2023年5月

トリプルネガティブ乳癌ステージ3c

あれから1年

1年分のメモや簡単な日記を

処分する前に整理しながら

こちらにまとめる事にしました

抜歯のお話の前に

癌と告知されてからの

家族の様子をお話しします



チューリップ

母の心配


母は昭和24年生まれで

まだまだ元気


父は14年前

肺腺癌と告知されてから半年で

あっという間に、この世を去りました


私も腺癌

母の中では腺癌=死


ブログは書籍と違い

長い文章は

読む側も書く側も疲れてしまうので

詳細に記載していない部分があります


実は『最初の告知』には

母も一緒にいました



母は、ずっと涙目

先生と私の会話を聞いていた


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先生

腺癌なのはわかりました

原発不明癌の可能性もわかりました


実は、父は肺腺癌で亡くなったのですが

見つかった時は既に、抗がん剤も出来ないほどの末期で

原発特定も出来ない状況でした


私の原発不明癌の可能性と

父の原発特定できない状況とは違うよね?


私は元気だし

体重も減ってない

リンパ節への転移はあっても

父とは違い、まだ治療すれば間に合うよね?


そう思います、まだ病勢はコントロールできると思いますよ

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この会話がマズかった!

私が

母の崩壊スイッチ

押して滝汗しまったー

ミスった…

注意注意注意



母はウルウルしながら

『この子、一人娘なんです、私より先になんて……』

すでに絶望先に逝くって決めてるし…


『夫は肺腺癌と言われ、半年でした……』

私も滝汗半年だと思うなよーーアセアセ


『この子が居なくなったら私……』

頭の中では真顔死んでいる


『私、一人残されても……』

孫を滝汗生き甲斐にしたら…

子供達が振り回されてしまう

ばーば残して

私は死なないからムカムカ

しっかりしてくれーえーんえーんえーん



あのね、一人娘だし

心配はわかるのね

私も親だし、親の気持ちは分かるわよ

でもね泣

年老いた母の愛は時に重い魂

ずしーんとくる…ガーン



子供達はすでに成人し

27歳、25歳、23歳


私が居なくても

恋人達と幸せな未来を

生きられると思う

笑ウインク笑



でも母は違う

私が居なくなれば

本当に壊れてしまうだろうガーン魂

子供達に、ばーばをお願いねというのも

残酷な話だ


私は絶対死ねない!

少なくとも

母の事は、私が看取らなければ

真顔真顔真顔




診察室を後にした…母は

『あぁ……ダメだ……目が回る』

と、待合室で倒れてしまい

立ち上がれず…タラー


看護師さん呼んで血圧を計ってもらい

ちょっと無理そうだからと

外来のベッドで横になって下さいと…

あれ?真顔病人は私よね?

 


ベッドで休んでいる間

私の顔を見ているとベッドで泣いて

収集つかなくなりそうなので……

娘に付き添いを頼み

私は待合室で母の回復を待つ状況

何度も言うが真顔癌なのは私よね?



その間、私はPET-CT とMRIの説明を

認定看護師さんから受け

ひたすら母の回復を待つ

…待つ…待つ…待つ…

いつまで絶望待つの?

私も目が回りそうよ…



みかねたTちゃん先生

私、診察しますよ、診察室にどーぞ

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そして、また涙、涙の診察室

絶望絶望絶望

もう、どっちが患者かわからん…

助けて…



Tちゃん先生、母親に寄り添い

丁寧に話を聞いてくれて

やっと母も落ち着きました

ほんとにお願いすみませんでした…



残される者の現実を突きつけられました

絶望絶望絶望


何度も言いますが!

真顔

死ぬつもりないけどね!



真顔

私と母は複雑で

私が小学校高学年~結婚するまで

離れて暮らしていました


私が長女を妊娠した27年前

ちょうどパートナーと別れた母を

父が『孫が産まれるから』と

呼び戻し、再び親子に戻りました

男気ある真顔父です



過去は過去として許していますが

そんな経緯があるので

素直になれないのも事実です



母を子供達に託して

真顔絶対死ねないので

せめて!母よりは長生きしなくては!

それが私の任務です