目の前の経済性や快適性と 先を見通した地球温暖化対策、どちらが大切か。
問われた人は、口を揃えて「地球温暖化対策の方が大切」と言う。
しかし、その天秤は、完全に“経済性・快適性”の方に傾いているように見える。
私個人をとってみてもそう。
日常生活では「暑い!暑い!」と愚痴るばかりで、地球温暖化を気にすることはほぼない。やっていることと言えば、せいぜい、スーパーでエコバッグを使っていることくらい。
他に何をやればいいのか、何ができるのかもわからず、二酸化炭素を吐き続けている。
そのせいもあってかどうか、この夏の暑さは尋常ではなかった(過去形にするのは時期尚早か)。
とりわけ、先月下旬から今月初旬の猛暑は激烈に感じられた。
そんな、先月のこと、
「孤独死が発生した部屋がある」
「ネット上には何十社もでてくる中、そちらを選ばせてもらった」
「一度、見に来てもらえないだろうか」
マンション管理組合の役員をしているという男性から、そんな問い合わせが入った。
リアルタイムに進行中の案件だから詳細は控えるけど、重症の腐乱死体現場。
結局、その処理は、約一ヶ月の工期を設けて当社が特殊清掃・消臭消毒を施工し、次の18日(木)に完了&引渡す予定となっている。
今は、「特殊清掃」で検索すれば数百社もでてくる時代。
しかし、「特殊清掃」という自製語を当社しか使っていなかった昔、「孤独死や腐乱死体現場の処理等に関するWordで検索して出てくる専門業者はヒューマンケア㈱だけ」という時代があった。
厳密にいうと、埼玉に「撤去」という言葉を前面に使う一社があったのだが、そこはネット戦略をとっておらず。
事実上、当社一社の独占状態。
あの頃の刺激と労苦と疲弊は、今でもよく覚えている。
当初は、特殊清掃業初のホームページを作ってくれた会社も、
「よくもこんなこと考えたもんだ」
「“作れ”って言うなら作るけど、こんなニーズあるのか?」
と、半信半疑どころか呆れ気味。
心の中ではバカにしていたそう。
ところが、フタを開けてみると・・・
反響の大きさに、ただただ驚かされるばかりだったよう。
需要に対して供給が追いついておらず、下品な言葉を使うと“入れ食い”の状態。
予約は一週間先までビッシリで、一日の予定がやっと終わると また新たな一日の予約が入り、一週間が埋まりっぱなしの状態が延々と続いた。
毎日毎日、朝から晩まで、やってもやっても“終わり”が見えずクタクタ。
売上・利益は欲しかったけど、新たな依頼にウンザリすることも度々あった。
専門的に施工できる業者は当社しかないから、事実上、自由市場の競争原理は働いていなかった。
法外な料金を吹っかけたつもりはないけど、今に比べて見積が強気だったのも事実。
忙し過ぎてクタクタで、「やるんだったらこのくらいの金額はもらわないと合わない」といった心理が働いており、「納得できなければ頼んでもらわなくていい」くらいに思っていた。
(今は、「納得できなければ頼んでもらえなくても仕方がない」と微妙に変化している。)
しかし、今に比べたら装備も技術も未熟で、金額に見合うほどのクオリティーは提供できていなかった。
当時は当時で精一杯やっていたのだけど、思い返すと、笑えるほど下手クソ過ぎた。
でも、ま、それはそれで仕方がなかった。
「“学ぶ”は“真似る”から始まる」と言われるが、マネをする元がなく、一から編み出すしかなかったのだから。
暗中模索・試行錯誤、ない頭をフル回転させ、
七転八倒、四苦八苦、凄惨な汚れと悪臭に対峙し、
七転び八起き、一つの失敗を一つのノウハウに変えながら、一件一件の仕事をこなしていった。
それには「若さ」も一役買っていた。
やっぱり、今に比べると頭も身体もよく動いていた。
今、同じような状況に置かれたらどうだろうか・・・
同じ仕事量をこなせるかどうかわからない。
けど、もっとうまくやれることは間違いない。
装備が充実し、技術が高まり、合理的・効率的にやれるようになっている分、ひょっとしたら、ポンコツ親父でも同じくらいの仕事量をこなせるかもしれない。
ただ、どんな業種業界・商売商品でも、マネする者は出てくるもの。
その後、数年のうちに類似業者が爆発的に増加。
「独居老人・孤独死・自殺者の増加」といった時代背景や、「特殊な仕事だから儲かる」「人が嫌がる仕事だから競争がない」といった誤った思い込みや期待が、“金儲けがしたい”“厳しい現実から抜け出したい”といった人達の背中を押したのだろう。
