これからも今の災害よりももっとひどい災害が来るのが書かれています。それで何故災害が来るのも。要は人の波動が下がりすぎて心が汚い人ばかりになったので世直しをするんですね。
 
人よりも波動のが低いのが鬼でそれよりも低いのが畜生で今の人の95%がこの畜生です、それで鬼以下は地震、雷、火の雨で絶やすと書いています。大雨は書いていないのでまだ始まっていないのでしょう、準備するなら今の内です。
 てん○○「しは」綾部(あやべ)仕組(しぐみ)(いた)してあるぞよ。○○○「てんし」○○○「てんか」(こしら)へて、(もと)(むかし)(かへ)すぞよ。洋服(ようふく)()てウロツク(やう)(こと)では、日本(にほん)(くに)(をさ)まらんぞよ。国会(こっかい)(びら)きは、人民(じんみん)何時(いつ)までかかりても(ひら)けんぞよ。(かみ)(ひら)かな、ひらけんぞよ。(ひら)いて()せう。東京(とうきょう)(もと)薄野(すすきの)()るぞよ。永久(ながう)(つづ)かんぞよ。(あづま)(くに)一晴(ひとは)れの(のち)(くら)がり。これに()()人民(じんみん)はないぞよ。(かみ)()けるぞよ。(この)()(おに)往生(おうぜう)さして、地震(じしん)(かみなり)()(あめ)()らして、○○○「たやさ」ねば、世界(せかい)神国(しんこく)にならんから、(むかし)大本(おほもと)からの(かみ)仕組(しぐみ)が、成就(じょうじゅ)(いた)時節(じせつ)(まわ)りて()たから、苦労(くろう)はあれど、バタバタと(らち)()けるぞよ。(わか)りた守護神(しゅごじん)は、一人(ひとり)なりと(はや)大本(おほもと)()(まい)りて、神国(しんこく)御用(ごよう)(いた)して(くだ)されよ。さる()わりに(つと)(あが)りたら、万古(まんご)末代(まつだい)()(のこ)(こと)であるから、(かみ)から結構(けっこう)御礼(おんれい)(もう)すぞよ。世界中(せかいじゅう)(こと)()るから、何程(なにほど)智恵(ちえ)(がく)がありても、人民(じんみん)では(わか)らん(こと)であるぞよ。()仕組(しぐみ)(わか)りては()らず、(わか)らねば()らず(わか)らぬので、改心(かいしん)出来(でき)ず、()立替(たてかへ)の、末代(まつだい)一度(いちど)仕組(しぐみ)であるから、全然(さっぱり)(がく)智恵(ちゑ)(すて)(しも)ふて、(うま)赤児(あかご)(こころ)(たち)(かへ)らんと、見当(けんとう)()れん、(むつ)(しい)仕組(しぐみ)であるぞよ。今迄(いままで)(はら)(なか)の、ごもくをさっぱり、()()して(しま)はんと、今度(こんど)実地(じっち)まことは(わか)りかけが(いた)さん、大望(たいもう)仕組(しぐみ)であるぞよ。

これだと綾部の大本が救いのヒントみたいだけど人によって解釈が変わりますね。自分の場合は宗教団体の事では無くこれらの書物だと思っています。だって上の文の波動は神人ですからその辺の宗教団体の人間よりも格上です。

 

これがどのレベルかと言えば有名なヨハネの福音書ってありますね

 

「 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 」

 

のこれ。これで鬼の波動です、人ですら無い。予想ですが最初書いた人は古いヘブライ語で書いたんじゃないですか、その原文はもっと高い波動だったのではないですか。それが色々な人の手を経て日本語になった時に鬼の波動まで下がったのだと思います。

 

それほど精神性の高い文章ですから宗教団体へ出かけて行って畜生の波動の人と話すよりも静かに上の文を読んでいた方が良いです。まさか神様が畜生の波動の宗教団体に行けと言うはずが無いはずです。

 

最後にてんしはやはり天〇家では無いようですね。それなら納得です、あちらは伊勢神宮派のはずですから綾部の大本に行っててんしとして治まる事は無いでしょう。

 

もう一つあります、今は伊勢神宮に天照大御神は治まっていないですよ、波動で調べれば分かります、今は東京にいらっしゃいますね、皇居とか皇室関係の所ではありません、東京の郊外ですね。

 

これも普通に考えれば分かる事です、天照大御神が畜生波動の人に囲まれた環境に留まる筈が無いんです、自分でも嫌です。畜生波動の人に囲まれて心地良いのは畜生だけで神様がそんな環境を良しとするはずがありません。

 

しかし天照大御神が外見立派な伊勢神宮を離れるとは世も末です。

 

 

こちらから引用しました

 

 

 

 

 

 

憑いている霊が波動を下げる