そこそこ混んでる電車の中で本(文庫)を読んでいたら「当たらないようにして読めよ(怒)」と言われた。
しっかり見てるわけではないですが、相手は中年くらいの男性でした。ワタクシ手持ちのバックはふたつ、片方は肩に掛け、片方は手に持ち、本には片手しか割けていませんでした。直前の駅で降りた人いないのに乗った人はおり、スペースに余裕なくなっておりまして。本がその人に触れていたようなのですね。状況が状況で相手の言い分は正論・真っ当な要求なんですけど、どうしようもなくたいへん頭に来まして。ぶん殴るかなにかして相手にアタシが感じた不快感を表せたらすっきりするけどそのあとが面倒だからやらないんだよきぃ!ってくらい傷ついたのでそれはなぜかと考えれば。言い方。ヤツの育ちが知れるぜ(鼻笑)
だってアタシに命令する権利そいつにはない。
「読むなら当たらないようにしてください(ませんか)」でしょう、ここは。ワタクシ、アナタサマの家族でも召し使いでもないまったくの赤の他人・イチ人格者なのですが。
それともなにか? アタシが女だからか? 若者だからか? そいつがそれなりに人生経験経過した人間だからか? だったら侮ってんじゃねぇよ、である。勘違い甚だしい。経験豊富だから図にのったのか? 失礼な若者はきちんと叱ってやるのが大人の務めだとでもいきがっているのか? 端迷惑な公私混同だな!
確かにアタシがそいつを不快にする権利はなく今回のことはアタシに非があるけれどもだからといってアタシを不快にする権利をそいつが持つわけではない。それともなにか、ハンムラビ法典か! だどしたら仕方ないな受けて立とう!

これは奥床しさの希求である。ワタクシも最近気持ちに余裕がなかったので人のこと言えないですけど棚に上げて。相手を自分と同等と扱う余裕・位高さ・優雅さ。自分の程度・質の高さを示すことで相手を諭し一段上へと自ずと行かせてしまう手腕。(あ、自分で書いてて耳痛い++)
それは身の程をわきまえるがゆえの気配りであり期待であり頭の良さである。攻撃してなんぼ、な世間になれば愚かしさ・弱さになりかねないけれども、まだまだお手本が必要な若輩であるわたくしとしてはそういう方の姿勢に気付けないで見くびってしまう頭の悪さは避けたい。年輩者になるなら、どんなときでも一目置かれる恰好よい存在でありたい。わたしにとって行動というのは難しくて、できるできないは相手の調子に現在ものすごく左右されてしまうのだけれど(気分屋だしな!)、素敵な芯・一貫性を持てるようになれば、と今回考えるにいたったし、お手本にされる人にはそういう、根拠もないのに持ちすぎじゃないかと不安になるほどの期待を持つ勇気と余裕を求めてみようかと思います。まねっこまねっこ、で世間が形成されることを考えれば、年輩者が若輩者をなじるのも若輩者が年輩者をあざけるのも、原因がわかってくるなぁ、と。そして、当たり前、が変わって普及したら、見てて・接してて気持ちのいいものになる……のだけれど、ヒネクレ要素のあるワタクシはようよう徹底できん気がするorz
ということで次回このようなことがありましたら余裕しゃくしゃく優雅に反論してやろうと虎視眈々と!キヒヒ


以上本文終わり!
これでは素直に謝罪を述べる気にならなかったのですよ、まったく。