異業種の会社や個人事業主が、どんどん参入(転職)してきた。
そしてまた、それで失敗した話やトラブルもよく耳にするようになった。
東北の個人事業主だったか、
「FC風のグループに加盟したけど、金を取られるばかりで仕事がない」
といった相談を受けたこともあった。
“ウハウハ”になれると皮算用したのだろう、赤字続きの商売から転業したよう。
高額の研修を受け、機材・道具・マニュアルを買わされ、HP製作・パンフレット等の営業ツールまで指定購入させられ、挙句、月々の会費まで払わされているという。
しかし、仕事は自力で獲らなければならず。
「何かいいアドバイスをもらえるかも」「助けてもらえるかも」と、藁をも掴むような思いで連絡してきたのだろうけど、当社はその立場になく、できることは愚痴を聞くことと退会を促すことくらい。
「店を開けば、お客は自然にやってくる」と本部にうまいこと言われたのか、欲に目が眩んで先走ったのか・・・
自らの勉強不足・判断の誤り、そして不運・・・冷たいようだが、「自業自得」としか言いようがなかった。
また、四国の零細企業だったか、
「その仕事をしたいので教えてほしい」
と頼まれたことがあった。
現業に限界が見えてきているようで、旨味のある新規事業を探しているようだった。
金さえあれば、事務所も、車両も、物品装備も、消耗備品も、何だって簡単に揃えられる。
やる気と教示者があれば技術は得られる。
しかし、最も肝心で 最も難しいのは、仕事を施工することではなく仕事を獲ること。
“仕事を教えてほしい”という意思の裏側には、“手っ取り早く儲かる仕事がしたい”という現実逃避的な期待感(妄想)と、“儲けさせてほしい”という、他力本願的な願望(欲望)が透けて見えたので、
「その商圏でイケる?」「検証・リサーチは充分?」
と問いただし、
「最も難しいのは、仕事を獲ること」「そこまでの面倒はみれない」
と、ほぼ一蹴した。
逆に、「FC展開しない?」といった誘いもあった。
ただ、もともと興味もなかったうえ、類似のことをやって失敗したりトラブルを招いたりした他社の事例を知っていたので、「そういう仕事じゃない」と相手にしなかった。
ノウハウ料やコンサル料を取るだけ取って(盗るだけ盗って)、「加盟者が食っていけようがいけまいが、あとは知ったこっちゃない」では道義がなさすぎるから。
ちなみに、ここまで広まれば名誉なことなのかもしれないけど、「“特殊清掃”で商標をとっておくべきだった」と、今でも悔やむことがある。
なんせ、器の小さい人間なものだから、我が物顔で使われると、何となくおもしろくないのである。
中年とおぼしき男性から特殊清掃の相談が入った。
「父親が自宅で孤独死」
「発見が遅れ汚染異臭発生」
「三社から見積をとる予定」
といった内容だった。
この仕事にかぎらず、価格や製品・サービスを比較検討するのは当り前のこと。
「特殊清掃」なんていう、相場観も適正価格もつかめないものは尚更。
「適正価格」は“ない”に等しいけど、少しでも費用を抑えたいなら相見積しか方法はない。
私は、三社見積でも一向に構わなかったが、ただ、依頼者に協力してもらいたいところもあった。
それは、三社を同じ日時に重ねないこと。
で、「できたら、同時に呼ぶのはやめてほしい」と伝えた。
その辺の機微は、男性も充分にわかるようで、“言われるまでもない”といった感じで「もちろん」と応じてくれた。
そうして、お互いの都合と他社来訪の予定を考慮して日時を調整。
幸い、男性の第一希望に合わせることができ、調査日時はそこに決まった。
ちなみに、依頼者の中には、そんな気遣いなく平気で複数社を同時に呼ぶ人もいる。
同日、時間をずらすこともせず。
二社にとどまらず、三社以上というケースもある。
タイパを考えると、同時に呼んだ方がいいに決まっているけど、どの会社も調査見積は無料のはず。
商売上の打算があるとは言え、そこには、厚意や善意もある。
「他社と重ねないくらいの配慮はしてほしい」とモヤモヤするは、当社だけではないだろう。
正直なところ、依頼者がそういうマインドの人の場合、調査見積に行く前からやる気は半減する。
相手に対して基本的な心遣いや気遣いができない人とは、気持ちよく仕事ができないから。
冒頭に書いたような時代は“今は昔”。
昨今では、“相見積”をとられるのは、ほぼ当り前。
