大都市、市街区域、近郊住宅地における薪ストーブや暖炉の排煙問題(3)
「販社や使用者が、苦情への論点のすり替えで反論する問題」


前稿(2)では、各議員や行政機関、マスコミが薪ストーブの大気汚染、健康被害問題を一切無視し、対応を頑なに拒否するという、実に嘆かわしい現状を記した。
無視に至る諸事情に関しては後日に改めて稿を起こそうと思う。


先日、豪州クイーンズランド大学、野北和宏教授の公開された「論点を一つに絞ることが重要」というテーマの動画を拝見していて思い起こした。

論点を一つに絞ることの重要性は?薪ストーブと公害とCO2削減の関係


住環境における或る意味でセンシティブな問題は、双方ともに感情的になり冷静さを失い、論点が絞られずに実社会やSNS上で不毛な罵倒合戦を行うという解決なき非建設的な流れになりやすい。

特に、薪ストーブ使用者側が苦情に対し敵意をむき出し意固地になり膠着状態(いわゆる逆切れ状態)に陥っている例を多数聞いている。

なので、私の一連の投稿の早い時期に被害者側からの論点、要望を明確に示しておくのが先であると改めて感じた。
「エコかどうかは論じていない。煤煙悪臭さえ出さなければそれでよい」これだけである。


本稿では、前稿(1)で挙げた内の以下3項目について横断して概要(詳細は後日稿にて予定)を述べ、そこに問題を複雑化する「論点のすり替え」が起きていることを指摘しておこう。

1:被害者の苦境。

2:薪ストーブ暖炉の使用者の反論。

3:薪ストーブ暖炉の施工、販社の宣伝。



なお、「論点のすり替え」詳しくは、
藤原かずえ先生の講座もぜひ、ご覧いただきたい。
藤原かずえのメディア・リテラシー「論点のすり替え」




さて、薪ストーブ被害者の立場、要望から見ていこう。

●周辺住民、被害者が薪ストーブ販社や使用者に求めていること。

1:煤煙悪臭を出さないでほしい。

家の中まで煙くさくなり迷惑、換気すらできない。

煙の臭気を嫌う人は多く、呼吸器疾患者が近隣に生活している場合が有る。

木質燃焼煙も有害であり、健康を損ねる危険がある。
 

いつまでも煙とにおいが出つづけているのは説明と違う。

ほぼ終日、半年以上の長期間継続の煙は、受忍限度を大きく超える。


2:薪割り作業の音が大きすぎる。

チェンソー、電動orエンジン式薪割機の長時間にわたる騒音や粉塵。

薪をトラックに積み下ろし、薪棚への積み込み、意外に大きな音が響く。

休日の終日にわたる薪割り作業は特に大きな非難対象。


3:薪置き場に集まる虫をなんとかしてほしい。

カミキリムシや節足類、蜂、白蟻など、一般的に害虫、不快害虫とされる生物が薪置き場に集まりそこで多数増殖し、周辺に広がり特に近隣の木造家屋に悪影響を懸念。


4:他の家屋が近い住宅地内に販売施工しないでほしい。

一部の住宅メーカーや薪ストーブの製造販売業者は、実害レベルの迷惑は滅多にない、無害無臭であると宣伝し、それを安易に信じた者が発注してしまう。

周辺住民は困惑するが、施工者には責任が無いのはなぜか。

なぜ住宅密集地や隣家の窓の高さに煙が当たるような煙突を施工するのか。

施工者は、地域の状況を考慮し設置を断念する提案をなぜしないのか。



・・・・という、項目としてはこの4点に集約というか、それしか無い。
到ってシンプルな要望であり、社会通念に照らしても決して無理難題を投げつけているとは言えない。

 

販売施工者と発注者の双方に最低限の良識があれば全て防げたはずの問題である。

4項目中、長期にわたる一方的大量の煙は受忍限度を大きく超えるものであり、煙さえ周辺に撒き散らさなければ問題は解決し、その他の要望は対策が容易である。煤煙悪臭さえ出さなければ大問題ではない。





