先週、おば達の葬儀を済ませ、、役所での手続きが迫る中、母の面会を絡めて、24日から帰郷しました。数日前から、少しずつ、お別れが近いかもしれません、という報告を施設からもらっていました。面会当日、丁度訪問医療の先生にも会えました。2時間ほどを母の部屋で過ごし、(その間、従兄弟と他愛もない話をしながら、、)、できれば次週も時間をくり合わせるかな、、と施設を後にしました。


その夜、施設長から、また少し状態が下がってきた旨、連絡がありました。

そして翌朝25日早く、呼吸停止と一報がありました。

すぐに、資料請求していた葬儀社に連絡し、私は出かける準備と、あと1泊残った部屋でしたが、場合によっては戻れないと思い、荷物のパッキングをし、すぐ持ち出せるようにしてから部屋を出ました。直ぐに‼️とも思いましたが、、なんだか、妙に落ち着いていました。今後、いつ食べれるか分からないと思い、朝食用に買っておいたものを、しっかり食べました。


施設にタクシーで向かい、部屋に入って母に会いました。眠っているみたいでした。まだ、先生が来ていないので皮下点滴は落ちてる状態でした。前日、一緒に面会した従兄弟も合流して、先生を待つ間に、葬儀社から連絡がありました。(医師による診断書が降りないと準備できません)

その後、先生が到着して確認。10時17分に旅立った内容が、書類に落とされました。

先生も、昨日話をしたばかりで、まさかこんな早くに、、と仰ってました。「いろいろ、お喋りを聴いていて、安心されたんじゃないかな」


悲しみに浸るのは、まだ先。葬儀社に連絡、希望している葬儀場を押さえて、お迎えの準備をしてもらい、母は施設の看護師さんからエンゼルケアを受け、車が到着するのを待ちました。


今回、神奈川でなく、タクシーで15分ほどのホテルにいる時に知らせを聞きました。これが家であったなら、パニックになり、準備もできず、大変だったと思います。既に旅支度をして家を出ているので、今後の打ち合わせも、何ら不安はありませんでした。お寺に連絡した時には、流石にびっくりされましたがタラー

安置は希望していた場所になり、その日は一旦、神奈川へ帰り(荷物がパッキング済みで楽ちんでした)、翌日準備と母の好きな「鳩サブレ」を持って、再び帰郷しました。

葬儀場にそのまま泊まってます。(もはや、住めるレベルですね、、お風呂はわが家より広い驚き)やはり、母と2人きりになると、涙が止まりませんが、、久しぶりにゆっくり眠れたかも。前日は従兄弟が泊まってくれましたが、帰り際、、

「友ちゃん(母のこと)じゃない、何かが、、おるで、ココおばけおばけおばけ」と、言い残して行きましたが、、何も出ませんでしたにっこり


そして、、本日、最終の打ち合わせ、確認をし、通夜、明日に葬儀です。

母の娘として恥ずかしくない、頑張って喪主をつとめます。