そんな中で、当方には何も言わず他社からも見積をとる人もいれば、この依頼者のように事前に知らせてくれる人もいる。
どちらかと言うと、業者としては、コソコソやられるより事前に知らせてもらった方がやりやすい。
それが見積金額に影響することはほとんどないけど、気持ちは違う。
「フェア」というか「風通しがいい」というか、信頼関係を醸成しやすい相手であることが感じられて正面から向き合える。
また、相見積の事前通知は、依頼者側にもメリットがあると思う。
最初から、「他社からも見積をとるから、最初から駆け引きなしの安値を出せよ」というメッセージが伝わるため、各社、いつも以上に金額を抑えようと努める。
そうすると、依頼者は、各社といちいち交渉する手間が省けるし、心的ストレスも少なくて済む。
どうせ相見積をとるなら、オープンにやった方が楽ではないかと思う。
基本的に、当社が価格競争に加わるのは“一回戦”のみ。
価格競争とは一定の距離を置いている。
もちろん、契約をとるために値引きすることはあるけど、天秤にかけられた場合、一度しか乗らない。
銭金だけでは量れない付加価値があると自負しており、原則として、二度目の値引交渉には応じない。
そもそも、何度も値引きすると「最初の値段は何だったの?」「始めからその値段にしとけよ!」と、不審に思われかねない。
だから、当社が最安値にならないこともフツーにある。
それでも、発注してくれる人はいる。
色々とやりとりする中で、値段を越える価値を見出してくれるのだろう。
結局のところは“縁”。
“縁”があれば契約になるし、なければそれでお終いになるだけのこと。
そんなスタンスでも、こうして長く続けてこられているのだから、商売の仕方を間違えているわけではないのだろうと思っている。
訪れた現場は、郊外の住宅地に建つ老朽家屋。
男性の第一希望に訪問日時を合わせた当社が一番手。
他社は、男性との都合が合わず、後日の予定になっているそう。
30分や1時間刻みで他社を予約し、早めに来た他社と鉢合わせになるケースもあるため、それがわかっているだけでも気持ちに余裕が持てた。
遺体汚染は1Fの台所。
汚染レベルは“ミドル級”。
ただ、それに対する異臭の濃度はやけに高く、
「クサくて、遺品整理もままならない」
「誰も住まないボロ家だから、余計な金をかけたくない」
「完全に消えなくてもいい、ある程度軽くなればいい」
との要望だった。
台所の床材は耐水性の高いクッションフロア。
見た目だけは、掃除でほぼ復旧できるはずだった。
問題は、ニオイ。
男性は、費用対効果がもっともいい作業を希望。
本格的な作業は費用がかかるからダメ、簡易的な作業は効果が低いからダメ。
その間の、痒いところにだけ手が届くような、いい塩梅のところに着地する必要あった。
それは、男性とのコミュニケーションの中で見えてくるものなので、作業には直接的に関係のない話題を交えながら、私は、男性の求めるものを探っていった。
すると、そこからは、少しイレギュラーな家族関係が見えてきた。
故人は母親の再婚相手で、男性は故人の血の繋がった息子ではなかった。
しかも、再婚時、男性は既に社会人になっており、この家に暮らしたこともなし。
「父親」という感覚はまるでなく、「母の知人」みたいな感じだった。
その母も数年前に亡くなり、それを機に、関係は自然と疎遠に。
「仲がいい」とか「仲が悪い」とかいう以前に、お互い、付き合う必要がなかった。
そうして、音信不通のまま月日は流れていった。
そんな中で発生した“父親”の孤独死。
警察からの連絡は寝耳に水で、当初は「何で自分に連絡が?」と思ったくらい。
しかし、戸籍上、男性は息子。
しかも、法定相続人は他におらず。
結果的に、故人の後始末が、男性の肩に圧し掛かってきた。
大切なものがしまわれていた引き出しには遺言書もあったそう。
自筆の遺言書(自筆証書遺言)で、男性の母親(故人の妻)が亡くなってすぐ書いたもののよう。
その内容は、「財産の全てを“息子”(男性)に譲る」というもの。
わざわざそんなもの残さなくても、他に相続人はいないのだから、遺産は自ずと男性のものとなる。
ただ、故人と男性は、仲が悪かったわけではないながらも、ほとんど他人同士。
故人は、男性と血が繋がっていないことで「ひょっとしたら遺産は“息子”に渡らないかも」と危惧していたのかもしれなかった。
