“K子さん”が亡くなってから四年半が経つ・・・

 

彼女が、はじめて連絡してきたのは2020年12月3日。

「末期癌で余命二ヶ月の宣告を受けた」

衝撃的な告白に戸惑いを覚えた。

「できる準備はしておきたいので」

相談の内容は、自身の遺品整理についてだった。

「できたら特掃隊長に担当してほしい」

彼女は、このBlogの愛読者だった。

 

詳しくは、2021年1月26日・30日、2月3日、2022年3月2日「残された時間(四篇)」に書いた通り・・・

初めて会ったのは2020年12月13日、

音信が途絶えたのは翌2021年2月9日、

そして、2月18日に入院し3月2日に亡くなった。

私が、それを知ったのは、死去から一週間が過ぎた3月9日。

遺言により、彼女の友人が知らせてくれた。

癌は脳にまで広がり、連絡を取り合っていた頃の終盤には、「薬が効かなくなってきた」「意識が朦朧・混濁する」といったメッセージが増え、誤字乱文や誤変換、変換しきれていない平仮名から、“その日”が近づいてきていることがヒシヒシと伝わってきていた。

そんな状況だったから、入院したときは、もう 自分も何も ほとんどわからない状態だったそう。

訃報を受けたのは現場から現場への車中だったのだが、「悲しい」とか「淋しい」とか、言葉では簡単に表せない切なさで心が深く沈み込んだのを覚えている。

 

かつて、彼女は、最期の局面ではないときにリアルな臨死を体験したことがあった。

その記憶が強烈に残り、「死後も現世と似たような世界がある」と、死も恐れていなかった。

また、「心の力」とでも言うか、人の“祈り”の力や、人の間に行き交う“以心伝心”の力も信じていた。

私も、“第六感”の類をどこかで信じている。

そんな私は、そんな彼女に、あるお願いをした。

それは、

「何か合図みたいなものを送ってください」

「不可解な現象があったらK子さんだと思いますから」

「スマホの画像に写り込んでもいいですよ!」

というもの。

死後における“コンタクト”を試みることだった。

そんな突拍子もない“頼みごと”でも、彼女は、ジョークを交えて快諾してくれた。

「死を間近に迎えようとしている人に、よくもまあ、そんなことが頼めたもんだ」

と呆れる人がいるかもしれないけど、当時の関係性(本音本心の対話)では不自然(不躾)なことではなかった。

 

で、実際はどうか・・・

話の流れからすると、「何かが起こった」「何かを感じた」とするのが“お決まり”なのだろうけど、それが・・・何もない。

私の意識の中では何もないのである。

また、幸か不幸か、私は、自覚的な霊感もない。

ただ、特に、何があったわけでもないのに、ここ一~二か月前くらいからやけに彼女のことが頭に浮かぶようになっている。

だから、この“異変“については、「自分が知覚できないところで自分の心が“K子さんの合図”に反応しているのかも?」とも思って、ちょっと新鮮な感じがしている。

 

 

特殊清掃は、ほとんど単独作業。

楽なライト級はもちろん、得意の(?)ヘビー級でも同じ。

「特殊清掃」なんて仰々しく言っても、賃貸物件の入居者入れ替えの際に行われるような全面的なルーム(ハウス)クリーニングほどの頭数は要らない。

大の男(女)が寄ってたかってやるようなことではない。

しかし、外部の人からは「一人でやるの!?」と驚かれることが少なくない。

つい10日前も、孤独死マンションで管理組合の女性理事長に「一人!? 大丈夫なの!?」と目を丸くされた。

過酷な作業を想像してのことと思うけど、それ以外に、“死”というものを忌み嫌う本能と、故人(霊魂)に対して“畏れ”のようなものを感じているせいもあると思う。

 

しかし、故人は、自分が汚したものを掃除してくれる人間に悪意を抱くだろうか・・・

仮に、マイナスの感情を抱かれるとしても、せいぜい、自分が大切にしてきた物(遺品)が雑に扱われることを不快に思うとか、あとは、「それ、ちょっと高くない?」と、料金に不満を持たれるくらいではないだろうか。

感謝されるかどうかは別としても、“自分の味方”くらいには思ってもらえると思う。

そんな風に思うから、私の内には、霊魂や霊力を恐れる感情は湧いてこない。

 

この仕事、自慢はできないけど自負はある。

前の「熱中症」で記したように、“ゾーン”に入ってハイパフォーマンスを展開することも日常茶飯事。

しかし、この身体が加齢や病で衰えてきているのは明らか。

更に、そのスピードは速まるばかり。

自分自身でよくわかる。

なのに、パフォーマンスはそれほど下がっていない。

逆に、上がっているところがあるかもしれない。

“力”から“技”へ自然とスイッチされてきているせいもあるだろうけど、ここにきて、私は、それだけではないような気がしている。

 

 

 

