私は、一ヶ月半から二か月毎に床屋に行っている。

元来、流行やオシャレに関心はなく、「安ければいい」というスタンス。

で、通っている床屋は、カットのみで¥1,300(十数年前になるが¥500-の時代もあった)。

しかも、はやい。

タイミングが悪いと長く待たされることもあるが、カット時間だけだと15分くらい。

スタッフと社交辞令的な雑談をする必要もなく、人間的な煩わしさもなし。

財布も気も楽に済む。

 

ただ、難点がないわけではない。

切り方はかなり雑で、最初に希望を伝えるのだが、まずもってその通りになることはない。

あるスタッフは、直接 髪に触れることなく、クシで髪を浮かせてそのままハサミでカットする手法で、ほとんど“乱切り”“散切り”。

そうは言っても、細かな注文はつけにくい。黙って辛抱する。

「だったら、普通の床屋に行けばいいだろ!」と内心で言い返されるだけだろうから。

こういうところでも、自分の小心ぶりが発揮されている。

 

難点はもう一つ。

それは、自分の姿。

普段、自分の顔をマジマジと見ることはない私だが、床屋では、デッカイ鏡の前に座らされるわけで、イヤでも自分の顔を見ることになる。

「随分と歳とったなぁ・・・」

「随分くたびれてきたなぁ・・・」

老朽化していく自分を、どうしても蔑んでしまう。

そして、鏡の向こうの自分と目が合うと、

「“若い”と思ってるのはお前だけ」

「あとはダメになっていくだけ」

と呟き、淋しいような、切ないような・・・少し惨めなような気分に苛まれるのである。

 

 

 

「管理物件で起こったことじゃないんで、正規の仕事とは言えないんですけど・・・」

ある日の夕方、取引関係にある不動管理会社、互いに知った間柄の担当者から電話が入った。

話の概要はこう。

「お客であるアパートのオーナーが自宅で足にケガをした」

「かなりの出血で救急搬送された」

「家が血だらけになっているらしい」

「オーナーから“きれいにしてほしい”と相談を受けた」

「取引のある工事業者関係すべてに当たったが、どこからも断られた」

というもの。

この管理会社は割と大きな会社で、外注業者や下請業者をたくさん抱えているのだが、どのツテを辿ってもダメだったよう。

そこで思い当たったのが当社。

「人は亡くなってないんですけど・・・そういう所をやってもらうことできますか?」

と、ちょっと言いにくそうに訊いてきた。

 

どうも、担当者は、“ヒューマンケアは、人が死んだ現場じゃないと仕事をしない”と勘違いしているよう。

しかし、もう他にアテはなく、“ダメもと”で連絡してきたよう。

私は、“人が死んでないと仕事しないって変態かよ!”と自虐しながら、

「いや・・・亡くなっていない現場でもフツーにやりますよ」

と笑いを堪えて返答した。

 

担当者にとって男性は大事なお客。

グループの建築会社でアパートを建ててくれ、募集契約から管理業務まですべて任せてくれているわけで、仕事の上でその関係は大切にしなければならなかった。

そんな男性を相手に余程のプレッシャーを感じていたのか、担当者は、

「ホントですか? やってもらえるんですか? 助かります!」

と大いに喜んでくれ、

「いつ行けます?」

と矢継早にまくし立ててきた。

「かなりのおじいさんで、コミュニケーションにコツが要りまして・・・」

とのことで、私の訪問日時は担当者が調整してくれ、出血事故があった翌々日の午前中に出向くことになった。

 

春光の時季、約束の時刻は11:00。

しかし、遅刻が大嫌いで早々に出発した私は10:40頃に到着。

相手はコミュニケーションが容易ではないくらいの高齢者。

無闇に外出することは考えにくく、在宅しているだろう”と玄関のインターフォンを押した。

しかし、応答はなし。

担当者から「かなりのおじいさん」と、老い衰えが著しい印象を持たざるを得ない説明を受けてきていた私は、“そんなに素早くは動けなか・・・”と、しばし待機。

そして、2~3分してから再びインターフォンを押した。

家の中で電子音が鳴っているのは聞こえてきたが、またしても応答はなし。

 