その辺の義理や情愛を察してか、男性は、神妙な面持ち。
もともと、男性は、故人の財産に興味もなければ、遺産をどうこうする立場ではないと自覚しており、“ありがたさ”と“ありがた迷惑”の間を行ったり来たりしているようだった。
「“だったら、もっとたくさん残しといてくれよ!”ってことですよね」
少し照れくさそうだった。
「そしたら、喜んで相続するのに」
ジョークをとばすように言った。
「実際は、この家と多少の預貯金があるくらいでね・・・」
故人を責めるつもりもなく苦笑った。
家は、かなりの老朽家屋。
急峻な傾斜地に建ち、接地しているのは道路ではなく階段。
建築基準法の接道義務を果たしておらず、原則として建替えは不可能。
車が通れる道路に出るには、神社仏閣の長い石段のようなコンクリート階段を数十メートル上るか下るかしか方法はなし。
階段脇に設けられたスロープも急傾斜で、電動アシスト自転車でも歯が立たないくらい。
歴史に上書きされるほどの豪雨や、近い将来にくるとされている大地震などを考えると、「居住リスクは低い」とは言えず。
更に、家の中には処分しなければならない家財が大量にあり、それだけでも結構な費用がかかることが見込め、更に更に、事故物件。
不動産価値にとってプラスとなる材料はなく、底知れず下がるばかり。
そんな状況で、男性は色々と思い悩んでいた。
遺産は、この家と多少の預貯金くらい。
金銭的な±だけでなく、後始末にかかる労力や心労を考えると、相続を放棄することも一手。
「相続放棄したら、この家はどうなるんでしょうか」
「手続き上は国庫に納まりますけど、事実上は放置でしょうね」
「そうすると、近隣に迷惑かかりますよね」
「それはまぁ・・・すぐに崩れるようなことはないでしょうけど、人のいない家が廃墟になるのは早いですから・・・」
「ですよね・・・」
「先々、何らかのかたちで税金が投入されれば、近隣だけでなく、広く社会一般に負担を掛けることにもなりますし・・・」
「さすがに、それは申し訳ないなぁ・・・世間にも、この人(故人)にも」
「まぁ、この類のことは、社会問題にもなってますけどね」
金銭上の損得・遺言の恩義・義息子の道義・母親への義理・自分の負担・・・
男性の頭の中にある天秤は、不安定に揺れ動いているようだった。
その心情を察した私は、
「相続手続きの期限までには、まだ日数がある」
「売れるのか売れないのか、金になるとしたらいくらくらいになるのか、まずは不動産会社に相談した方がいい」
「道義や義理を重んじるのは大いに賛同できるけど、無理に重荷を背負おうとするのはやめた方がいい」
「自分が潰れては元も子もないし、そうなることは故人も亡母も望んでないと思うし」
と、ほんのちょっとだけ仕事を忘れ、男性の迷い道に道標を立てた。
そうして後、肝心の仕事の話へ。
男性は、
「だいたいでいいので、いくらくらいかかりそうですか?」
と訊いてきた。
「ん~・・・〇万円くらいですかね・・・」
口頭で概算費用を伝え、
「後日、他社さんも来られるようですし、正式な見積書は会社からメールします」
と案内。
すると、男性は、
「そう・・・それくらいで済むなら、頼んじゃおうかな・・・」
と意外な反応。
それを“チャンス”とみた私は我に返り、
「じゃ、ここで見積書をつくりましょうか?」
と、念のために持っていた手書きの見積用紙にいそいそと書き込み、それを男性に見せながら作業内容と費用の内訳を説明した。
もともと十万を超えるような仕事ではなし、男性は、“わざわざ相見積をとっても価格差はたかがしれてる”と思ったのか、はたまた、色々聞きたがる野次馬に厚情を感じてくれたのか、
「お願いします 他社は断ります」
と、畳みかけるつもり丸出しだった私に、そのまま仕事を発注してくれた。
その後、男性の天秤は、相続する方に傾いただろう。
二束三文だったかもしれないけど、何とか家も売却できただろう。
それで、遺産が少しでも手元に残ったなら何より。
そして、すべてが片付いてから、故人と母親の墓に参り、事の顛末を報告したかもしれない。
「ホント大変だったよ! でも、まぁ、ありがとう」等と、ホッと微笑みながら。
この案件で天秤にかけられずに済んだ私は、人の人生を勝手に天秤にかけ、自分の気が済むような“ハッピーエンド”で幕を引き 悦に入ったのだった。
本件詳細は⇒老朽家屋で孤独死 特殊清掃事例54