえもんどの)(いえ)()って退()いて(くだ)されよ。()(どく)(なが)村中(むらじゅう)(いえ)()って退()いて(くだ)されよ。(この)(むら)因縁(いんねん)()(むら)であるから、人民(じんみん)住居(すまい)出来(でき)(むら)であるぞよ。燈台下(とうだいもと)真暗黒(まっくらがり)遠国(えんごく)から(わか)りて()て、アフンと(いた)(こと)出来(でき)るぞよ。綾部(あやべ)()(もと)大昔(おほむかし)から、(かみ)経綸(しぐみ)(いた)してある結構(けっこう)(ところ)であるから、綾部(あやべ)流行病(はやりやまい)(ふう)じて()るぞよ。(この)(こと)()りた人民(じんみん)(いま)一人(ひとり)()いぞよ。綾部(あやべ)本宮村(ほんぐうむら)(ひと)(あわれ)みの()(むら)()るぞよ。(ひと)()なうが()けやうが、自己(われ)さえ()けりゃ(かま)はん人民(じんみん)ばかりで()るから、改心(かいしん)(いた)さんと()(をさ)まりたら、此村(このむら)悪道鬼村(あくどうおにむら)()()けて、万古(まんご)末代(まつだい)(あく)(かがみ)(いた)すぞよ。出口(でぐち)(ひき)()きに()るものも出来(でき)るぞよ。本宮坪(ほんぐうつぼ)(うち)出口(でぐち)竹造(たけぞう)(なを)屋敷(やしき)には、(きん)茶釜(ちゃがま)黄金(こがね)(たま)(いけ)()るぞよ。(これ)(ほり)()して三千世界(さんぜんせかい)(たから)といたすぞよ。黄金(こがね)(たま)(ひか)()したら、世界中(せかいじゅう)()()守護(しゅご)となりて、(かみ)神力(しんりき)何程(なにほど)でも()るぞよ。()いた(くち)(すぼ)まらぬぞよ。(うし)(くそ)天下(てんか)()ると(もう)すのは、今度(こんど)(こと)(たとへ)であるぞよ。(むかし)から()(この)()(はじま)りてから()(めず)らしき(こと)であるぞよ。大地(だいち)金神(こんじん)(さま)金勝金(きんかつかね)神様(かみさま)(もう)すぞよ。今度(こんど)(うしとらの)金神(こんじん)(おもて)()るに()いて、(この)神様(かみさま)陸地表面(あげ)へお()(もう)して、結構(けっこう)御祭(おまつ)(もう)さな(この)()(をさ)まらんぞよ。(むかし)から結構(けっこう)霊魂(みたま)(たか)神様(かみさま)ほど、()()ちて御座(ござ)るぞよ。時節(じせつ)(まい)りて煎豆(いりまめ)にも(はな)()きて、上下(うへした)にかへりて、万古(まんご)末代(まつだい)(つづ)()()りて、(かみ)(はげ)しく人民(じんみん)(をだや)かに()るぞよ。(これ)(まこと)神世(かみよ)(もう)すぞよ。神世(かみよ)になれば人民(じんみん)寿命(じゅみょう)(なが)くなるぞよ。世界中(せかいじゅう)(いさ)んで(くら)(やう)()るぞよ。(いま)日本(にほん)人民(じんみん)は、斯様(こん)結構(けっこう)()()いともうして()れど、(かみ)から()れば、是位(これくら)(わる)()(この)()(もと)から()いのであるぞよ。人民(じんみん)(もう)すものは、()(まえ)(こと)より(なに)(わか)らんから無理(むり)()いぞよ。
 

 

前半は明治27年の綾部の様子ですね、田舎あるあるで其れこそ餓鬼畜生の巣窟です、今は変わったのでしょうか?でも日本人の行動は人の目があるから良い人に見える様に振舞うけど村八分とかいじめとか無くならないのを見れば本質は変わっていないのではないですか。

 

トラウマを抱えているからイジメる行動になるんですがそれもまだ知れ渡っていないですから餓鬼畜生の世界からは抜けれません。

 

それにまた出て来ました「遠国から判り来て」です。改心出来るのは大本の信者からでは無いと言う事ですね、関係の無い第3者の方の改心が先だと言う事です。多分スピリチュアルとか波動側からのアプローチの方が先に改心出来るのでは無いですか?

 

それで金勝金の金神ですが誰も知らないですよね、それでこれは明治27年に書かれたものですがその時点で金勝金の神様が世に知れ渡らないと世の中が良く成らないと判っていたはずですね、それでこの大本の連中はこの神様を知ってもらう為に何もしていないのでは無いですか?

 

だから自分なんかブログで大本は無能だ、使えないと書いているのですが凄いとしか言いようがありません。ハッキリと大地の金神様と書いてあります。

 

まあこの神様がお祀りされる様にならない限り良くは成らないと取れますのでこれからもっと住みにくい社会になるのでしょう。

 

こちらからの引用です。