「ちょっと待っててぇ~」

携帯電話番号を聞いていたので、“かけてみようかな・・・”と思い悩んでいると、中から細いが聞こえてきた。

そして、少しすると、玄関ガラス戸の向こうに動く人影が映った。

そして、中からゆっくりと戸が開き、一人の老人が姿を現した。

まるで昔話に出てくるような・・・お爺さんらしいお爺さん。

外はポカポカ陽気なのに家の中は肌寒く、男性は真冬のように厚着。

季節柄、その装いに不自然さはなかったが、違和感が一つ。

下半身に難があったのだ。

 

「すいません・・・トイレに入ってたものだから・・・」

パンツは正規の位置にあったものの、スウェットズボンや肌着が太腿まで下りた状態で、それを引き上げようとしていた。

暦は春でも、朝晩はまだ冷える。

パンツの上はズボン一枚ではなく、その間に2~3枚の肌着(ラクダ?ももひき?ヒートテック的じゃないヤツ)を重ね着しているものだから、それを一枚一枚引き上げるのに かなり手間取っていた。

“業者を待たせたら悪い”と思って、男性は中途半端なところでトイレを飛び出してきたのかも。

約束通り、私が11:00ピッタリに訪問すれば、こんなことにはならなかったかも。

私は、“タイミングが悪かった!”恥をかかせてしまったかな・・・俺が悪い!”と猛省した。

 

男性の両耳には補聴器が入っており、耳が遠いのは一目瞭然。

私は、声を大きくゆっくり話すことを心掛け、質問を投げかけた。

そして、男性のことを「〇〇さん」と名前呼びではなく、「おとうさん」と呼ばせてもらった。

また、敬語をベースにしながらも、時々はタメ口も混ぜさせてもらった。

“初対面のクセに馴れ馴れしい?”

“年下のクセに生意気?”

“高齢者をバカにしてる?”

そんな憂いが頭をもたげてこなくはなかったが、老い衰えた身体に不自由しながらも、一人で懸命に生活している姿に同士的感情と親しみを覚えたからそうしたのだ。

あと、実父と重なったことも大きかった。

 

玄関フロア・居間・台所、血痕は三室に渡って広がっていた。

出血時の男性の動線が血で描かれており、パニックになった男性が室内を右往左往した様を物語っていた

出血の原因はケガではなくイボ。

足にできたイボがずっと気に障っていて、軽い気持ちでそれをむしり取ってしまった。

(たまに爪の脇にでてくる細いヤツが微妙に痛くて、引き抜こうとしたらもっと痛い目をみるのに似てる?)

その途端、そこから“ピューッ”と糸のように血が噴き出てきた。

男性は傷口を抑えて止血を試みたが、一向に止まる気配はなし。

あまりの出血量に恐怖した男性は119番、そのまま救急搬送されたのだった。

 

病院では傷口を縫合し薬利を塗布。

そして絆創膏を貼って処置は終了、その日のうちに帰宅。

入院の覚悟だけではなく失血死の覚悟をも持って救急車に乗り込んだ男性だったので、すぐに戻って来れたことを喜びつつも、呆気なくも思っているようだった。

ただ、自宅の血痕はかなりインパクトあるもので、一つ間違えれば失血死してもおかしくないレベルに思えた。

 

男性宅、古さからくる建材の劣化は見受けられたが、荒廃した雰囲気はなし。

外周にガラクタが放置されているようなこともなし。

荒れていても仕方がない庭もきれい。

高齢男性の一人暮らしの割には、極端に汚れていたり散らかっていたりしておらず、老人宅にありがちなアンモニア臭(尿臭)もなし。

歳相応に、思考力や理解力が低下している感は否めなかったが、矛盾や事実錯誤のない男性の言葉に認知症を感じさせるものはなかった。

 