特殊清掃の相談が入った。

時季は真夏、その日も朝から悪夢の30℃超え。

早朝から現場に出ていた私は、ヘビー級腐乱死体アパートの駐車場で特殊清掃を始める準備をしていた。

そんな中、会社から連絡が。

「新規の問い合わせが入ったので、すみやかに応答するように」との指示。

このアパートで特掃をジックリやるつもりだった私は、“軽症なら俺が行かずに済むかも・・・”“もっとも、軽症想定なら俺に指示は来ないか・・・”等と思いながら、伝えられた連絡先に電話をかけた。

 

電話に出た声は中年の男性。

「高齢の母親が自宅で孤独死」

「警察の見立てでは死後二週間余り」

「現場は市営住宅で近隣住民から管理会社に異臭のクレームが入っているよう」

「今日の午後、現場に行くから、それに合わせてきてもらえないか」

といった相談。

“真夏の二週間”“近隣苦情”

それだけでヘビー級かどうかまでは定められないものの、ライト級ではないことは ほぼ間違いなかった。

 

男性は、自分にも仕事がある中で故人の死後手続きなどに追われているようで、都合を訊くと、

「早くても14:30頃の到着で、遅くとも15:30には現場を離れたい」

と、限られた時間帯を指定。

それを受けた私は、その時間に行くことを前提に、その日の時間割を再考した。

 

アパートから現場まで、想定される移動時間は一時間半から二時間。

つまり、アパートにいられるのは13:00まで、渋滞などを考えて少し余裕をみるとタイムリミットは12:30。

その日は、そのアパートで気が済むまで特掃をやって、終わったら帰社する予定でいた私。

しかし、ヘビー級が想定されたから私に指示が来たわけ。

行かないわけにはいかない。

私は、男性と「14:30頃」と約束し、「12:30迄、できるところまでやろう!」と、そそくさとアパートに入った。

 

そこは、長い工期で請け負った現場。

“急がば回れ”、何事も焦り急ぐとロクなことがない。

「できなかったところは日をあらためてやればいい」

私は、そうラフに考えて、部屋に置いてあった故人の置時計に目をやりながら、頭の中で予め組んでおいた段取り通りに作業を進めた。

自分の手際のよさを褒めながらも、結局、当初の予定の七割くらいのところでタイムアップ。

中途半端感は否めなかったが、それでも作業の山場を越し、異臭が減退していく過程まで持っていくことができた。

そして、私は、「近いうちに また来ます」と、姿なき こっちの故人に一声かけ、あっちの故人宅に向かってそそくさとアパートを出たのだった。

 

 

訪れた現場は、東京隣県の市営住宅。

依頼者の男性も約束の時間に現われた。

私と男性は、それぞれ、団地の利用者だけしか通らない建物前の道路に車をとめ、一緒に故人の部屋へ。

「近隣からクレームは来ている」と聞いていたので、それなりの異臭が漏れていることを想像(覚悟)しながら。

で、玄関前に着いた我々は、まず臭気確認。

しかし、私の鼻は異臭を感知せず。

男性も、同じで「???」と怪訝顔を傾げた。

ただ、やはり、そこは“真夏の二週間”。

玄関を開けると異臭がプ~ン。

男性を外に置き去りにしなければならない程の異臭ではなかったものの、外とは違う世界となっていた。

 

間取りは広めの2DK。

故人は、片方の和室のベッドで死去。

布団には人型の汚染がクッキリ残り、片足がベッドから垂れていたようで、敷かれたカーペットの一部も汚染。

それをめくってみると、下の畳にも脂が浸みていた。

また、多くのハエも湧いて、一部はベランダ側の窓に貼りつき、一部は死骸となって窓際に転がっていた。

 

汚染異臭は決して軽症ではなかったけれど、それを除けば、部屋はとてもきれいな状態。

家具・家電・日用品、すべて秩序よく置かれ、部屋や水廻りの清掃はキチンとされており、物は少なくないのにスッキリ感は充分。

孤独死って、急に亡くなるわけだから、仮に整理整頓や清掃がキチンとできていても、雑然とした生活の匂いがそれなりに残っていることが多い。

しかし、ここは生活感がありながらも、長い間の留守に備えて片付けたかのように整然としていた。

「まるで準備して逝かれたような感じですね・・・」

そう言うと、男性は、

「“いつ逝ってもいいようにしておかないと”とよく言ってましたから」

と、故人の真面目な気質を、幾分 誇らしげに語った。

 

ここは公営住宅。

原状回復の責任については、民間の賃貸物件に比べると緩い。

しかも、内装建材への直接的な汚染はなく、要する作業は、「特殊清掃」と言うより「汚染物撤去」。

更に、故人の死にかかわらず、経年劣化した内装は改修するはずなので、消臭消毒については安価な簡易消臭でも通るのではないかと思われた。

しかし、男性は、私に費用を訊いたうえで、「そのくらいで済むなら」とシッカリした消臭を要望。

それは、貸主や他住人への体面を気にしてのことではなく、几帳面できれい好きだった母親の想いを汲んでのことと思われた。

 

