てん○○[「しは」]綾部に仕組が致してあるぞよ。○○○[「てんし」]、○○○[「てんか」]を拵へて、元の昔に返すぞよ。洋服を着てウロツク様な事では、日本の国は治まらんぞよ。国会開きは、人民が何時までかかりても開けんぞよ。神が開かな、ひらけんぞよ。開いて見せう。東京は元の薄野に成るぞよ。永久は続かんぞよ。東の国は一晴れの後は暗がり。これに気の付く人民はないぞよ。神は急けるぞよ。此世の鬼を往生さして、地震雷火の雨降らして、○○○[「たやさ」]ねば、世界は神国にならんから、昔の大本からの神の仕組が、成就致す時節が廻りて来たから、苦労はあれど、バタバタと埒を付けるぞよ。判りた守護神は、一人なりと早く大本へ出て参りて、神国の御用を致して下されよ。さる代わりに勤め上りたら、万古末代、名の残る事であるから、神から結構に御礼申すぞよ。世界中の事で在るから、何程智恵や学がありても、人民では判らん事であるぞよ。此の仕組判りては成らず、判らねば成らず判らぬので、改心が出来ず、世の立替の、末代に一度の仕組であるから、全然学や智恵を捨て了ふて、生れ赤児の心に立返らんと、見当が取れん、六ケ敷仕組であるぞよ。今迄の腹の中の、ごもくをさっぱり、投り出して了はんと、今度の実地まことは分りかけが致さん、大望な仕組であるぞよ。
これだと綾部の大本が救いのヒントみたいだけど人によって解釈が変わりますね。自分の場合は宗教団体の事では無くこれらの書物だと思っています。だって上の文の波動は神人ですからその辺の宗教団体の人間よりも格上です。
これがどのレベルかと言えば有名なヨハネの福音書ってありますね
「 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 」
のこれ。これで鬼の波動です、人ですら無い。予想ですが最初書いた人は古いヘブライ語で書いたんじゃないですか、その原文はもっと高い波動だったのではないですか。それが色々な人の手を経て日本語になった時に鬼の波動まで下がったのだと思います。
それほど精神性の高い文章ですから宗教団体へ出かけて行って畜生の波動の人と話すよりも静かに上の文を読んでいた方が良いです。まさか神様が畜生の波動の宗教団体に行けと言うはずが無いはずです。
最後にてんしはやはり天〇家では無いようですね。それなら納得です、あちらは伊勢神宮派のはずですから綾部の大本に行っててんしとして治まる事は無いでしょう。
もう一つあります、今は伊勢神宮に天照大御神は治まっていないですよ、波動で調べれば分かります、今は東京にいらっしゃいますね、皇居とか皇室関係の所ではありません、東京の郊外ですね。
これも普通に考えれば分かる事です、天照大御神が畜生波動の人に囲まれた環境に留まる筈が無いんです、自分でも嫌です。畜生波動の人に囲まれて心地良いのは畜生だけで神様がそんな環境を良しとするはずがありません。
しかし天照大御神が外見立派な伊勢神宮を離れるとは世も末です。
こちらから引用しました
憑いている霊が波動を下げる