ただ、身動きは超ゆっくり。

歩行はできても、かなりゆっくりで、ほとんど摺り足。

cmどころかmmの段差でも躓(つまず)いてしまいそうでヒヤヒヤ。

言葉のキャッチボールも超スローボールの投げ合い。

大きな声で同じセリフを繰り返し、返事がくるまで一呼吸も二呼吸も待つ。

ただ、会話のコツを掴むと、コミュニケーションは円滑にできるようになった。

 

一年半前に妻が先立ち、それからは一人暮らし。

時々、家事援助のヘルパーが来ており、色々世話を焼いてくれているよう。

食品などの日用品はスーパーのデリバリーを利用。

料理をすることはほとんどなく、食事の多くは出来合いのもので済ませているそう。

出身は同市。

この家にも地域にも、並々ならぬ愛着と想い出があるよう。

息子(以後「子息」)が一人いるが住まいは離れた他県、かつ仕事が超多忙。

何かと気にかけてくれるものの、顔を合わせる機会は滅多になかった。

日がな一日、男性は居間で、寒いときはコタツで、そうでないときはダイニングテーブルの椅子に腰かけ、TVもあまり観ず一人静かに過ごしているそう。

話を聞けば聞くほど、男性の身体機能を目の当たりにすればするほど、私には、男性の一人暮らしが限界にきているように思えた。

 

そんな男性に歳を訊くと、

「九十!・・・この秋で九十一!」

と、目を輝かせた。

そして、自分にも同年代で自活している父親がいるから、男性を他人のように思えないことを伝えると、

「そうか、そうか」と、孤独から解放されたような笑顔を見せてくれた。

円滑なコミュニケーションが図れず、ぎこちない感じになっていた雰囲気が、それで一気に和やかなものになった。

 

 

 

「老いた父親を放ったらかしにしてる」

子息に対しては、そういう斜め見ができるかもしれない

が、子息には子息の生活があり仕事があり、その両肩には義務や責任を背負っているはず。

本当は、口も手も出したいのに、手も足も出せない現実を抱えているかもしれず・・・

父親の老い先について、他人にはわからない苦悩を抱えているかもしれず・・・

私は、そんな子息のことを“無責任”とか“薄情”だとかは思わなかった。

 

ひょっとしたら、施設の入ること父親にすすめたかもしれない。

男性は家もアパートも持っており経済的な問題ななさそうで、お金を払って施設に入れば、表向きは平和な生活が送れる。

悩みを解決するには、それが手っ取り早い。

しかし、男性は、ただの生き物ではない。

悩み考え、意志を持つ一人の人間、夢と希望で人生の物語を描ける人間。

愛着ある土地、想い出のある家、“最後までここにいたい”“最期はここで終わりたい”と思うのは自然なことだった。

 

老い衰えると、思い通りにならなくなることが増える。

とりわけ、体力や脳力については。

もちろん、見た目、外見も変わる。

「みっともない」「カッコ悪い」、自分でそんな風に思い、他人からそんな風に思われることもある。

“若優老劣”“若美老醜“の風潮・価値観は根強く、私自身、過去も現在も身に覚えがある。

そして、加齢を仇のように思い、企業のアンチエイジング商法の乗っかって痛々しいまでの若づくりを試みる人も少なくない。

しかし、“老い”は自然摂理の祝福、命そのまま、恥や罰ではない。

喜ばしいこと、めでたいことなのである。

 

「子供を叱るな 我が来た道、老いを笑うな 我が行く道」

浄土真宗門徒によるものとされる古い言葉である。

 

最終章で盛り上がっていくドラマや、終盤にクライマックスを迎える映画は多い。

人生に置き換えると、その局面は“老い”とその先。

くたびれていく自分をネガティブに捉えてしまう私だが、

「九十!・・・この秋で九十一!」

と応えた男性の誇らしげな顔に、人が老いることの神髄というか真理を見たような気がした。

そして、“自分の行く道もそうであってほしい”と願ったのだった。

 

→※現地画像「ヒューマンケアの事例紹介(行く道)」