解せなかったのは、「近隣からクレームが来ている」ということ。

発見のキッカケも近隣からの通報だったそう。

しかし、外部への異臭漏洩はなし。

「遺体搬出で異臭漏洩が止まった?」と考えられなくもなかったが、外でも感じられるくらいの重異臭が発生しているとなると、遺体は重腐敗、周辺は重汚染のはず。

遺体を搬出したところで、部屋には重汚染や腐敗不衛生物が残るわけで、そのくらいでニオイが収まるとは思えず。

ただ、クレームを出している住人を探し出して問い正すことなんてできるわけもなく、結局、その辺のカラクリはわからずじまいだった。

 

想像の範囲で・・・

長くここに暮らしていた故人は、近所付き合いもうまくやっていたはず

そんな故人の姿が急に見かけられなくなったことを、近隣住人は不審に思うように

気にしてみると、夜になっても明りも灯らず、生活の気配もなく、インターフォンに応答もなし

それで、隣人がベランダの隔て板越しに故人宅を覗いてみると、窓には無数のハエが

そうしてやってきた警察の遺体搬出作業を野次馬見物

その際に漂ってきた遺体臭を嗅ぎ、それがメンタルにこびりついてしまった

それで、実際は臭っていなくても「臭う」と苦情を言っているのではないか

・・・といったストーリーを創って語った。

 

すると、男性は「なるほど・・・多分、そんなところでしょうね」と大いに納得。

更に、「さすがですね!」と感心してくれた。

そして、それに気をよくした私は、

「何か言われたら、“専門業者にキチンと処理させましたから”と言って下さい」

「場合によったら私のことを伝えてもらってもいいので」

と、大人げないドヤ顔で、らしくない侠気をみせた。

 

 

男性は私と同年代で、故人も私の母親と同年代。

そのせいか、この事案が他人事のようには思えず。

そして、私の母親も几帳面できれい好き。

その家事負担は老体には重荷だけど、きれいにしていないと気が済まないそう。

「いつ死んでもいいように」と備えていた故人も、“死”は受け入れることができても、自らの身体が部屋を汚してしまうのは我慢ならないのではないか・・・

この惨状をみたら自己嫌悪に陥るのではないか・・・

それは避けた方がいいはず・・・

「そうでしょ?おかあさん」

そんな風に想うと、耳に聞こえない“返事”が来るような気がして、作業の手に自然と力が入っていった。

 

汚染はヘビー級でも、内装建材が直接やられていなかったのが幸いだった。

寝具・ベッド・敷物・畳一枚を撤去すれば汚物は皆無に。

もともと重異臭が残留していたわけでもないし、長めの工期をもらったお陰もあって消臭は成功。

強力な消臭をかけた後に残りがちな作業臭も残らず。

畳一枚がポッカリ抜けた跡から独特の寂しさが滲み出ていたものの、ニオイも含めて、故人の部屋は何事もなかったかのような落ち着きを取り戻したのだった。

 

 

いつのことだか、どこかで誰かが、私のことを「縁の下の力持ち」と評してくれたことがあった。

「力持ち」かどうかはわからないけど、「縁の下」というのはシックリくる言葉だった。

私は、社会の陰、しかも誰も入れないような隙間に生きているから。

極めて狭い世界で、細々と生きているから。

それでも、必要としてくれ頼りにしてくれる人がいる。

不安を拭えて安堵し、平安を取り戻せて感謝してくれる人がいる。

誰かの支えになれているとすれば、まったく、ありがたいことだ。

 

自分本位の感情移入は、もともとの“主義”じゃない。

一人よがりの感傷には充分な警戒が必要(どの口が言う?)。

だけど、この仕事を長くやり過ぎて頭がイッてきてるせいか、はたまた、短い先において“散り菊”になっても 尚 粘って燃えようとしているせいか、このところは、一件一件の故人に対する構えも変わってきているように思う。

 

汚物に対する嫌悪感はあるけど、故人に対する嫌悪感はない。

死に対する恐怖心はあるけど、死体に対する恐怖心はない。

作業に対する不安はあるけど、霊魂に対する不安はない。

身体はキツいんだけど、気持ちは意外に穏やか。

イザとなったら、誰かが力添えしてくれそうな安心感がある。

「肩肘張らず故人と向き合うことで力が増し加わる」と言うか、故人との間で不思議な一体感を覚えるようになっている。

 

生前の“K子さん”は、やたらと私を応援してくれていた。

今でも、どこかで応援してくれているのだろうか・・・私にはわからない。

だけど、今も、その想いに励まされ、その記憶が励みになっているのは間違いない。

それに気づくと、彼女が、ひたむきに、私のあの時の”頼みごと”を聞いてくれていることがわかってくる。

そして、知らず知らずのうちに、それが新たな力を宿してくれる。

 

晩夏とは思えないほどの猛暑の中、

「天の上の皆さん、ありがとうございます」

と、一人ぼっちでも一人ぼっちじゃないポンコツ男は、今日もどこかの“縁の下”で大汗をかいているのである。

 

 

本件詳細は⇒死後推定2週間の特殊清掃事例52