次に、シンプルな苦情に対する薪ストーブ製造販売業者と使用者の反論を見て行こう。

●周辺住民、被害者の苦情に対して、製造販売業者と使用者の反論。

1:煤煙悪臭を出さないでほしい、に対して。

くさくない。良いにおいだ。昭和中期頃まではこれが当然であった。

人類は木の煙と共にあった。あなたが過敏すぎるだけ、お互い様。我慢せよ。

自然素材の木は燃やしても無害。どうせ腐敗する木はco2を出す、燃やして問題ない。

カーボンニュートラル、国の施策で奨めている、だからそんな苦情は聞かない。

乾燥した薪と高性能薪ストーブだから、煤煙悪臭など出ていない。

温度が上がればにおいも煙も出ないはず、いちいちうるさい。

だったら例えばバイオトイレの臭気はどうなのか。

憧れていたのだから、とやかく言われる筋合いはない。

薪ストーブには法規制が無いのは、問題ないと国が認めている証拠。

焚くのをやめて寒さで具合が悪くなったら責任を取れ。


2:薪割り作業の音が大きすぎる、に対して。

そんなのもお互い様。
あなたも自動車やオートバイの音を出しているでしょ、音の何が悪いのか。

趣味なのだから文句を言われる筋合いもない、黙れ。

あなたは一切音を出さずに生活しているのか。誰にも迷惑なんかかけていない。


3:薪置き場に集まる虫をなんとかしてほしい、に対して。

これについては不思議と口を閉ざし、反論が有った事例は全く聞いていない。


4:他の家屋が近い住宅地内に販売施工しないでほしい、に対して。

実害と言える程の迷惑になるケースは滅多に無いはずだ。

きちんと考慮して煙突も施工しているから、煙が迷惑になるはずがない。

わが社の取り扱いストーブは欧米基準準拠の高性能だから大丈夫なはず。

薪ストーブは林業振興と脱炭素、SDGsになるのだから環境にも良い。

自然と人体に対して、悪影響を与えるという証拠は全く見つからない。

悪評で逆に迷惑して実害を受けている、商売の妨害をするな。



・・・・という反駁が見られた。
いくつかの「論点のすり替え」が見られると筆者は思った。

まさに論点をすり替えており、一番問題が大きく厄介なのは、
不都合な真実である、煙をまき散らすことを反省せず「脱炭素、林業保護だから」と正当化を企図する点である。

煙のにおいや害、騒音などを他のにおいや音はどうなのかと、すり替えて反駁する。
実害にはなっていない、と勝手に推察して黙らせようとする。

これらの「逆切れ姿勢」は社会的動物として、如何なものだろうか。





「不都合な言説の論点を転換した上で、その言説や言説の論者を不合理に攻撃する」

住環境における煤煙悪臭や騒音は(事業所等に対しては法規制が存在するのは既知の事実)社会通念上、よろしくないことは、誰の目にでも明らかである。
事業所には規制が存在するということは、生活上有害であることの証である。
同じ燃焼発煙行為に対し、民家が未だ対象になっていないだけの差異でしかない。

当然に、製造販売者や使用者も、後ろめたいという感情や判断が皆無ではないだろう。実際に「風下の家は迷惑だろうけれど」という確信犯的な薪ストーブ使用者も存在する。

両者の言説がまったくかみ合っていない上に、被害者の心情を踏みにじるばかりか、問いかけ、要望に対して受け入れる余地もない上に自説を「ごり押し」し、自らの発する煤煙悪臭を様々なすり替えや持論で正当化をしていることがお判りかと思う。

被害者側の至ってシンプルな要望に対して、製造販売者や使用者の筋違いで的をわざと外した反駁のほうが、言葉数が異様に多いのである。

 

不都合な真実を指摘され後ろめたい気持ち、煤煙悪臭を自覚しているからに他ならない、と言えなくもないから、であろうか。

一言で言えば、「エコなことをしているのだから黙れ」という「すり替え姿勢」をとることに、薪ストーブ関係者側に大きな精神的問題が存在すると言える。

また、多くの場合、本当の理由は脱炭素ではなく、必需とは言えない自らの趣味娯楽である。実際、憧れだったから、という言い訳が聞かれている。

 

その我儘をマスクするために、脱炭素やお互い様、という反駁をするというのは、心理的に当たらずといえども遠からず、と言えるかと考えられる。



薪ストーブ被害者の言うことがおかしい、という批判が有ったが、それは「煙は環境負荷、エコではないでしょ」という言葉に対するものだった。

しかし、その言葉に至る文脈は逆で、薪ストーブ被害者側は、脱炭素問題はそもそも論じていない。
論争になると「脱炭素になるから」と切り出すのはいつも必ず薪ストーブ製造販売者や使用者からである。
煙が迷惑。それに対して脱炭素理由で反論することは、まさに「論点のすり替え」であり、誠意と配慮を欠くと言わざるを得ない。
 

度々の紹介になってしまうが、
排煙処理は当然に使用者責任(SDGsに項目有り)である。
自らの排気を責任をもって百万円で解決できる程度の話で、薪ストーブを設置できる裕福な方にとってはその程度の資金は惜しむに値しない微々たるものであろうと思われる。


煤煙悪臭問題は、都市部のピザ窯で多数導入されているものと同構造で小型化された排気浄化装置製品として存在し、使用者が周辺住民への配慮として付加することでこの問題は解決し、薪ストーブ迷惑論争は一気に終結を迎えるに違いないと筆者は考えている。